唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

湖南都団練観察使 武安軍節度使 その1

2012-04-11 08:35:56 | Weblog
・至徳二年[757年]衡州に防禦使が置かれた、衡岳潭郴永道涪の八州が領州である。
安史の乱は及んでいるわけではないが、南部の西原蠻の蠢動に対する治安対策とみられる。
・廣元年[763年]には西原蠻が叛し、道州や邵州を陥した。そのため廣二年[764年]
湖南都団練守捉觀察處置使に再編成され、衡潭永道五州を領することになった。
・大暦四年[769年]潭州に移治した。大暦五年ころには西原蠻と通じた將王國良(これも
蠻族出身)が叛したうえに、軍乱が起きて団練使崔瓘が殺された。
武将辛京杲(河東雲京の弟)が赴任し武力で鎮圧した。
・大暦14年[779年]まで京杲の苛政が続き、そのため國良等の叛乱は拡大していった。
隣鎭からの討伐が試みられたがまったく効果はなかった。
・建中元年[780年]嗣曹王皐が赴任し、みずから國良の城を訪ねて慰撫した。
唐朝への不信感はあるが長年の戦乱に疲弊した國良達も帰順することになった。
・淮西李希烈が反し、皐は江西に移鎭したが状況は安定していった。
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