裴炎。字は子隆。
絳州聞喜人也。
弘文生となり在館十年載、春秋左氏傳や漢書に通暁する。
明經に合格し濮州司倉參軍。
累進して兵部侍郎中書門下平章事となり、
侍中・中書令に進む。
永淳元年高宗幸東都時に太子を輔佐する。
中宗が即位し妻の父韋玄貞を侍中に欲するが拒否。
則天と謀議し、劉禕之・程務挺・張虔勖などとともに中宗を
廃位して豫王旦を立てた。定策の功で河東縣侯。
則天が臨朝し、豫王を皇嗣に降し、武氏七廟を建てようと
するが、極諫して止める。
また韓王元嘉や魯王靈夔等など皇族を誅する議にも激しく
反対し、則天や武一族の不興を受ける。
文明元年改称し內史。
秋に李敬業(勣の孫)が則天の奪国に反した時、炎は豫王の
親政を求めて則天の激怒を招く。
光宅元年十月殺される。
睿宗復位後,贈益州大都督
子の彥先は太子舎人に終わる。
[宰相履歴]
永隆元年4月.同中書門下三品~開耀元年閏7月.侍中
~永淳元年4月.留輔皇太子~弘道元年11月.兼東宮平章事
~12月.中書令~光宅元年10月.殺
絳州聞喜人也。
弘文生となり在館十年載、春秋左氏傳や漢書に通暁する。
明經に合格し濮州司倉參軍。
累進して兵部侍郎中書門下平章事となり、
侍中・中書令に進む。
永淳元年高宗幸東都時に太子を輔佐する。
中宗が即位し妻の父韋玄貞を侍中に欲するが拒否。
則天と謀議し、劉禕之・程務挺・張虔勖などとともに中宗を
廃位して豫王旦を立てた。定策の功で河東縣侯。
則天が臨朝し、豫王を皇嗣に降し、武氏七廟を建てようと
するが、極諫して止める。
また韓王元嘉や魯王靈夔等など皇族を誅する議にも激しく
反対し、則天や武一族の不興を受ける。
文明元年改称し內史。
秋に李敬業(勣の孫)が則天の奪国に反した時、炎は豫王の
親政を求めて則天の激怒を招く。
光宅元年十月殺される。
睿宗復位後,贈益州大都督
子の彥先は太子舎人に終わる。
[宰相履歴]
永隆元年4月.同中書門下三品~開耀元年閏7月.侍中
~永淳元年4月.留輔皇太子~弘道元年11月.兼東宮平章事
~12月.中書令~光宅元年10月.殺