唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

廣明二年/中和元年 その1 西暦881年

2020-08-14 10:00:42 | Weblog
廣明二年/中和元年 その1 西暦881年
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[状況]
◎.黄巣「齊」が建国されましたが、統治領域は京師付近にしかありません。自軍に京師の遊民や諸軍の一部を吸収しまとまった兵力を持ちますが、経済的な背景はありません。いままで通過してきた各州は荒らしただけで占領したわけではないのです。そしてもともと京師は自給できない土地です。

◎.田令孜・僖宗「唐」、官僚のほとんどを失い、宦官と少数の禁軍を持つのみです。頼りは西川陳敬瑄など旧神策軍の節度使だけです。京師付近の残存軍は潰滅していて到底黄巣軍に対抗できません。

◎.「北部方鎭」、あまりにあっけない唐朝の崩壊に啞然としていて、対処に迷っている状況です。唐朝系の方鎭は、トップの権威が唐朝の崩壊により統制がとれない状況です。河北の諸鎭もまた方向性が定まりません。

◎.「南部方鎭」、もともと確立していない軍であり、草賊により領域は荒らし回られ荒廃しています。そしてまだ残存している賊は多く、各州ごとにその支配に分立していきます。


正月丁丑,次成都。
成都にたどりつきました。僖宗は令孜兄弟の完全な傀儡です。

二月、太子少師王鐸為司徒兼門下侍郎同平章事。淮南節度使高駢為京城四面都統。
失脚していた王鐸が用いられ、その党派の高駢を京師回復の都統に任用しましたが、既に老耄していた駢は呼号するだけで動きません。鐸は滑州義成軍節度使を根拠地とします。

二月、鳳翔節度使鄭畋及巢戰于龍尾坡,敗之。
黄巣軍が鳳翔に迫りましたが、なんとか撃退することができました。

三月辛酉,鄭畋為京城西面行營都統。甲子,畋及涇原節度使程宗楚、天雄軍經略使仇公遇盟於鳳翔。
駢は動かないため鳳翔節度鄭畋[元宰相。文官]を都統として京師回復を図ります。しかしまともな兵力はなく黄巣を牽制するのみです。

三月、諸葛爽以河陽降。四月戊寅,王玫伏誅。
黄巣軍の進撃に狼狽して降った諸将が唐朝に復帰してきました。黄巣軍は京師に孤立しています。河中節度使王重榮も唐朝に戻ります。

三月、程宗楚、唐弘夫及黃巢戰於咸陽,敗之。壬午,巢遯乾灞上。丁亥,復入于京師,弘夫宗楚死之。
一部唐朝軍が京師に突入しました。黄巣は狼狽して遁走しましたが、唐軍が少ないのを知り、再入して回復しました。唐軍は掠奪に夢中で潰乱してしまいました。

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