唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

藩鎭軍乱10 嶺南軍乱 哥舒晃自立

2017-09-18 12:45:01 | Weblog
大暦8年9月
[新]壬午,循州刺史哥舒晃反,殺嶺南節度使呂崇賁。
[旧]壬午,嶺南節度使、廣州刺史呂崇賁為部將哥舒晃所殺。
[通]壬午,循州刺史哥舒晃殺嶺南節度史呂崇賁,據嶺南反。

[背景]呂崇賁は安史の乱にも見られる文官。哥舒晃は武将出身であり、湖南崔灌の例と同じく驕軍かと考えられる。しかし蠻族を巻き込み反乱は大規模化していった。唐朝にとって嶺南廣州は南蛮貿易の拠点で、大きな収益を上げる地域であるので、姑息な代宗皇帝といえども放置できなかった。

[結果]近隣の武断派の江西観察使路嗣恭に嶺南節度使を兼任させて討伐させたが、多数の蠻族が合流し勢力が強大であるのと風土の問題もありなかなか進展しなかった。嗣恭は嶺南に流罪となっていた孟瑤、敬冕などの軍人を起用し、10年11月に大虐殺して討伐に成功した。その際に莫大な財宝を掠奪したが唐朝には納めなかった。代宗皇帝はそれが不満で功績を認めなかったが宰相に諫められてしぶしぶ兵部尚書に任用した。

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