魏徵。字は玄成。鉅鹿曲城人也。
父長賢,北齊屯留令。
生業にはつかず出家して道士となり放浪し説客となる。
大業末に武陽郡丞元寶藏は反乱し李密に附き、徴を典書記とする。
その後李密に用いられ。従って唐に歸附。
關東の状況を売り込み秘書丞として旧知の徐勣を誘降。
竇建徳に捕らわれてその起居舎人となる。
建敗北後、太子建成に仕え引直洗馬となり、謀臣となる。
太子建成死後、秦王に仕え事主簿。
即位後、諫議大夫・鉅鹿縣男に抜擢される。
張り切る太宗に対して常に直言し、その過を諫める。
太宗も全てを受入れるわけ[西域支配や突厥平定後の処置
など軍政についての案は却下されている]ではないが我慢
して聞くという姿勢をとる。
貞觀三年朝政に参与し郡公に進む。
七年,侍中に昇進し、左光祿大夫・鄭國公に進む。
しかし実際の政務は不得意であり、病を称して辞し、
特進仍知門下事として諫臣・相談役の立場に移る。
十六年皇太子承乾を諫めるために太子太師知門下省事如故となる。
しかしすでに病気で気力無く、64才で卒する。
贈司空、相州都督。
没後、その諫言に鬱屈していた太宗は子孫を冷遇する。
子の叔玉が襲爵し光祿少卿に至る。
[宰相履歴]
貞觀3年2月秘書監参豫朝政~6年5月検校侍中~7年3月侍中
~10年6月特進知門下省事朝章國典参議得失~16年9月罷
父長賢,北齊屯留令。
生業にはつかず出家して道士となり放浪し説客となる。
大業末に武陽郡丞元寶藏は反乱し李密に附き、徴を典書記とする。
その後李密に用いられ。従って唐に歸附。
關東の状況を売り込み秘書丞として旧知の徐勣を誘降。
竇建徳に捕らわれてその起居舎人となる。
建敗北後、太子建成に仕え引直洗馬となり、謀臣となる。
太子建成死後、秦王に仕え事主簿。
即位後、諫議大夫・鉅鹿縣男に抜擢される。
張り切る太宗に対して常に直言し、その過を諫める。
太宗も全てを受入れるわけ[西域支配や突厥平定後の処置
など軍政についての案は却下されている]ではないが我慢
して聞くという姿勢をとる。
貞觀三年朝政に参与し郡公に進む。
七年,侍中に昇進し、左光祿大夫・鄭國公に進む。
しかし実際の政務は不得意であり、病を称して辞し、
特進仍知門下事として諫臣・相談役の立場に移る。
十六年皇太子承乾を諫めるために太子太師知門下省事如故となる。
しかしすでに病気で気力無く、64才で卒する。
贈司空、相州都督。
没後、その諫言に鬱屈していた太宗は子孫を冷遇する。
子の叔玉が襲爵し光祿少卿に至る。
[宰相履歴]
貞觀3年2月秘書監参豫朝政~6年5月検校侍中~7年3月侍中
~10年6月特進知門下省事朝章國典参議得失~16年9月罷