封倫。字は徳彝[こちらのほうが有名]。
北齊太子太保隆の孫。父繡は隋通州刺史。
開皇末,內史令楊素に評価され內史舎人。
大業中,煬帝の佞臣虞世基に迎合し政を乱す。
乱臣宇文化及に付き內史令として北上。
しかしその衰えをみて唐に来降。
旧知の高祖はこれを優遇し、內史舎人、ついで內史侍郎とする。
太宗に従い王世充征討にあたり、平原縣公兼天冊府司馬。
武徳六年本官をもって檢校吏部尚書。
行政に通じて功績をあげる。
八年道國公,ついで密国公へ。
蕭瑀の推薦に中書令となり、高祖の親任が厚い。
太宗が即位し、右僕射となり、蕭瑀と対立し始める。
貞觀元年勤務中に病となりまもなく卒する。年六十。
贈司空。
有能な佞臣であり、常に両端をかけ保身に長じていた。
卒後、その策謀が暴かれた。
子の言道は高祖淮南長公主と結婚し宋州刺史に至った。
[宰相履歴]
武徳3年3月.兼中書令~6年4月.中書令~9年7月右僕射~貞觀元年6月.薨
北齊太子太保隆の孫。父繡は隋通州刺史。
開皇末,內史令楊素に評価され內史舎人。
大業中,煬帝の佞臣虞世基に迎合し政を乱す。
乱臣宇文化及に付き內史令として北上。
しかしその衰えをみて唐に来降。
旧知の高祖はこれを優遇し、內史舎人、ついで內史侍郎とする。
太宗に従い王世充征討にあたり、平原縣公兼天冊府司馬。
武徳六年本官をもって檢校吏部尚書。
行政に通じて功績をあげる。
八年道國公,ついで密国公へ。
蕭瑀の推薦に中書令となり、高祖の親任が厚い。
太宗が即位し、右僕射となり、蕭瑀と対立し始める。
貞觀元年勤務中に病となりまもなく卒する。年六十。
贈司空。
有能な佞臣であり、常に両端をかけ保身に長じていた。
卒後、その策謀が暴かれた。
子の言道は高祖淮南長公主と結婚し宋州刺史に至った。
[宰相履歴]
武徳3年3月.兼中書令~6年4月.中書令~9年7月右僕射~貞觀元年6月.薨