宇文士及。字は仁人。
雍州長安人。隋右衛大將軍述の子,叛臣化及の弟。
開皇末に父の勲功により新城縣公。
煬帝の女南陽公主を妻とする。
大業中に尚輦奉御・鴻臚少卿を歴任。
兄化及が煬帝を弑すると內史令となる。
その後、竇建に追われ、旧交があった高祖に降った。
妹が高祖の側室であったので優遇され、上儀同。
太宗に従い宋金剛を伐ち、新城縣公に復し壽光縣主を妻とす。
王世充・竇建を平定するのに功績があり、郢國公に進む。
中書侍郎・太子事を歴任する。
武徳8年に検校侍中として宰相となり。
太宗が即位すると、さらに中書令となり實封七百戶を得る。
さいで兼檢校涼州都督として突厥対策にあたり、
軍備充実をしすぎて疑われ罷免、殿中監となる。
病気と称して蒲州刺史となり善政をしく。
また右衛大將軍となり太宗の親任が極めて厚い。
また殿中監となり金紫光祿大夫を加えられる。
煬帝を弑殺をした一味が、その後功績があっても、多くが左遷されたが
なぜか士及は優遇され続けた。
貞觀政要をでっちあげた太宗の政治が言行不一致である証拠といえる。
貞觀十六年に卒する。贈左衛大將軍、涼州都督
家族・親族を大切にしたが、自らの生活も贅沢であった。
[宰相履歴]
武徳8年12月.検校侍中~9年月.中書令~貞觀元年9月.罷
雍州長安人。隋右衛大將軍述の子,叛臣化及の弟。
開皇末に父の勲功により新城縣公。
煬帝の女南陽公主を妻とする。
大業中に尚輦奉御・鴻臚少卿を歴任。
兄化及が煬帝を弑すると內史令となる。
その後、竇建に追われ、旧交があった高祖に降った。
妹が高祖の側室であったので優遇され、上儀同。
太宗に従い宋金剛を伐ち、新城縣公に復し壽光縣主を妻とす。
王世充・竇建を平定するのに功績があり、郢國公に進む。
中書侍郎・太子事を歴任する。
武徳8年に検校侍中として宰相となり。
太宗が即位すると、さらに中書令となり實封七百戶を得る。
さいで兼檢校涼州都督として突厥対策にあたり、
軍備充実をしすぎて疑われ罷免、殿中監となる。
病気と称して蒲州刺史となり善政をしく。
また右衛大將軍となり太宗の親任が極めて厚い。
また殿中監となり金紫光祿大夫を加えられる。
煬帝を弑殺をした一味が、その後功績があっても、多くが左遷されたが
なぜか士及は優遇され続けた。
貞觀政要をでっちあげた太宗の政治が言行不一致である証拠といえる。
貞觀十六年に卒する。贈左衛大將軍、涼州都督
家族・親族を大切にしたが、自らの生活も贅沢であった。
[宰相履歴]
武徳8年12月.検校侍中~9年月.中書令~貞觀元年9月.罷