楊恭仁。本名は綸。隋の觀王雄の長子。
仁壽中に甘州刺史となり善政を行い戎人を帰服させる。
大業初に吏部侍郎となり、楊玄感の征討に功績があったが、
清廉な人事を行ったため周囲に敬遠される。
河南道大使として討賊に出されたが朱粲に敗北し江都に逃げ帰る。
宇文化及の弒逆後,化及に従い吏部尚書となり河北へ。
唐に帰服した元寶藏に捕らわれて京師へ送られる。
旧知の高祖は禮遇して黄門侍郎・觀國公とし涼州總管とした。
西域の鎮撫に当たり夷狄を入朝させ功績をあげた。
功績により納言を遥領し總管を兼ねた。
突厥頡利可汗への防衛・瓜州賀拔威の反乱の鎮圧に功績あり。
入朝し吏部尚書となり、左衛大將軍・鼓旗將軍となる。
貞觀初に雍州牧・左光祿大夫・揚州大都督府長史となり宰相は離れる。
地方統治に能力があり。五年洛州都督に移る。
やがて特進をもって致仕し。十三年卒。贈開府儀同三司潭州都督。
子の思訓が襲爵し右屯衛將軍に至る。
[宰相履歴]
武徳2年10月.領納言~6年4月中書令~9年7月.罷
仁壽中に甘州刺史となり善政を行い戎人を帰服させる。
大業初に吏部侍郎となり、楊玄感の征討に功績があったが、
清廉な人事を行ったため周囲に敬遠される。
河南道大使として討賊に出されたが朱粲に敗北し江都に逃げ帰る。
宇文化及の弒逆後,化及に従い吏部尚書となり河北へ。
唐に帰服した元寶藏に捕らわれて京師へ送られる。
旧知の高祖は禮遇して黄門侍郎・觀國公とし涼州總管とした。
西域の鎮撫に当たり夷狄を入朝させ功績をあげた。
功績により納言を遥領し總管を兼ねた。
突厥頡利可汗への防衛・瓜州賀拔威の反乱の鎮圧に功績あり。
入朝し吏部尚書となり、左衛大將軍・鼓旗將軍となる。
貞觀初に雍州牧・左光祿大夫・揚州大都督府長史となり宰相は離れる。
地方統治に能力があり。五年洛州都督に移る。
やがて特進をもって致仕し。十三年卒。贈開府儀同三司潭州都督。
子の思訓が襲爵し右屯衛將軍に至る。
[宰相履歴]
武徳2年10月.領納言~6年4月中書令~9年7月.罷