竇抗。字は道生。太穆皇后の從兄。父は隋洛州總管陳國公榮であり、母は隋萬安公主。
帝の甥であり、優遇されて太學に入り書史を学ぶ。千牛備身儀同三司となる。
襲爵陳國公となり梁・岐州刺史に至る。
高祖と親しく、自立に際して帰服し、將作大匠となる。
武徳元年竇威の没後、本官兼納言として宰相となる。
高祖の親任は厚かったが宰相としての識見はなく、
短期間で左武候大將軍・領左右千牛備身大將軍に転じて宰相を辞める。
その後太宗の薛仁杲・王世充討伐に従い勲功があった。
武徳四年宴会中に急死する。贈司空。
子の衍が嗣爵し左武衛將軍に至る。
[宰相履歴]
武徳元年6月.兼納言~10月.罷
帝の甥であり、優遇されて太學に入り書史を学ぶ。千牛備身儀同三司となる。
襲爵陳國公となり梁・岐州刺史に至る。
高祖と親しく、自立に際して帰服し、將作大匠となる。
武徳元年竇威の没後、本官兼納言として宰相となる。
高祖の親任は厚かったが宰相としての識見はなく、
短期間で左武候大將軍・領左右千牛備身大將軍に転じて宰相を辞める。
その後太宗の薛仁杲・王世充討伐に従い勲功があった。
武徳四年宴会中に急死する。贈司空。
子の衍が嗣爵し左武衛將軍に至る。
[宰相履歴]
武徳元年6月.兼納言~10月.罷