唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

唐宰相一覧[除皇族]9.裴矩

2014-12-21 10:32:09 | Weblog
裴矩。字は弘大。
祖父佗は後魏東荊州刺史。父訥之は北齊太子舎人。
若年より博學であり、齊高平王文學となる。
齊が亡ぶと,定州總管記室となり隋の文帝の部下となり、
文帝が即位すると,給事郎直內史省奏舎人事となった。
また晉王廣の陳平定に記室として従い、その圖籍を収集した。
その後吏部侍郎となる。
大業初、西域諸蕃の互市を監督し西域の権威となる。
煬帝に親近され民部侍郎・黃門侍郎參預朝政を歴任する。
西域諸国を入朝させることに努力し、銀青光祿大夫を加えられる。
その後高麗征討に従い、領虎賁郎將となり。兼掌兵部事。
そして功績により右光祿大夫に進む。
天下が乱れるのをみて、恐懼し下僚に至るまで歡心を得るように努力するが、
煬帝を諫めずただ迎合に努めた。
宇文化及弒逆には尚書右僕射となる。
化及が破れると竇建に仕え尚書右僕射令專掌選事となる。
建が敗れると,傳國八璽を携えて唐に来降し安邑縣公となる。
武徳五年には太子左庶子。
俄に太子事に移り、太子建成派となる。
八年兼檢校侍中となり相に昇格。
太子建成が殺害された時、その党派を説いて解散させた。
そして80才を超えて民部尚書になり即位の典礼に働く。
貞観元年に卒。贈絳州刺史。
常に権力者に迎合阿諛する佞臣であった。
子の宣機は銀青光祿大夫太子左中護に至る。

[宰相履歴]
武徳7年12月.検校侍中~8年11月.罷