唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

唐宰相一覧[除皇族]11.高士廉

2014-12-23 10:09:31 | Weblog
高儉。字は士廉[こちらのほうが有名]。渤海修人。
曾祖飛雀,後魏贈太尉。
祖岳,北齊侍中、左僕射、太尉、清河王。
父勵,字敬,北齊樂安王、尚書左僕射、隋洮州刺史。
北朝名家の出身であり、文史を学習し、大業中,治禮郎となる。
長孫家とも姻戚であり文皇后ともつながる。
斛斯政に坐して嶺南の朱鳶主簿へ貶。
隋末の乱に交趾太守丘和の麾下となる。
武五年和に従い歸國する。
雍州治中として牧太宗の部下となる。
文皇后の舅であり親愛される。
太子建成殺害の密謀に預かり、太子右庶子となる。
貞觀元年に侍中.義興郡公.實封九百戶と得て宰相となる。
ところが黃門侍郎王珪の密奏を太宗に取り次がなかった
ことから解任され安州大都督に出された。
益州大都督府長史に転じ風俗、治水、教育に善政をしく。
五年吏部尚書・許國公となり。「氏族志」を編纂する。
このとき太宗は鮮卑の末裔である「皇族=李氏」を
關東の名族より上位に置いた。
編集の功績により特進・上柱國。
同中書門下三品に復帰する。
十二年.世襲申州刺史,申國公となる。
其年尚書右僕射に昇進し、攝太子少師,特令掌選。
十六年開府儀同三司を加えられ致仕を請願。
尚書右僕射は解かれて開府儀同三司舊平章事となる。
「文思博要」を撰する。
十九年太宗の高麗遠征時、留守の皇太子を攝太子太傅として輔佐。
二十一年正月に72才で卒。贈司徒・并州都督
子の履行が嗣爵する。
[宰相履歴]
①武徳9年7月.侍中~貞觀元年8月.貶
②貞觀12年7月.右僕射~17年6月.同中書門下三品~21年正月.薨