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「じゃくる」の日に、下士官兵の階級に付いてお話ししましたが、よく言われるように、海軍の階級は複雑です。
途中で制度が改正されたことなども理由のひとつです。
そしてそのとき話題になった善行章ですが、これも本数が多ければいいというものではなく、それにともなった階級が無いとかえって馬鹿にされたり、怪しまれたり、階級社会中の階級社会、軍隊の中は本当に色々あるようです。
階級差は絶対なのに、善行章の本数もまたその「箔」にものをいうわけで、誰が偉いのか、非常にコトガラを難しくしてしまう例もありました。
ある陸攻の機長は若い上等飛行兵曹でした。
若いので善行章は一本です。
ところが搭乗員は全員が年次の古い下士官や、善行章二本の一等整兵など。
つまり「階級は上でも若造かよ~」みたいな、そう、いきなり兵曹長になって七人のさむらいの隊長を任されてしまった滝城太郎のような(わかるかな?)状態ですね。
うわべはへいへいと言うことを聞いていても、何となく古参兵がなめてかかる様子、それを敏感に感じる若い隊長の苛立ちが、全体のチームワークを著しく損なったそうです。
階級が絶対であるはずなのに、やはり善行章、つまり海軍の釜の飯を何年食ったか、と言うあたりが統率するのにものを言ったのです。
あまりにこのような問題が紛争を巻き起こし、あるいは表になり裏になって不協和の種となったためでしょう、ついに帝国海軍は昭和二十年四月をもって普通善行章の軍服への付着を廃止しました。
・・・・・あれ?
大和特攻って・・・・・いつでした?
出港は四月五日ですよね?
最後の上陸のとき、下士官全員善行章をつけていますよ。
これは・・・・実際はどうだったのでしょうか。
およそ日本のお上が絡んだ物事は、すべからく四角四面に「一日より施行」されます。
つまり、最後の上陸のときにはもう「善行章廃止」になっていたはず。
全員が「これが最後」と覚悟をしていた大和への乗組みに際し、誇りでもあった善行章をあえて掟に逆らって付けていたのでしょうか。
エリス中尉、いまだに大和に関しては一般常識プラスあの映画くらいの知識しか持ち合わせていないので、そのへんについて疑問の晴らしようがないのですが、謎ですね~。
単に映画の考証者がそれを知らなかっただけ?
さて、ここでやっと冒頭四コマ漫画です。
少し劇画調で始めてみました。
左側のいかつい上等水兵、顔はいかついですがまだ善行章なしです。
半舷上陸で軍港の街を歩いていたら向こうからジョンベラがやってきました。
「む、善一(善行章一本)だな。兵長らしい」
このように判断したかれは、挙手注目の敬礼をしました。
「男たちの大和」を観ていてなるほど、と思ったのですが、ジョンベラが一斉にパッと敬礼する、それを受ける士官たちの敬礼はジョンベラの三倍くらいのスピードです。
答礼はあくまでも威厳を以てゆっくりと。
こういう様式美があるわけですが、
なんと、兵長と思ったジョンベラ、同時にぴしっと敬礼を返してきました。
「あれ?」
右腕をもう一度よく見ると、彼が善行章だと思っていたのは山形のてっぺんに桜のマーク、
つまり特別善行章だったのでした。
階級は上等水兵、おまけに彼は一期下だったそうです。
この特善、善行章が廃止されてもこちらは廃止されず終戦までそのままだったそうです。
それでは特別善行について、もう一度お話ししましょう。
勇敢な行為によって特別の手柄を立てた
奇特な行為をした
このような、今ならさしずめ警察から表彰されるような「善行」をした場合、これがもらえました。
たとえば
「日華事変のとき、揚子江に不時着した僚友を助けるため、敵前にもかかわらず強行着水して無事救出した」
「戦艦の見張りで当直交代後も艦橋に残り、敵潜水艦から発射された魚雷をいち早く発見して回避を成功させた」
という、軍ならではの善行もあれば
「田舎に帰郷していたときに川で溺れている子供を飛び込んで助けた」
「泥棒をつかまえた」
などという、一般的な善行で貰うこともありました。
それでは。
「男たちの大和」で主計兵曹である森脇一主曹はどんな「善行」をしたのでしょうか。
およそ戦争映画の主演格に主計兵曹が扱われた、という例はほかになかったのでは、とおもわれるのですが、この辺りがこの映画のリアリティだと評価する部分です。
主計兵の戦いについてはまた別の日にお話ししたいと思います。
因みに大和の花形職場といえば主砲に携わる部門。勿論決して主計科ではありえないのですがそんな地味なこの職場でも善行賞をもらってしまった優秀な森脇兵曹の善行とは?
「夏場の傷んだ食材をいち早く匂いで見わけ、大和全員を食中毒から救った」
・・・・・・・とか?
ところでさきほどのいかつい上等兵曹ですが、階級は同じ、年齢は下の
「じゃく」に間違えてつい敬礼してしまったわけです。
現代の私たちには
「下のモン」に敬礼してしまった当時の兵隊の悔しさというのはおそらく想像もつかないものに違いありません。
かれはそれこそいまいましくてたまりませんでしたが
「なに、特善に敬意を表したのさ」
と自分を慰めたそうです。