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「ムルデカ」インドネシア独立と日本人

2011-01-27 | 映画

「笹井中尉がММだった話」という稿で、
オランダ領インドネシアのメナドに不時着陸した笹井中尉がモテモテだった、という話をしました。
日本軍がオランダの圧政から民衆を解き放ったということで
「白いものをかぶって空から降りてくる人々が苦しみから解放してくれる」
という言い伝え通りになったため、日本人が神様扱いされていたためです。


笹井中尉ならずとも、このモテモテは日本人ならインドネシアに行けば、今でも体験することができます。

エリス中尉はバリ島に二回行ったことがあります。
一度目はコテージを借りる貧乏旅行、二回目はブルガリホテルから一歩も出ないと言うお大尽旅行でしたが、
学生であろうお大尽であろうと、インドネシアの人々の歓迎ぶりはいつも暖かなものです。

「世界に日本はいい影響を与えているか」

という調査で、日本はいつも三位以内にはいるくらい、世界的によい評価を与えられるのですが、
この調査でいつも85パーセントという大多数がyes、と答えるのがインドネシア。
日本肯定派の中でもこのニッポン・ラブぶりは世界一高いのです。
(ちなみに、中、韓、北朝鮮だけがnoが多く、日本人自身による評価も低いのが特徴)

戦後の技術供与や支援だけが彼らをして日本への好感度を高めているのか?
そうではないのです。


オランダからの圧政から解き放ったばかりでなく、インドネシアという国の独立に日本が、
いや、多くの日本人がかかわって命を捧げたという事実があったからなのです。

オランダがインドネシアを「東インド会社」として植民地経営し始めたのは1602年、
なんと、350年の長きにわたります。
その支配は徹底的に搾取が目的で、現地民は労働力としか見られず、愚民政策によって教育はもちろん、
大きな反乱につながらないように道で三人が立ち話をすることすら禁じられていました。

圧政の間、人々には希望のように一つの予言を語り継いでいました。


我らが王国は、白い人びとに支配される
彼らは離れたところから攻撃する魔法の杖を持っている
この白い人の支配は長く続くが、空から黄色い人びとがやってきて白い人を駆逐する
この黄色い人びとも我らが王国を支配する
それはトウモロコシの寿命と同じくらいの期間である




そんなある日、空に白い花が咲き、黄色い人々がやってきました。
そう、我が陸海軍の空の神兵、落下傘部隊でした。
この「神兵」という言葉は、よく日本人がいうところの
「タイトルとしての神」という風に理解されがちですが、
この地の人々にとってはまさに「神兵」以外の何物でもなかったのです。


そしてその神兵はわずか九日で三五〇年続いた圧政から民衆を開放してしまったのでした。

商業ベースに乗らず多額の借金を負った映画「ムルデカ17805」の話をしましたが、
この映画の冒頭、進駐してきた日本軍の島崎中尉(本日画像。山田純大)の靴に
老婆が口づけるというシーンがあります。

インドネシア人にこのような習慣はない、と言われて向こうではカットされたシーンなのだそうですが、
表現はどうあれ日本軍が神様扱いされていたことに間違いはないのです。

しかも、日本はオランダと違い、彼らに独立を約束した暫定的な支配をする間
彼らが自分の足で立つ日のために軍事教練を施しました。
その祖国独立義勇軍PETAはまさに日本の手によって作られたのです。

日本は一九四五年の九月にインドネシアに独立を約束していました。
しかし、八月一五日に敗戦。
敗戦とともに軍は撤退するのですが、ここでインドネシアに残って、その独立戦争を率いた日本人がいます。

その数二千人。

なぜ彼らが脱走兵として現地に骨をうずめることを選んだのか。
連合国による戦犯指名を怖れた者もいれば、祖国に希望がないと判断したものもいたでしょう。
しかし、大半はインドネシア人とのアジア解放の約束に殉じ、
また軍事教練の教え子に懇願されたなどという理由、
つまり「義に生きた」のです。
戦犯逃れをするためというネガティブな理由だけでは、
彼らが義勇軍の先頭にあって激しい戦闘で命を落としていったことの説明が付きません。


そして、日本による統治は三年半、奇しくも予言の通りの
「トウモロコシが朽ちるまで」の期間にわたりました。

映画「ムルデカ17805」は、この戦いに身を投じた何人かの日本軍人がモデルになっており、
島崎中尉、宮田中尉として描かれています。
ムルデカ、とはインドネシア語で独立を意味します。

「青年道場」と名付けられた軍事教練で実在の柳川宗成中尉に鍛えられた兵の中に
後の大統領スカルノ(これがフルネームって知ってました?)がいます。

日本の敗戦と同時に、再びオランダがイギリスとともにインドネシアを占領するために帰ってきました。
九日で撃退された日本軍への恨みを晴らすためだけに行われた戦犯裁判の尋問では激しい拷問が、
そしてBC級戦犯として多くの将兵が一方的に罪を着せられ処刑されました。

映画では保坂尚輝演じる宮田中尉が拷問の合間に壁に血で

「インドネシア独立に栄光あれ」

と記し処刑されるのですが、このモチーフは実は実在の日本兵の遺した血文字にありました。

日本軍は敗戦後、現地の治安維持を命じられるとともに、
武器の管理も厳重にするようにと命令を受けていたのですが、
映画でPETAの兵たちが「武器が欲しい」と島崎中尉に頼んだシーンのように、
かれらは独立運動のため日本軍の武器を譲って欲しい、と懇願していました。


しかし、規則を重んじる厳格な日本軍がそれを断っていたある日、
蜂起したインドネシア人が武器庫を襲ったのです。
血まみれになった武器庫の番兵は、壁に
「インドネシア独立に栄光あれ」と自分の血でしたため息絶えました。
これを知ったインドネシア人は衝撃を受け、日本人に対する尊敬をあらたにしたのだそうです。


これらの話は戦後タブーとされ、インドネシアでは暴虐と搾取しかしていないと言い続ける人々は、
「日本の善政と独立を助けた日本兵のこと」
を決して認めようとしません。
しかし、当の日本人が認めようとしないこのことを、
インドネシア人自らがその栄光の歴史に刻んでくれているのです。

PETAマーチ、その二番の歌詞にはこうあります。

古きアジア 不幸に苦しむ列しき圧制に 
幾世紀も忍ぶ 大日本 雄々しく立てり
アジアを救い 我らを守る 進め進め 義勇軍
アジアとインドネシアの英雄 清き東洋に幸あれ



そして、17805という数字の意味。
日本の皇紀2605年8月17日の数字を日、月、年の下二桁の順に並べたものです。
独立運動指導者のスカルノとハッタは、インドネシアの独立宣言文にこの日付を使用しました。



侵略目的だけのために日本がこの地にあったとするなら、
これらのことどもをどう説明すればよいのでしょうか。