ネイビーブルーに恋をして

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犬(猫)好きの嘘がばれるとき

2011-01-24 | つれづれなるままに
先日、NHKのある新番組の紹介を見るともなく見ていました。

松島菜々子と名前の知らない男優さんが(有名な人ならゴメンナサイ)子供の無い夫婦で、
ある日妻が突然連れて帰ってきた犬のおかげでとても夫婦仲が良くなるのだけど、
夫が不治の病で余命短いことが分かった、さあどうなる?
といったようなスト―リ―だったような気がします。

で、主演のお二人と犬に対するお気持ちを語ってもらうわけですが、松島さんの方は
どうやらお家でも犬を飼っておられるらしく、
「いつも犬とは仲がいいんです」
とおっしゃり、共演の犬(ラブラドールだったかな)を撫でるしぐさもごく自然。


ところが、この男優さんの方がですね、犬好きでしたか?に対してなんだか煮え切らない、
「えー、嫌いってわけではないんですが小さい時吠えられて怖くて」
みたいなことをもごもごといった感じで、
「でも今は好きです」
とその口では言うのですが、しかし、カメラは非情。

共演の犬が彼に尻尾を振り、その顔をべろんとなめたとたん、男優さん瞬時に腰を引き
「ひえええっ」
という表情をしたんですね。

「こいつ・・・・実は犬嫌いだな」

エリス中尉はその様子を見てひそかに確信を持ちました。


先週末、猫のいるカフェに行ってまいりました。
巷には猫によって癒されたい、という人が少なからずいて「猫カフェ」というものが存在します。
なぜ猫なのか。「犬カフェ」が無いのはなぜか。

この疑問に対しては以前「犬好き、猫好き」の項で述べた
「猫好きは猫なら何でも好きだが、犬好きは『自分の犬』にこだわる」
というひとつの仮定をその答えに当てはめることができると思っているのですが、
何処かで「ドッグラン・カフェ」という、
犬を貸し出してくれるところができた、と聞きました。
ニーズはあるのでしょうが、猫カフェほどあちらこちらにないのは、前説を裏付けてはいますまいか。

さて、猫カフェです。
一度TОの先導で本格的な猫カフェとやらに行ってみたことがあります。
ここがねえ。
保険所とか公的機関のこういった形態の飲食店に対する指導と言うものがおそらくそうさせるのでしょうが、
入ってまず手を消毒、コーヒー紅茶、軽食もあるが別室でいただき、
さて、と猫さんたちのいる別室におもむろに潜入、おさわり自由、というもの。

でも、なんだか全然「違うな」って感じなんですよね。
違う!猫好きが猫を愛でる方法として、これは絶対違う!
という激しい(というほど大層なものではありませんが)違和感。

わざわざそこにお運びいただき、そして見たことのない珍しい姿形のお猫様を拝見する。
まるで銀座のバーでドンペリを入れて女の子にきゃあきゃあいわれるおじさんのように
猫おやつを購入していっとき(だけ)キャーキャーじやなくてニャーニャーいわれて
後は知らん顔、仕方なく玩具(ブランドバッグ?)でご機嫌を取る
などという営業形態は「猫好きの何たるかを分かっていない」
と言わざるを得ません。


猫の生態を知っている人はよくご存知でしょうが、あ奴らはこちらがいくらなだめてもすかしても
自分がその気にならなければおめおめと友好してくれない動物。
しかし、真の猫好きであれば、別に顔を舐めて熱烈歓迎してくれなくても
冒頭画像の「の」の字状態の猫芯にぐりぐり指を突っ込んで、それだけで十分満足なものなのです。

ちなみに、こういう状態のときの猫は何をしてもいいのよ、という鷹揚モードなのでもうしたい放題させてくれます。


さて、先日の猫カフェです。
厳密に言うとお茶を飲みに行ったらたまたまそこに猫が六匹いるのでどうぞご自由に、といった普通感。



こういうところですから、気の向いた猫がテーブルの上にひょい、と乗って、
客のコップから水を飲んでしまうわけです。
これ、猫嫌いが見たら
「ひえええっ」
なんだろうなあ。
猫好きを標榜して彼女に取り入ろうとする男はここに連れてくれば本性が分かるかも。
わかったからどうするか、っていうのはまた別の問題ですが。


そうそう、冒頭の「犬が顔ぺろぺろ」
で、件の男優さんは
「仕事だから犬がそんな好きでなくても好きなふりをしていただけ」というのがばれてしまったわけですが、
そんな犬の熱烈歓迎に全くたじろがず、それどころか大喜びで犬に顔を寄せて
「こりゃ本物だわ」
と感心させられたのは、ローゼン閣下麻生太郎氏でした。

何でも、有名な犬好きだそうです。



やたらつんつんしてここの猫に微妙に嫌がられているエリス中尉。
ちなみにこのとき猫の鳴きマネをしたらお店の人がキッチンから
「何とかちゃんどうしたの?」
ってでてきました。
本物の猫もだまされるくらい上手いんですよ。
数少ない特技の一つですが、今のところ何かの役に立ったということは一度もありません。