スピルバーグの映画の中で無名時代の「激突!」より評価されなかった映画。
なぜかほとんど話題にもならず、なんの賞も貰えなかった映画。
それがこの「太陽の帝国」です。
確かに時間が膨大で冗長に過ぎるとか、何が言いたいのかわからないとかの厳しい評価があるようですが、
個人的には「そこまで口をきわめて罵らずとも・・・」と、かばってあげたい気さえする映画。
SF作家バラードの自伝的小説がベースになっているということで、今この本を取り寄せていますが、
おおよそバラードの少年時代に見たことが盛り込まれているようです。
バラードは上海生まれ。
主人公ジェイミーは、太平洋戦争開戦直前の上海租界で裕福な暮らしをするイギリス人家庭の一人っ子。
彼の憧れは「ゼロセン、ナカジマ」。
いつも日の丸のついた飛行機を飛ばして遊んでいます。
上海にも時おり零戦を見かけるようになったころ、空き地で墜落した日本機(報国と書いてある)に乗り、
空戦ごっこに夢中になったりする「ゼロ戦少年」。
上海に日本軍が侵攻してきた混乱で両親とはぐれてしまった少年は、ワルのアメリカ人
(ジョン・マルコビッチ。この頃すでにハゲてる)ベイシーと行動を共にし、日本軍の収容所に入ります。
これは、無理やり連れていかれたのではなく、食べ物がないので身を寄せたと言っていいに等しく、
ジェイミーは、当初日本軍を見るたびに収容所に入るために
「I surrender!」と駆け寄って日本軍兵士に笑われたりしていたのでした。
もともとゼロ戦のファンであるジェイミーは、日本軍を敵でありながら憧憬の対象にしており、
「戦争は日本が勝つよ。精鋭の兵隊に最新の飛行機」などと言って父親に
「馬鹿な」と怒られたりします。
そんなジム(ジェイミーだったのがベイシーにアメリカ風の愛称を付けられた)が捕虜収容所に到着。
捕虜に素手で滑走路を作らせている(!)飛行場の片隅で整備されている途中の零戦を見つけ、
魅入られたように近づきます。
この零戦が、大戦末期のグリーンに塗られた、どうやら五二型のつもりで、
おまけに大分年月が経っているようにペンキが剥げているのですが・・。
まあ、こういうことに突っ込みだしたらきりがありません。
「やっと会えたね」
と言わんばかりに機体を撫でさすり、身を寄せるジム。
厳格な日本軍人であるナガタ軍曹(伊武雅刀)は見咎めて、銃の安全弁を外します。
いちいち流れを止めますが、ここでまた不思議なことに、ナガタ軍曹は陸軍下士官。
なぜか零戦が置いてある航空基地にいます。
着いたばかりの捕虜に石を押しつけて怒鳴りつけ、女性にもそれを運ばせるという
まるでナチスのユダヤ人収容所のような描写も全く噴飯ものですが、
そもそも上海の租界欧米人をこうやって日本軍は収容していたんですか?
それも航空基地に。
昔は何の疑問も持っていなかったのに、今観ると実に突っ込みどころが多くて困ってしまいますが、それでもエリス中尉がこの映画を庇いたいのは、ひとえにこの次のシーンがあるからです。
(本日画像)
そのとき、今から乗るのか、搭乗を終えたのか。
三人の海軍搭乗員が零戦に近付いてきます。
機体にすりすりしているジムを後ろから眺めて、黙って立ち止まる彼ら。
夕日に逆光になっている彼らの頬は、少年を見て少し緩みます。
機体を背にして振り向いたジムは最高の敬意をこめてイギリス式の敬礼を彼らに送り、
三人の搭乗員は威儀を正して海軍式の答礼を返すのです。
どうしてこのシーンをタイトルにしなかったのか。
ジムが飛行機に手を伸ばすシーンではなくて・・・。
まあ、ここで、このシーンを採用すればきっと各方面からいろんな意見が、
とついつい後ろの事情を勘ぐってしまうようになった自分が、哀しい。
この映画の評論の中に
「描きたいというシーンがまずあって、そのために映画を作ったような印象」
というものがありました。
もう何というか疑いも無く、スピルバーグが描きたかったのは、このシーンであった!
誰が何と言おうと、このシーンがベストだ!
と言ってしまいます。
この「太陽の帝国」The Empire Of The Sun
は、勿論のこと「日本」そのものを指しています。
この後、基地からおそらくこの三人が特攻に出撃するシーンで、隊員が唄う「海行かば」
に合わせてジムが敬礼しながらウェールズの民謡「Suo Gun」(我が子よ母に抱かれて眠れ)
を唄いだす、というもう一つのシーンがあります。
ナガタ軍曹始め収容所の皆さんがそれを見てしんみり(軍曹の眼には涙)というおまけ付き。
日本的なものを美しく描く、特に戦争中のものを、
というスピルバーグの想いは特にハリウッドでは受け入れられにくかったのかもなあ、と今にして思います。
ジムという少年が日本に対して憧れをもっていたのは、ただそれが
「零戦を作った国だから」
「零戦のパイロットがいる国だから」
という子供らしい単純なものであったことに間違いはなく、
映画の最後、この特攻隊が出撃するのと同時に米軍が基地を攻撃します。
(捕虜がいるってのに・・・)
ジムは建物の屋上に上り、目の前をP-51マスタングが通過するのを見て大興奮。
「P-51だ!空のキャデラックだ!いけいけー!」
ジムに向かって敬礼する米軍パイロットを見たジム、もう大喜び。
おめーは何か?
自分の好きな飛行機ならどこの軍であろうが構わんのか?
とついジムに激しく突っ込んでしまうシーンです。
このジムの行動をやたら難しく解釈して映画の評価を下げているむきもありますが、
つまりはこのガキ、もといお子様が単なる「ヒコーキ少年」、だってことが、つまり単純にいうと、
このストーリーのコアだってことなんだと思います。。
そしてこの映画での日本人の描かれ方について。
ナガタのように厳しい軍人もいれば、飛行機を愛する搭乗員、やたら殴る兵隊、
特攻に乗って行く飛行機が故障で飛ばなければ泣き崩れる少年兵、
出しゃばるジムに「こらー」と頭を叩くも厳しく当たらないユーモラスな兵隊(山田隆夫)など、
こんな日本人いるいる、という風に書かれているのですが、何しろ中国人が酷い。
使用人で使われていた時はぺこぺこしているのに、家がカラになった途端家具を盗みだす女中。
(ジムが帰ってきたらいきなり使われていたときの仕返しとばかりにひっぱたく)
街中をしつこく追いかけてきて殴り、靴を盗もうとする少年。
どちらもバラードの体験談だそうです。
当時の中国の民度というものを考えたとき、ナチュラルにこんな奴だらけだろうなあ、
と思うばかりだったのですが、おそらく、ハリウッドにいる中華系アメリカ人にとっては
かなり面白くない映画だったのではないだろうか、と想像されます。
この映画は「戦場のメリークリスマス」にその日本軍の描き方の手本を求めた形跡があり、
やはりビートたけしにも出演の依頼があったそうです。
たけしは
「会いたいなら呼びつけないで会いに来いっていった」
とたけし流の毒舌で断ったことを述解していたそうですが、だれの役だったのでしょう。
伊武雅刀のやった「ナガタ軍曹」か、ガッツ石松の「ドライバーを叱る兵曹」か・・・。
このとき伊武はストイックなナガタ軍曹役を作るためにずっと菜食で過ごしたそうです。
それから、元の自分の屋敷に灯りがともって聴き慣れたレコードが鳴っており、
ガウンを着たようなシルエットを母親のものと思い込んだジムがドアを開けたら、
屋敷から日本軍の士官がわらわらと出てくるのですが、
その人たちがなぜか
スケスケのジョーゼットでできた白い着物に、ねじり鉢巻き、というお揃いのスタイルで
奇声をあげて車にしがみついてくる、という・・・
どこの舞踏集団だよ!
これだけは少し・・いやかなりいただけないなあ、と・・。
ジムを演じているのはクリスチャン・ベールで、このころはかわいらしい子役だったかれも、
最近ではターミネーター4のジョン・コナー役をするにまで成長。
まさに隔世の感あり。
音楽はジョン・ウィリアムス。
画像シーンの後ろに流れる音楽は実に美しく、このシーンをスピルバーグがいかに描きたかったか、
それを証明する何よりの証拠がこの音楽だと思っているのですが、いかがでしょう。