2009年の夏、ボストンのいつも訪れるウェルズリーのブティックで
オーナーと雑談していたときのこと。
イタリア系の初老男性である彼が
「今ダウンタウンでシャネルの映画をやっているよ」
と教えてくれました。
女性でファッションに興味があれば一度や二度は
ココ・シャネルというファッションのカリスマについて
耳にした逸話があると思います。
わたし自身遡れば高校時代から、シャネルの神話をいくつか耳にしてきました。
なかでも、当時の社交界のスターを相手に
華やかな恋愛遍歴を繰り広げていたシャネルが
ウェストミンスター卿の恋人であった時の逸話・・・
豪華客船の旅の途中、船上で卿がある人妻に
ちょっかいを出したのにシャネルが激昂。
機嫌を取るために卿はエメラルドの指輪をデッキでシャネルに渡します。
「ダーリン!」
シャネルは「ありがとう」と受取り、
指にはめてしばしその美しさを楽しんでから、皆が見守る中
指輪をはずして海にポイッと投げてしまいます。
息を飲む周りの客。
あるいは一度このブログでもお話ししたことがある
亡くなったときパリのリッツホテルにはスーツが一着しかなかった
などという神話に、小娘はすっかり参ってしまったものです。
それから幾星霜。
ようやくそのシャネルのファッションを身につけても
何とか見られる年齢に達したわけですが、
積極的にその人生について知ろうというほど傾倒していたわけでもなく、
せっかく教えてくれたシャネルの自伝という映画も
観に行くことなく終わってしまいました。
そして先日、「ココ・アヴァン・シャネル」
というDVDを見つけ、購入したのですが、
この「アヴァン」というシャネルの名前の間に入るフランス語によって
この映画のタイトルの意味は
「ココがシャネルになる」
というニュアンスになります。
まさに、シャネルになる以前の無名時代のシャネルを描いたもので、
しかし、この映画にははっきり言ってまったく面白さは感じませんでした。
というのも、シャネルはもともと貧しい歌手兼踊り子。
面倒を見てくれ、あわよくば歌手として成功させてくれるような
力のある男を漁るためにステージに立っています。
愛もなければ真実も無い「パトロン」との関係は、
そのままシャネルが生きていくための手段であり、
学も無い、生まれつき美貌でもない、貧しい生まれの、
しかし成功への野心だけは人一倍持っていたシャネルにとって
男はそれを叶える手段だったのです。
映画は、この好きでもないパトロンに面倒を見させながら、
周りの夫人たちの帽子をデザインすることから自分の才能に目覚めた彼女が
その最低の生活からのし上がっていく途中経過までを描き、
成功したシャネルは最後に少し出てくるのみ。
シャネルという女がシャネルとして輝きだすのはこの後の話なのです。
高校生のとき胸をときめかした数々のシャネルゴーマン伝説は、
要するにこのみじめな下積み時代のうっぷん晴らしだったのか?
と思わず種明かしをされてしまったような、
寒い後味を感じてしまったのはわたしだけでしょうか。
あのブティックのオーナーがこの映画を薦めるとはなあ、
と何か肩すかしをくらったような気持だったのですが、
この映画について書こうと調べてみると、なんと2009年の同時期に
「ココ・シャネル」という、こちらはちゃんと成功した、
シャネルを主人公にした映画が上映されていたことが分かったのです。
ついでにいうと、シャネルを主人公にした映画は全部で四本作られています。
何度も語られたテーマであるので、監督のアン・フォンテーンは、
ここでシャネル以前を語ろうとしたんですね。
まあ、残念ながらシャネル以前のシャネルには、
歯を食いしばってのし上がるハングリーなサクセスストーリーしかなく、
おそらくシャネル自身は伝記として
隠す必要はないがあまり触れて欲しくない部分だったのではないか
と思わざるを得ません。
余談ですが、語られる本人が死んでしまってから書かれる伝記はしばしば
「いや、それ本人は言われたくないだろう」
と思うものがありますよね。
また次回語りますが、作曲家コール・ポーターの映画「ディラブリー」も、
「本人は決して喜ぶまい」
という語り口なのですが、こちらはその偽悪的な語り口に愛情が見え、
意外な佳作になっている気がします。
しかし・・・これはどうでしょうか。
ここでシャネルを弁護すると、このような出自でありながら
彼女は後年どんな上流階級の人間と接しても決して気後れすることも
卑屈になることも無く、それどころかハイソサエティの権力者を次々に虜にし、
また自らが芸術家たちのミューズとして、
彼らにインスピレーションを与え続けています。
ただの成上がり者で終わらなかったのが彼女の天才たるゆえんでしょう。
シャネルというひとは、決して高潔でも、
高邁な思想を持つ常識人でもありませんでした。
第二次世界大戦中の1940年、
フランスがアドルフ・ヒトラー率いるドイツ軍に占領され、
親独のヴィシー政権下となった際、レジスタンスとして
ドイツ軍による軍事占領に抵抗した結果、戦死したり、
捕えられた末に拷問されたりしていた人たちがいた一方で、
シャネルはドイツの国家保安本部SD局長
ヴァルター・シェレンベルク親衛隊少将と愛人関係を結び、
彼の庇護の下、自堕落な生活を送ったそうです。
本質のみを尊ぶ彼女にとっては、国家や民族の違いなど何の意味も無く、
権力を持ち愛を与えてくれる男がどこの国の人間であっても
意に介していなかったのでしょう。
彼女のファッションは、それまでの慣習や常識から逸脱するような
斬新なアイデアをいつも秘めていましたが、
モラルの規範に納まらない彼女自身の奔放さがなければ、
それは生まれえたかどうかは謎です。
ともあれ、彼女はこのことから、戦後のフランス人には
対独協力者として激しいバッシングを受け、
彼女を最終的に受け入れたのは本国ではなくアメリカだったと言います。
そして、当時のアメリカのフェミニストたちが一様に讃えた
「男の支配に置かれる女であった今までの生き方から
解放されるファッション」
ですが、皮肉なことに、シャネル自身は
そういう思想とはまったく無縁の生き方を選んできたわけです。
つまり、シャネルは自分の欲望のままに生きた享楽的な、しかし天才であり、
その創造が単にファッションにとどまらず、女性をそれまでの動きにくい服から、
延いては生き方から解放した改革者でしたが、
それとても決して彼女が意図したものではなく、ただその研ぎ澄まされた感覚で
そのとき自分が美しいと思われるものを形にしたにすぎなかったのかもしれません。
映画「ココ・アヴァン・シャネル」はシャネル自身が言ったという
「もし翼を持たずに生まれてきたのなら
翼を生やすためにどんなことでもしなさい」
の「どんなことでも」の部分を描いた映画です。
たとえシャネルがそう言ったとしても、それはあくまでも舞台裏であり
観るものにとっても、まるでおせっかいな噂話を
聞かされている気がしないでもないのですが。
ともあれ傲慢な芸術家は、その伝説とともに美の絶対神となりえたのです。
ココ・ガブリエル・シャネルの生み出したもっとも偉大な作品とは、
神となったシャネル自身だったのではないでしょうか。