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映画「五線譜のラブレター」

2011-01-22 | 映画
・・・というタイトルと、この絵を見ただけである内容を想像して読むのをやめてしまう方もおられるかもしれません。
そもそも、このタイトルではそういう「甘いもの嫌い」はこの映画を見る気にもなれないのではいでしょうか。

ところがどっこい、
この映画の一ひねり、二ひねりして同じところに帰って来たと思いきや実はコイル状に上昇していた、
というくらいのひねりが、ただの伝記ラブストーリーとはこの映画を一味違うものにしています。


コール・ポーターという作曲家の名は、もしかしたらジャズに詳しくないと
「はて、それ誰だっけ」
というくらい日本人にはなじみがないのかもしれませんが、
「ビギン・ザ・ビギン」
「夜も昼も」(ナイト・アンド・デイ)
あるいは昔、日曜洋画劇場のエンドテーマに使われていたピアノ曲
「ソー・イン・ラブ」
を耳にしたことくらいはあるかもしれません。


このお話は、イェール大学の法学部を出た大金持ちの天才作曲家が死んだ時から始まります。
死んだポーターの前にガブリエルという禿げた男があらわれます。
かれはこれから始まるミュージカルの演出家で、そのミュージカルのストーリーは死んだ男の一生。

これがこの映画の実に独創的な構成で、演出家と二人でミュージカル仕立てのその人生をコメントしながら振り返るのですが、「自分役」の男優を見てかれはこう言います。

「ハンサムだな・・・気にいったよ。でも歌は下手だ」
「君も下手だったろ」

むっとしたポーターは
「わたしの人生だ」
すると演出家は
「わたしのショーだ」

昔、ケーリーグラント主演のコールポーター物語「夜も昼も」を見たことがあります。
音楽関係者でコール・ポーターに興味がなければ観る気にもなれなかったでしょうが、
確かにべたべたのラブストーリーでした。

この映画を劇中でコール本人は観ます。

「酷い映画だ」

そう、アメリカの良心のような俳優ケーリー・グラントのポーター映画で決して語られなかった部分。
それが実はこの映画のもっとも核心になる問題で、彼の人生の業でもあった部分でした。

彼はゲイだったのです。


「世界で最も美しい女性」
リンダ・リー・トーマスと結婚したコールは、彼女に隠しもせず
「一人の人間や一つの性では足りない」
とうそぶきます。

その結婚は勲章のような、あるいは表向きのカムフラージュであったのかもしれません。
しかし、彼はこういうのです。
「肉体的なことはいつか分かるかもしれないと思っていた。
しかし、精神的には完璧に結ばれていた」

一度結婚して「男に懲りた」リンダは、そんなコールの「男性」ではなく、「才能と人間」を愛し、マネージャーとしての腕をふるい、それなりに彼を愛します。

思いついたら家を一軒ぽんと買ってしまうくらいの富豪であった彼にとっての「誠実」とは、
自分なりの恋愛を楽しみながら、恋人の肩越しにいつも相手を見ていることでした。



この、自分の地位と金を利用してやりたい放題の天才はしかし、彼なりのやり方で妻を愛していたようです。
しかし、そこは享楽的なエピキュリアンの常。
だんだん図に乗りおおっぴらに自分の欲望を満たすコール。

自分のミュージカルに出演した歌手との恋愛、舞台の上から流し眼をする男性バレエダンサーとの忍び合い、
秘密クラブで金で買う若い男の愛、自宅のプールで展開するボーイズ・ハーレム・・・。

男娼とのキスの写真を撮られて強請られるにいたってはさすがのリンダも愛想をつかして出ていくのですが
まるで神が二人をなんとか元に戻すように落馬事故でコールは脚を失います。


そして、帰ってきたリンダをすぐに肺がんで失う日がやってくるのです。
(本日画像)
この映画はエルビス・コステロ、シェリル・クロウ、ナタリー・コール、そしてコール・ポーター本人の
演奏がふんだんにちりばめられたミュージカルの佳作であるのですが
なかでも名曲「ソー・イン・ラブ」に彩られる二人の別れのシーンは映画の白眉と言っていいでしょう。

そしてこのシーンのコールの悲痛な嘆きからは「恋愛だけが男女の愛ではない」と思わされます。
豪奢な生活、芸術家としての栄光、多くの刺激的な禁断の恋。
手に入らなかったものの無いその約束された輝かしい人生において、たった一つ何かを選択するなら、
それはこの妻との間に交わされた魂同士の愛だったのかもしれません。


今回、気づいたことがあります。
昔は気付かなかったのですが、ケーリー・グラントの映画のラストシーンで、
妻と抱き合うコールの顔が決して愛情に輝いておらず、それどころかまるで魂が遠くにあるような
ひえびえとしたぞっとする表情をしているのです。

これは彼の愛情が妻に無かったという「公然の秘密」を当時の映画で表わしていたのでしょうか。


愛を前面で賛美しながらもこんな形でその秘密を暴露していた旧作などより、
この「五線譜のラブレター」(原題De-lovely)の方が、
結果としてはるかにコール本人への愛情と慈しみを感じさせる伝記になっているとおもうのです。


リンダを失い為すべきこともし尽くし人生の目的を失って終了したコールの人生のフィナーレに、演出家は
「吹け、ガブリエル、吹け」(Blow,Gabriel,blow)
を選びます。
次々と出てくる彼の人生の登場人物。
「ガブリエル、君の祝福されたバンドに入って約束の地で演奏したい」

フィナーレのライトは演出家の不思議な微笑みとともに消えます。


そして観客は、この歌詞でこの禿の演出家が、
「死んだ作曲家を迎えに来た大天使ガブリエル」であることに気づくのです。