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映画「パール・ハーバー」の真意

2012-05-04 | 映画

というわけで、観ました。「パール・ハーバー」。
いやあ、さくらさんに感謝です。
もしあのコメントを頂かなかったら、おそらく一生観なかったでしょう。
しかし、このネタ満載、かつアメリカという国を語る上で、こんな面白いテキストは無いと。
でも、これ劇場で観ていたら、爆笑をこらえることができず大変だっただろうなあ。

さて・・・・何から書きましょうかね(笑)

まず、この映画の興行的な目的、から行きましょう。
従来の「タイタニック映画」に恋愛という要素を加味し、監督自ら「これは恋愛映画だ」と
胸を張った映画「タイタニック」が記録的なヒットを飛ばしたので、つまりは
「戦争を舞台にした恋愛映画、どちらかというと恋愛がメイン」にして、
柳の下のいないドジョウを探してみた、とまあこういうことではないかと思います。

勿論、恋愛の添え物にするにしても、タイタニックレベルにお金もかけて、できるだけパニック
(というか戦闘シーン)をリアルに描き、どちらがメインかわからないまでに映像を凝る。
その迫力シーンと、美男美女を配した、女性が涙するラブ・ストーリー(悲恋が尚よし)
を組み合わせれば、タイタニックのように賞を総なめするのも夢じゃない!

きっと、マイケル・ベイは、「I'm the king of the world!」と言って思いっきりスベった
キャメロンの轍を踏むまいと、アカデミー授賞式のスピーチまで準備していたに違いありません。

ところが。

アメリカ人の興行映画製作者が思うほど、世間の人々は馬鹿ではなかった。
さっそくこの映画は賞は賞でもゴールデン・ラズベリー賞に各部門全てノミネートされるという
栄誉に輝き、アメリカの評論家からも酷評され、公開後10年以上経つのに
いまだにアンチ・スレッドがあちこちに立っているという・・(世界レベルで)

マイケル・ベイの失敗。
それはタイタニックにおける豪華客船沈没、という「実際に起こったパニック」として、
「戦争」という、取り扱い要注意のテーマを選んでしまったことにあるのです。

あまりにひどい軍事考証もさることながら、なんといってもこの間抜けなくらいおめでたい
アメリカバンザイの史実捏造、都合のいいところだけ抽出、あくどい印象操作。

おまけに頼みの綱のラブ・ストーリーとやらが・・。
後年「トランスフォーマー」で描いたところの、「ダメ高校生の時は相手にされないが、
ヒーローになったらとたんにモテモテ」みたいなのが、しょせんベイ監督の恋愛観ですからね。
結果、ヒロインのあくどい調子の良さと、それに引っ掛かって翻弄される腑抜け男二人、
誰にも同情できない恋愛模様となり、これも酷評の原因となってしまいました。

因みに、先ほど息子に、ユーチューブにあがっている映像につけられたコメントを
読んでもらいましたが、アメリカ人のほとんどがいまだに無茶苦茶に貶しているそうです。


ハリウッドの勧善懲悪的描写によると、これまで常にアメリカは正義、アメリカは善、
そして、ロシア、ナチス時代のドイツ、最近はアラブや中国、北朝鮮(この辺は仕方ないけど)
は常に悪の組織として描かれていました。
その矛先が、この映画では日本に向いた。ということのようです。
しかし、インディアナ・ジョーンズならいざ知らず、実際に起きた戦争を一方的な勧善懲悪で
描くなんて、情報がくまなく全世界を駆け巡るこの現代において、全く無謀というものですよ。


日本の攻撃をアメリカは事前に察知しており、ルーズベルトが「先に銃を撃たせる」として、
あえて真珠湾を見殺しにしたことなど、いくらアメリカ人でも皆知っていますし、
「真珠湾が計画された奇襲ではなかった」ことも、東京裁判において明らかになっています。

にもかかわらず、この映画は、日本の軍令部の攻撃作戦会議で、山本長官に
「真珠湾に奇襲を行う」
などとしょっぱなから言わせてしまっているのです。
もうこの時点で、映画の目的は見え見え。

劇中、何度もこの「卑怯な奇襲」という言葉は繰り返され、極めつけが
「第三次攻撃を行わないと決めたのが、何故か機動部隊の旗艦に乗った山本長官で、
その理由が『第三次攻撃はもう奇襲になりえないから』

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

だそうですよ。日本の皆さん。
「トラ!トラ!トラ!」では、日本の大使館の通達の遅れた理由をちゃんと説明していましたが、
アメリカ人、よっぽどあの映画が嫌いだったんですねえ。
この映画ではそれはまるでなかったことになってしまいました。

この映画、アメリカの評論家には
「第二次世界大戦のことを何も知らない観客のために、何も知らないらしい監督が作った」
と酷評されました。
いくらアメリカ人でも、まともな見識というものを持っていたら、このあからさまな誘導捏造に
うんざりしたのではないでしょうか。

というわけで、この映画は「アメリカの国策映画」だと位置づけてしまいます。
国策映画。すなわち以前(怒りながら)紹介した「東京上空30秒前」みたいなものですよ。

そう、戦時中に戦意高揚映画として作られたこの「ドゥーリトル空襲」の映画が、
逃げ回る日本の小学生を撃ち殺して、墜落後、日本で処刑になった搭乗員については触れず、
あの攻撃が、ドゥーリトル隊を、いわばスケープゴートにした大統領の政治行為であったことを、
全く糊塗したまま、ただ英雄的行為に描かれていたように、
実はこの映画は、「ドゥーリトル空襲」を正当化することが、一番大きな目的なのです。

パール・ハーバー、というタイトルにはなっていますが、実は後半は「東京大空襲」なのです。
看板に偽りあり、です。
きっかり半分、テーマが違うのに、なぜタイトルを「パール・ハーバー」にしたのか。

それは、アメリカ人のトラウマであるところのパール・ハーバーを、思いっきり悲劇に描き、
「これだけ酷いことされれば、東京を空襲して(ついでに子供を殺しても)当たり前」
いや、・・・実は、こちらがメインだと思うのですが、
「原子爆弾投下は正義だった」
と思っている(思いたい)アメリカ人の言いたいことを言ってあげますよ!というのが、
国策映画としての、アメリカの愚民に向けたメッセージだからです。

というわけで、真珠湾攻撃のシーンは、皆手も足も出ずただやられるシーンが、これでもかと
長丁場で続きます。
映画は調子に乗って、病院や街を歩いている一般人を航空機が攻撃したことにして、
非戦闘員を殺しまくる非人道的な日本軍が描かれます。
実際は諜報の誤りでそういうこともなかったわけではなかったのですが、ここを思いっきり強調。

日本軍の激しい攻撃に為すすべもなくやられるアリゾナ、人が甲板から滑り落ち、
そして水中にすでに溺死した兵の死体が漂う様子が、海面に向けたカメラで撮られ、
その悲劇が映し出される画面には、荘厳な合唱曲風のいとも厳粛な音楽が(ハンス・ジマー)


・・・・・・・・あれ?


「タイタニック」?

うーむ、カメラワークまでそっくり真似をしておる。恥を知れ恥を。
しかも、そのあと、覚醒した?主人公のパイロットが、共に飛行機に
飛び乗り、敵機をバッタバッタ撃ち落とすときには、勇ましい曲調へと・・・(恥ずかしすぎ///)

またこいつらが、一機落とすたびに「ヒーホー」とか「ヒャッホー」とか、
馬鹿みたいに叫ぶの何とかしてくれんかね?
この攻撃に参加した零戦隊が、どれだけベテランの、選りすぐりだったと思ってんの?
さっきまで女を取り合って喧嘩していたような奴や四六時中女のことしか考えてないような連中に、
しかも機銃で撃ち落とされたりするような間抜けな日本機はなかったんだよっ!(激怒)

実際には艦爆を撃墜した10機近くパイロットが二人いたらしいけど、これだけは断言する。
それは君たちではない。

この映画における表現の酷さは、稿を別にして(やっぱり)続編を書くつもりでいるのですが、
それにしても、この映画、日本の描き方の酷さもさることながら、
アメリカの若者の描き方も無茶苦茶です。

女の尻を追いかけることしか考えていない士官、口紅を真っ赤にし、髪を振りみだして
仕事をする看護婦、また彼女たちも、どうやら男のことしか頭にない様子。
そもそも、ヒロインが主人公のレイフに最初に関心を持った原因が「cute butts」ですよ。
そんなことだから、恋人が死んでたった三ヶ月で他の男に乗り換えられるのかね?

この恋愛模様の酷さも、あちこちで酷評されており、誰にも一片の同情できない恋愛として、
今後映画界の金字塔となるのではないかと思うわけですが(勿論イヤミ)、
このどうしようもない恋愛ストーリーをてっきりウケる話だと思い込んだのも敗因の一つかしら。

さて、愚民向け映画ですから、分かりにくい話は抜きで、この映画における第二次世界大戦とは

真珠湾攻撃は日本の卑怯な騙し打ちだった

皆酷い目にあった

だからルーズベルトは東京大空襲を計画した やられたらやり返すのがアメリカだ

この空襲がきっかけで勇敢なアメリカ人たちは前に進み、日本人は逃げ惑った
(ラストシーンのナレーションそのままお送りしています)

アメリカは勝った 正義だったからだ

なんだそうです。

ちょっと待て。
戦況の転機となったのは東京大空襲ではなく、ミッドウェー海戦ではなかったか?
真珠湾の仕返しは東京空襲ではなく、広島と長崎への原子爆弾投下だったのではなかったか?

などとこの映画に突っ込んではいけません。
東京大空襲で攻撃したのが軍需工場だけ、という描き方をしていますが、
小学生を追いかけて機銃掃射し殺したのも、一般住宅を焼き払って、その結果非戦闘員が
何万人も死んだのも、ましてや原爆で無差別殺戮したことなど、彼らにはないことになっています。

真珠湾攻撃が軍事施設だけを攻撃対象にしたのに対し、東京空襲、原子爆弾、そして
沖縄戦、本土空襲に至るまで、アメリカは常に非戦闘員を攻撃してきました。
そのこと自体は責めるに当たらないでしょう。
戦争だったんですから。

しかし、自国のそういう面は全く無かったことにして、日本だけがそれをした、という嘘八百を
堂々と胸を張って言い募るこの態度は、まさに、戦後も常に他国と戦争を続けてきた、
世界一の好戦国家だけのことはあります。

そこでふと考えたのですが、この映画が発表された2001年。
アメリカでは同時多発テロが起こっています。
この映画を観て、アメリカに対する愛を深めた(大笑)アメリカ人たちは、その数カ月後、
国家的な悲劇を目撃することになったわけです。

あれはイスラムのテロではなく、ブッシュ政権が仕組んだ壮大な自演だったのではないかと
いう説があり、わたしはそれをほぼ信じているのですが、その理由は、アメリカという国は
歴史をみても、そしてこの真珠湾で起こったことをみても、戦争を起こすためなら
国民の命を犠牲にすることなどためらいもなくやってのける「二重国家」だからです。


予想通り、911が政府の謀略だったとして、計画はこの映画の何年か前にはできていたでしょう。
政府筋が
「真珠湾をテロとして描き、それに立ち向かう強いアメリカ、やられたらやり返せ、
といった調子の大作を皆が楽しめる娯楽作品として作ってほしい」
と、ユダヤのネットワークを通じて映画界にオファーを出し、
この映画が5月に公開されたのだとしたら・・・?

その後、ご存じのように、9月に同時多発テロが起こります。
皆がこの映画によって知った真珠湾を想起し、「やられたらやり返す」つまり、
ブッシュ政権がテロ国家に対して宣戦布告をすることに、賛同する空気の醸成は、
少し前にこの映画によって主に愚民の間には準備されていたということになります。

たかが映画でそんなことをするだろうか?って?
あなたは、アメリカの底しれない黒さを、そして映画界の大元が深部でどことつながっているかを
ご存知でしょうか。
マスメディア、なかでも映画が政治がいかに裏で手を結んでいるかは、
ナチス政権のゲッベルスの暗躍を例に出すまでもなく、公然の事実なのです。
ましてやアメリカのような国で、プロパガンダが大衆に向けて行われないはずはありません。

わたしの言えるのは、もしわたしが戦争の布石を打つための壮大な自演を企んでいたら、
当然ながら、国民に対する啓蒙をメディアに準備させることも忘れないだろうということです。
この自演の計画の中心に多数いたと言われるユダヤ・ネットワークを使って。

マイケル・ベイは、おそらくこの企画を「タイタニックに続け」とばかり持って来られて、
当初何も考えずその気になってしまったのでしょう。
「俺はやめる!」と4回も製作者(J・ブラッカイマー)に向かって宣言するも虚し。
勢いと成り行きで映画はできあがってしまいました。

ふと気づけば、映画の配給先としては超ビッグな市場である日本の存在をあからさまに貶め、
皆が頭を抱えているのが見えたけど、作っちゃったからにはもう開き直るしかない。
みょうちくりんな日本軍の描写については
「あくまでもわたしのイメージからそうした」と言い張り、さらにこの噴飯映画を日本に売るために
「これはあくまでもラブストーリーだ」と、キャメロンと同じことを、全く別の意味で表明しました。

この映画は、本国の試写会から日本の報道関係者を一切シャットアウトして行われ、
さらに、真珠湾攻撃に向かう日本機の搭乗員が、野球のグラウンド上空を通過しながら
「逃げろ!」
と日本語で叫ぶシーンが、試写会ではカットされていたそうです。

要するに、「ドイツ向け」「日本向け」そしてオリジナルの三パターンが用意されたというのが、
この映画に関わる人間の恥知らずぶりを物語っています。


因みに、この映画がノミネート、さらに受賞した栄えある賞を最後に載せておきます。


第22回ゴールデン・ラズベリー賞

ノミネート:最低作品賞
ノミネート:最低リメイク・続編賞
ノミネート:最低監督賞[マイケル・ベイ]
ノミネート:最低脚本賞
ノミネート:最低主演男優賞[ベン・アフレック]
ノミネート:最低スクリーンカップル賞
[ベン・アフレック&ケイト・ベッキンセールかジョシュ・ハートネットのどちらか]

(↑これ・・・・・・)

第24回スティンカーズ最悪映画賞

受賞:【最悪な総収益1億ドル以上の作品の脚本】部門

ノミネート:【最悪の作品】部門
ノミネート:【最悪の演出センス】部門[マイケル・ベイ]