皆さん、洗濯はお好きですか?
好きも嫌いも、洗濯ものをぽいっと洗剤と共に放り込んだら、後は皆洗濯機がやってくれるので、
歯磨きのようにルーチンとして何も考えずにやってるよ、という方がほとんどでしょうか。
わたしもその一人ですが、それなりのこだわりもあって、
「新聞の勧誘が配るようなア●ックやア●エールなどの合成洗剤は断じて使わない」
「EM発酵物質でできた洗剤の働きをするモノ(マザータッチ)を使う」
というもの。
環境に優しいマザータッチは部屋干ししても決して臭ったりしませんが、
襟袖の汚れが取れませんので、予備洗いが必要です。
そして無臭なので、時々ファブリックミストを入れて、かすかな香りを楽しみます。
こだわっているといっても、家事のうちに入らないほどお手軽。
本当に良い時代になったものです。
電気洗濯機が日本で販売されたのは1930年のことです。
一般家庭向きに製品化されるのが戦後1953年(昭和28年)のことですから、
一台あたりの値段が高かったとはいえ、さすが最新先取の海軍、洗濯機搭載のフネもありました。
戦艦、巡洋艦(妙高型、高雄型、最上型、利根型)航空母艦、水上機母艦(千歳型)、
潜水母艦(韓崎、駒橋除く)特務艦間宮
こうしてみると結構な数のフネが洗濯機を乗せていたようですが、
全体の数から言うとごくごく少数派。
ほとんどの日本の主婦がそうであったように皆洗濯は手で行っていたのです。
映画「ああ江田島海軍兵学校」には、兵学校の洗濯シーンが挿入されています。
もちろん冬でもお湯など出ませんから、水道の蛇口の下にオスタップ(wash tub=洗濯桶)
を置いて手でごしごしやって、手で絞って広げて干すわけです。
干す時はしっかりパンパン叩いて皺を伸ばして干すと、乾く頃にはアイロンをかけたように
ピンと伸びています。今も昔もこれは同じ。
アメリカに住んでいると、どこの乾燥機も馬鹿でかいので仕上がりが良いのですが、
日本の乾燥機はどうしても丸まってシワっぽくなってしまうので、わたしは、ほとんどのものは
家事コーナーに部屋干しして、タオルなどふわっとさせたいものだけ、8分くらい乾いたところで
乾燥機にシートと共に放り込んで、仕上げます。
わたしの洗濯はともかく、今日は、洗濯機のないフネの洗濯についてお話しましょう。
フネの規模によっても違ったのかもしれませんが、洗濯日は週に二回。
大型艦では火曜と金曜は洗濯日、と決まっていました。
明日は洗濯、という前の日には全員下着から靴下にいたるまで取り換えて待機。
その朝には当直員が食事の前に洗濯ラインを張っておきます。
フネでは水は貴重品。
洗濯用の水を配給によって受け取るのですが、一人あて二升(約3.6リットル)が割り当て。
しかし、きっちり一人一人が二升ずつもらってくるのではなく、
二升かける分隊の総員数を、隊で手分けして持ち帰り、皆で仲良く使用します。
「水配給!」の号令一下、各分隊食卓番の若年兵が、水配給所までオスタップをかかえて走り、
分隊ごとに決められた露天甲板に運びます。
オスタップは亜鉛製で、高さ40センチくらい、円筒形で、入れ子にして収納できるように、
大(60センチ)中(50センチ)小(40センチ)の三種類がワンセットになっています。
木でできたオスタップもありました。
フネの中で使用される水飲料水は真水ですが、洗濯に使う雑用水は海水を蒸留して作ります。
雑用と言えども無駄にできるものではありません。
こぼさないように細心の注意を払って洗濯場所に運びます。
洗濯板の上に洗濯ものを重ねて乗せ、揉み洗いで水を極力使わずに洗います。
洗濯板の支給されない艦は、甲板が直接洗濯板。
手でこすったり、足で踏んだりして洗い、オスタップですすぎをします。
これも、下士官からで、古参兵、兵の順番はきっちり守られます。
「新三」にたどり着く頃には、すすぎに使うには少し・・・、という状態になっていたそうです。
南洋を航海するフネは、遠くに雨雲を発見すると「雨雲ようそろ」でそちらに向かって舵を切り、
シャワーと洗濯をしたそうです。
このように、なかなか希望通りに洗濯ができるものではないフネの上では、
水を盗んででも洗濯をしたーい!と渇望する潔癖症や綺麗好きが、時には事件を起こしました。
ある艦の食器消毒室の水タンクが毎晩盗まれていることが発覚しました。
バルブを、まるで「あしたのジョー」の白木葉子さんのように、針金で厳重に縛ってみましたが、
減量でへなへなになっている力石徹と違い、元気一杯で水のためなら何のそのの犯人、
たちどころに針金を切ってしまいます。
消毒用ですから、水の種類としては上等のもの。貴重な貴重な水です。
「許さ~ん!医務科の科学捜査力を駆使して犯人捕まえちゃる!」
このタンクの所管は軍医長です。
その日の朝、甲板士官と医務科下士官によってこっそりタンクに仕込まれたのは着色剤。
よくはわかりませんが、おそらく石鹸のアルカリ性と反応して赤くなるものでも入れたのでしょうか。
(リトマス試験紙はアルカリが青、でしたよね?・・・うーん、何だったんだろ)
たちまちホシは挙がりました。
倉庫のロッカー裏の物陰に、赤い下着、赤い手ぬぐい、赤い褌に赤い靴下が、
恥ずかしさに赤面するかの如く干されていたということです。
そして犯人の二水がこの後どのようなお仕置きを受けたのか、それは語る者さえなく・・・。
(合掌)
井上成美大将の比叡艦長時代、従兵がバスタブで洗濯をして、という話をしたことがありますが、
このクラスの偉い人は勿論士官には従兵が付き、洗濯、繕いもの、被服の手入れ一般、
皆やってくれます。
しかし、いくらそれが仕事とはいえ、士官将官は褌まで従兵に洗わせていたのだろうか?
かねがね、気になって仕方がなかったこの一点について書かれた記述を見つけました。
どんがめ乗りの潜水艦勤務について書かれた本で、これによると
「士官は普通は褌は使い捨てだが、ここではそんなことをする士官はいない」
つまり、潜水艦という、フネの中でも身分の上下に差のないアットホームな運命共同体では、
士官も使い捨てにできない褌を始め、洗濯を自分でするのだということなのですが、
そうかー、使い捨てだったのか。
三四三空の菅野大尉が、ここぞという出撃には皆新しい下着で臨むのに、
「また帰ってくるからな」
と言って、本当か嘘かチェンジ無しで出撃していた、という話もありましたが、
何日か着用、洗濯せずにポイ、というのが士官次室士官以上の褌事情だったようです。
下着は他人に洗わせるな、というのが昔の日本人の嗜みというものでしたから、
これを読んでほっと胸をなでおろした次第です。
さて、ドライクリーニングとはご存じのように油で以て油を制す方法、
つまり水では落ちない油汚れを油で落とすクリーニング法です。
これをなんと、当時ガソリンでやっちまっていた部門があります。
整備科です。
余りのガソリンをチンケース(ガソリンタンクを半分に切ったもの)に入れて、
油だらけの作業着を入れ、ちょいちょいと棒でつついて、クリーニング終了。
こんなことにその一滴は血の一滴とまで言われた貴重なガソリンを使っていいものか?
しかし、彼らはそれをよくよく知りつつも「皆でやればこわくない」とばかり、
若干の後ろめたさを感じながらもついついやってしまっていたそうです。
そういえば搭乗員の着る飛行つなぎ、あれも相当ごわごわして、手洗い洗濯が大変そうですが、
一部の噂によると、搭乗員の皆さんは「やたらガソリン臭かった」とのこと。
もしかしたら「ドライクリーニング」してたのかしら、と勘ぐってみましたが、
まさか飛行機乗りがそんなガソリンの使い方をするわけありませんよね。
それに、ドライクリーニングは水溶性の汚れ(汗とか)は落とせないんですよ。
エリス中尉愛用のマザータッチならどちらもある程度落とせますけど。
ご参考までに。