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「零戦黒雲一家」~裕次郎映画

2012-05-23 | 映画


石原裕次郎がスーパースターであるということに、昔はかなり疑問を持っていました。
「太陽にほえろ!」で足を使って事件を解決する部下の皆さんを尻目に、デスクに貼りついたまま、
最後に部下をねぎらって煙草に火をつけてやるだけの簡単なお仕事の割にやたら偉そうな、
でっぷり肥った中年男。
ほっぺたはたるんでるし、歯並びは悪いし、こんな醜男のどこがスーパースター?
と正直、亡くなったときにはその大騒ぎぶりに奇異な思いすら抱いたものです。

それは、わたしが「裕次郎の時代」を生きていなかったからだ、ということに気がついたのは、
彼の死後一斉に放映された出演フィルムをちゃんと観たときです。

林真理子の著書「RURIKO」(浅丘ルリ子のこと)には、
「歯並びも悪くハンサムと言えない造作でありながら、会った人を不思議にとりこにしてしまう、
天衣無縫で天真爛漫、爽やかだが強烈な磁力を持つその微笑み」について、
やはりその魅力のとりこになった主人公浅丘ルリ子の目を通して、裕次郎の魅力が語られています。

確かにあの若い時の特異なスター性は認める。
しかし、やっぱりそれほどのものだろうかと思い続けて幾星霜。
初めて「裕次郎の戦争もの」であるこの映画「零戦黒雲一家」を観ました。
いや~。面白かったですよ。

信憑性とかリアリティは冒頭の絵を見てもおわかりのように、つまみにしたくともない、
荒唐無稽な不謹慎戦争映画なのですが、もういっそここまで突き抜けてくれれば、
全てが許される、ってレベル。


皆さまは「神様部隊」という言葉を聞いたことがありますか?
何らかの理由で海軍刑務所で「臭い飯」を食ってきた「懲罰下士官、兵」ばかり集められた、
「特殊部隊」が海軍には在りました。
お勤めを終えて出てきたらさりげなく一般兵に混ぜることをしないで、
そういう前科者ばかりひとところにまとめてしまう、というのが海軍式だったようですが、
彼らには必ず神棚に向かって手を合わせることが義務付けられているため、
「神様部隊」と呼ばれたようです。(未確認情報)

許可を得ないで零戦で敵基地に着陸し、
基地を爆破して懲罰対象になった破天荒な海兵出の中尉、
谷村雁(ガン)
南洋の孤島に島流し同然にされた「神様部隊」の隊長として赴任してきます。

因みに、何をやらかしたのか知りませんが、海軍兵学校を6年で出た、という設定。
これはありえない設定で、なんとなれば兵学校は病欠以外の留年を認めなかったからです。
留年しなければならなかったのが学業成績ならば、退学処分が相当。
谷村生徒がそうだったということになっているらしい「素行不良」であれば、瞬時に放校です。
アウトローでも何とかなるような甘い組織じゃなかったのよ、ガンちゃん。


それはともかく、さっそくタチの悪い彼らは谷村中尉をナメてかかりますが、
彼らの前で邀撃に上がった中尉がバタバタと敵機を落としたうえ、
米機を生け捕りにするのを見て、舌を巻きます。

ここでのこれまでのボスは、上官暴行罪で少尉から下士官に格下げされた八雲(二谷英明)



現状を拗ねて、荒くれ者たちとともに与太をまく毎日。
ある日、この島に大事件が起こります。

沖で撃沈された輸送船から、女性が流れ着いたのです。

日頃全くやる気のない見張りが「女だ~!」と叫んだとたん、
総員が眼を血走らせて、浜辺に向かって全力疾走。
沖に向かって何隻もが必死で舟をこぎ出します。
松葉づえの病人すら杖を放りだし・・・と、阿鼻叫喚。
ここで、今後の展開が「アナタハンの女王」になるのではないかと一瞬心配したのですが、
勿論、さわやか裕次郎映画ですからそんなことには決してなりません。

女性は奈美といい、元歌手。
慰問に訪れた戦地で将校に暴行され、それに怒って相手を殴って罰せられたのが
少尉だった八雲だったのです。
自暴自棄になり、今や苦界に身を沈めて慰安婦となっている奈美の姿に、八雲は苦悩します。

島には敵が飛来するようになり、それによる戦死者もでてくるようになりました。
いまや心を一つにした部隊は、隊長のもとに激しい敵来襲に反撃しますが、被害は増えるばかり。
しかしついに、谷村中尉が赴任以来送り続けた電信文を伊潜がついにキャッチし、
救出のため沖に浮上、皆は伊潜に乗り込みます。
定員一杯で島に残ることを選んだ谷村中尉と八雲上飛曹を残して・・・・・。
空を埋め尽くすような敵機に向かってたった二機、敢然と向かっていく零戦。

「今度は平和な時代に生まれてこようぜ!」



映画が始まって、裕次郎が出てくると、当初こそ
「やっぱりハンサムとかイケメン、ではないよねえ・・」
と、つい例の口許に眼が行ってしまい、納得いかない感がこみあげるのですが、
アラ不思議、零戦を駆って敵をバッタバッタ落としたり、荒くれ集団と渡りあったり、
捕虜のアメリカ人と英語で罵りあったり、奈美さんに爽やかに説教したり、
何故かみんなの真ん中で太鼓を叩いてみたり(嵐を呼ぶ男?)している裕次郎を見ているうちに、
なんだかすっかり好きになってしまっているんですよね。




やっぱり・・・・・かっこいい・・・・?



伊潜に乗り込む皆に向かって最後の敬礼をする谷村中尉。
こりゃー、あれだわ。かっこいいわ。
そしてなんていうんでしょう、どこか「かわいい」んですよね、この人。

てな具合に、スーパースター裕次郎の実力を思い知って終わったこの映画です。
二谷英明以外は、ほとんどバイプレーヤーだけで固めたこの映画、
映画として形がすっきりして見やすいのは、この「与太者部隊」の面々のキャラが立っていて、
漫画を見るような面白みがあるからだと思います。
つまり、脚の長さで張り合うため(というか少しでも見劣りしないように?)
異常にハイレグのショートパンツ一択で頑張っている二谷英明以外は、全くの脇役に徹する
役者ばかりで、裕次郎をひたすら盛りたてるためのキャスティング。

戦争映画というより、これは戦争を舞台にした「裕次郎映画」であると位置づけられるでしょう。

とはいえ、1962年度作品でありながら零戦の離発着など見応えもあり、
裕次郎も、その他の(一応)軍人も、所作はそれなりにやっているし、
無茶苦茶は無茶苦茶なりに筋が通っているので、観ていて非常に気持ちのいい映画です。

ただ・・・、冒頭の主題歌。
映画音楽を手掛けた佐藤勝作曲による、裕次郎の歌付き主題歌「黒いシャッポ」
(シャッポとは、フランス語のシャポーからきた当時の帽子をさす単語)
これが、おそろしくヘンな曲です。

「飛べよー零戦ー」
なんて文句が入っているので、ヒットさせるために作ったのではないとは思いますが、
垣間聞こえる歌詞の意味も、さらに音楽的な構成を見ても、全くわけわかめな曲。

しかし、この妙な曲が裕次郎の声で歌われると、これもまた
「あれ?ヘンな曲な筈なのに、なんだかよく聞こえね?」
とついつい妙に納得してしまうんですね。

劇中、ドモリの従兵さんに(この人もいい味出してます)背中を流してもらいながら、
裕次郎がいい気分でこの曲を唸るのですが、あの裕次郎声でアカペラの伴奏なしだと、
さらにいい曲っぽい。

存在そのものが説得力のカタマリである裕次郎、
歌も上手すぎて、駄曲をも名曲に錯覚させてしまいます。

さすがに昭和の大スターといわれただけのことはあると感心することしきり。

ところで、これを言いだすと話が成り立たないのですが、
この島は拠点でも何でもないので、全く敵の襲来を受けないっていう設定。
・・で、この部隊、伊潜に撤収してもらうまで、何のためにここに駐留してたの?
本当に犯罪者の島流し?