ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

海軍軍楽兵の憂鬱

2012-05-03 | 海軍




相変わらず気の毒ないかつい水兵さんです。
あれから三年経過し、かれも今や善行章一本の上等水兵。
少しは大きな顔もできるようになったとはいえ、まだまだ上にはたくさんの上官がいます。
下士官には無条件で先んじて敬礼をする立場なのですが、今日は
下士官そっくりの軍服である軍楽兵(下っ端)に間違えて敬礼してしまいました。
よくあることなので、軍楽兵はこんなこともあろうかと、上官水兵を見かけるとマッハの素早さで敬礼します。

「なんだお前軍楽兵じゃないか」
「間違えたのはそちらでしょう」
「ぬあにぃいいい」

という、どう考えてもそれ以上責めようのない口答えをされて

「ぐぬぬぬ」

と引き下がる慌て者の水兵は結構多かったそうです。

軍楽兵は、兵のうちから7つボタンのスマートなジャケットの制服を与えられておりました。
軍帽も下士官のものとそっくり。
「オケラの羽みたいな短い上着」も、ネオンなど無い頃で今ほど夜が明るくなく、
さらに一杯入っている目には見逃されがち。
軍楽兵は人数が少ないので、実態が一般の兵にとっては謎、と言うのもあったでしょう。

それでは一般の兵は軍楽兵をどう見ていたのか。
ただでさえ音楽なんぞ女子供のするもの、という風潮だった当時、
「笛吹いて国に御奉公できるんなら、按摩だってできらー」
と陰口を叩かれても不思議ではありません。
案の定「ラッパ吹いてりゃいいんだから楽じゃのー」
などと言われ、ムカつく軍楽兵はたくさんいたようです。

しかし、そういう揶揄はともかく、万人の認めるところであったのは

「軍楽兵に醜男はいない」

というこの一事でした。
「海軍上層部はもちろん皇族、外国使節列席の場でも演奏し、
練習艦隊と共に諸外国訪問の機会がある軍楽隊」ですから、
鬼瓦のようなのや超個性的な楽員がいて、注目を集めてしまっては困ります。
それになんといっても、軍楽兵の仕事の一つに「電報の取次」があり、司令長官と直接接するわけですから、
人相は悪いよりいいにこしたことはない、と人選をした結果、一般兵からは
「ハンサムばかり」
という評価を得ていました。

事実、楽団員の写真を見ると、見事に平均以上の容姿で、しかも体型も揃っています。
そして必ず何人かはかなりの「眉目秀麗」が混じっています。
このようなイケメン軍団が繰り広げる軍楽行進のかっこよさににひとたまりもなくしてやられ、
軍楽隊に入団をアツーく希望する青年もいました。

・・・・・楽器など全くできもしないのに。

しかし、以前も書きましたが、今とは違い、一部富裕階級の子息ならともかく、
ほとんどの日本人はハーモニカ以外のちゃんとした楽器など見たこともない、という時代です。
やる気と熱意さえあれば、あとは容姿チェック、そして楽器に向いているかのチェック。
歌を歌わせて音痴でなければそれで合格させてもらえました。
そして、歯並びや指の長さ、唇の厚さや身体の大きさに応じて楽器を決めるわけです。

「木下!」と呼ばれた。いや、怒鳴られたと言った方が当たっている。
「立ってみろ」「歯を見せろ」「以前の学歴は」・・・そんな質問の後、Gベース・トロンボーンと決められた。
実に教員一名、被教育者一名という隊内でも珍しい存在となった。(中略)
それは一対一で「気をつけ」「敬礼」に始まり「気をつけ」「敬礼」に終わる日課であった。

音楽どころか、気を付けと礼の繰り返し。
これも、躾がまずできていないと話にならない配置であることからでした。

新兵教育中の6か月は、他兵科と同様、一般陸戦はもちろん、カッター漕法、銃剣術、剣道、
体育
の教育課程を受け、同時に週一回筆記試験(楽典、音感、英語、数学、国語、常識問題)もあります。

全くの私事ですが・・・・・音楽大学を受験していた高校時代を思い出しました。
学校の勉強と受験勉強に加えて、本科の勉強、そして副科のピアノを一日3時間。
(休日は8時間)
我ながらよくやったけど、まあ、わたくしの場合、海軍精神注入棒は飛んでこなかったわけで。

その後、新兵としての訓練は
楽典、唱歌(コールユーブンゲン。うわあああ、このころからやってたのか)
専修楽器奏法、手旗信号、手先信号、艦内応急訓練法(フネの中では応急看護もする)、
遠泳を主体とする海上訓練(フネに乗りこむからですね)

そしてようやく、楽器を配布されます。
海軍のマークが燦然と刻み込まれたこの楽器を
「軍楽器は兵器である。取り扱いは兵器と同様特に細心の注意を払うように」
と厳かな命令と共に受け取るのです。

しかし、決められた楽器が必ずしも簡単に習得できるものとは限らない、
と言うことを以前「楽器決定」の日にお話ししました。

ジョンベラのK氏は、同郷で軍楽兵になった幼馴染に再会します。
野良着しかみたことのない幼馴染の7つボタン姿に、見違えたなあ、と感心するも、
クラリネットを割り当てられたその友達は
「えらいところに来てしまったよ・・・・見てくれ、この唇を」
見れば下唇の内側に前歯がそっくり入るような傷があり、出血しています。
「痛いだろう」
「当たり前だよ、痛いよ。でも、俺だけじゃなくてみんなこんなもんだよ」

文字通り軍隊式で楽器を習得させるのですから、楽器の咥え過ぎで血が出るくらいは当たり前、
へまをしたりいつまでも音が出ないと
「練習室の防音壁が血で染まる」くらい、バッターで殴られます。

罰直は例えば「各自の楽器を頭の上に捧げ持ったまま直立」。
フルートやオーボエはまあいいとして、チューバやユーフォニウム奏者はさぞわが身の不運を嘆いたことでありましょう。

トロンボーンを割り当てられた某氏はスライドで音程を作るこの楽器は初体験。
竹を拾ってきて針金の押さえをを作り、釣り床の中でこっそり練習しているところを見つかり、
「この意気を見習え!」とおおいに褒められます。
しかし、これを見習った班の全員が竹の棒を釣り床に持ち込んだまま寝てしまったそうで、
結果はお分かりですね。

あるいは軍人精神を以てすればできるはず、と軍楽行進曲のパート譜を渡され、
「1番から10番までの行進曲のパートを、一週間で暗記せよ」

って、軍人精神を以てしてもそれ無理ちゃいますか?

だって、パート譜だけ吹いたって、曲がどんなのか知らなければ覚えようがないっていうか。
このような不条理な無理難題も海軍精神で何とかしなくてはいけないわけですが、
案の定1週間後
「各自自分の楽器を頭の上に挙げ、膝を半ば曲げ」

・・・・うわー。チューバやユーフォニウム奏者は(略)
「覚えられたものは楽器を降ろせ」
一人降ろした男がいました。
「お前全部覚えたか」
「ハイッ」

何故か教員は「では吹いてみよ」とは言いませんでした。
彼がチューバかユーフォニウム奏者であった、に1円50銭。


ことほどさように、軍楽兵の生活とは、一般兵並みに、
いや、ある意味音楽という厄介なものが対象であるだけに、過酷でその訓練は苛烈でした。

「現代も日本のブラスバンドに体育会的厳しさが横溢しているのは、軍楽隊の名残り」
と、以前、半ば予測で述べてみましたが、こうしてみるともう間違いない事実に思えます。

このせいなのかどうなのか、日本の音楽教師には、たとえピアノであっても
「叩く」
先生がいるのです。
怖い先生に間違った指をぴしゃり、とされてピアノが嫌いになりやめてしまった人はいませんか?
体罰は、日本以外の、欧米ではまず考えられないことだそうです。
音楽芸術を指導するのに暴力などありえない、という理由で。

この末端のピアノ教師にまで見られる、日本クラシック音楽教育の妙な体育会的体質は、
どうやらクラシック音楽の演奏そのものが軍楽隊経由で日本に入ってきたという由来にあるようです。



因みに、唇を怪我して弱々しく笑っていたクラリネット新兵ですが、
4、5年のち、K氏はかれに再会します。
その時K氏が見たのは、素晴らしいハーモニーを支える海軍軍楽隊の一員として、
自信にあふれた様子で分列行進をリードする幼馴染の雄姿でした。