“京都日帰りの旅”シリーズの4回目は平安神宮をご紹介します。
今回の社会見学会では平安神宮はコースに組み込まれていませんでしたが、昼食場所が京都市左京区の岡崎にある平安神宮の傍だった関係で、昼食後、集合時間までの30分弱の時間を利用して見学してきました。
ここでも時間の関係でゆっくり見学できず、数十年ぶりに訪れた平安神宮も應天門と大極殿のみで戻ってきました。
「平安神宮」
平安神宮は明治28年(1895年)桓武天皇の平安遷都1100年祭を記念し、桓武天皇を祭神として創建された神宮です。
紀元2600年にあたる昭和15年(1940年)には、平安京最後の天皇である孝明天皇も合祀されました。
社殿は平安京の政庁の中心である朝堂院の形式をおよそ三分の二に縮小して復元したものだそうです。
・中央の建物が大極殿で、一層入母屋造りの拝殿となっています。左右の楼閣は右が蒼龍楼、左が白虎楼で、いずれも平安京のものを厳密に考証して復元したもので、京都市の指定文化財です。
大極殿の右前には左近の桜が、左前には右近の橘が植えられています。
「應天門(神門)」
二層の神門は應天門、本殿の背後一帯は約3万㎡からなる広い神苑で、4つの池を中心に各時代の庭園形式を取り入れた池泉回遊式の明治を代表する庭園で、国の名勝に指定されています。
應天門(神門)です。
「大極殿(外拝殿)」
大極殿は古代の役所の建造物の中で最も重要な建物で、天皇が政務を執られ、朝賀・即位などの重要な儀式が行われました。
規模は往時の約二分の一で、屋根は一重、入母屋造りで、碧瓦(みどりがわら)を用いた本葺きです。
平安神宮の大極殿は、平安時代の栄華を偲ぶことが出来る唯一の文化遺産です。
・この大極殿は明治28年、平安遷都1100年記念事業の一環として、平安時代の儀式を模して建造されました。
「蒼龍楼(そうりゅうろう)」
この楼は、西方の白虎楼(びゃっころう)と共に平安の朝堂院(ちょうどういん)の様式を模したものです。
屋根は四方流れ・五棟の入母屋造(いりもやづくり)・碧瓦本葺(みどりがわらほんぶき)が施されています。
蒼龍・白虎の名称は「この京都が四神(ししん)相応の地」とされたことに因むようです。
なお、四神とは、東に蒼龍(そうりゅう)・西に白虎(びゃっこ)・南に朱雀(すじゃく)・北に玄武(げんぶ)で、天の四方をつかさどる神です。
「白虎楼」
(参考)
「時代祭」
桓武天皇によって長岡京から平安京へ都が移されたのは10月22日のことで、その日を記念して、 毎年10月22日には京都三大祭のひとつに数えられる時代祭が行われます。
時代祭では、平安時代から明治維新に至る約1000年間の京都の時代風俗を再現した、華麗な行列が京都市中を歩きます。