大阪弁に「なんぎ(難儀)やな」と言う言葉があります。
この「なんぎ(難儀)」という言葉は、ドラマや時代劇などではよく聞く言葉なのでご存知の方も多いと思います。
時代劇では、長旅から帰ってきたお侍などに対して、「おお、さぞ難儀いたしたであろう…。ささ、はよう上がってゆるりとされよ」なんて声をかけるシーンをよく観ます。
「なんぎ」は、いまでは関西以外では余り使われない言葉だと思いますが、大阪では、老いも若きも結構日常的に「なんぎやなー」を連発しています。
「難儀」には、「苦しむこと、苦労」といった意味や、「むずかしいこと。めんどうなこと。困難」などの意味があり、広辞苑にも、①難しいこと。②苦しむこと。悩むこと。③わずらわしいこと。面倒な事柄。困難。④貧窮。貧乏。と説明しています。
しかし、大阪で使用される「なんぎ」の意味はそのような意味ではなく、どちらかといえば、その場を和ますような使い方で、ニュアンス的には、「あちゃー、まいったな」とか「全ったく、なにやってんだよ」「ほんと、困った人だな」といった意味合いで使われることが多いようです。
例えば、テレビゲームをしていて、何度も同じ所でゲームオーバーをすると、大阪人は「もーなんぎやなー」と、一人愚痴ることが多くあったり、或いは又、みんなが準備万端ととのっているのに、いつまでもぐずぐずしている者がいたりすると、いらちな大阪人はたいてい「なんぎなやっちゃなー」といらつきます。
このような場合に、「のろま!」「どじ!」「早くしろ!」なんていうと角が立ちますが、「もう、ほんまになんぎなお人やな」と言っておけば、お互いにケンカになることはありません。
大阪の人たちは、物事をあからさまに言わず、婉曲的にいうのが得意であり、こうした「間接非難語」は重宝されているようです。
更に、何かトラブルが発生して進退窮まったときにも、大阪人は「うわー、なんぎなことになってしもたー」といった言い方をしますが、真にまいってしまった訳ではなく、頭の中ではせわしなく次の打開策を考えている、言わば次のアクションに至る前の"ため"みたいなものなのです。
商人の町大阪で話されている大阪言葉は奥が深いですよね。