らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

負けに不思議の負けなし

2017-09-05 | 雑学

嘗て、プロ野球南海ホークスの往年の名捕手で監督だった野村克也氏がよく「負けに不思議の負けなし」という言葉使っていました。
野村氏はこのタイトルで本の出版をしていることから、この言葉は野村語録の一つと思われていました。

ところが、この言葉は今から200年ほど前の肥前(長崎)平戸藩 第9代藩主 松浦静山(1760年~1841年)の著書「甲子夜話」に登場している言葉だったのです。
この言葉には前段部分があって、「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」となります。

言葉の意味は、負け(失敗)を虚心に反省すれば必ず原因が見つかる。予期せぬ失敗やミスをしたとき、人は往々にして「運が悪かった」「ついてない」で片づけがちだ。
しかし、失敗した場合には必ず原因がある。失敗しないためには「運」が味方するように普段から努力を続け、「鈍(どん)・・・当たり前のことを当たり前に行う、あるいはやるべきことを行うこと)」と「根(こん)・・・最後まで手抜きせずやり通すこと)」に全力を尽くすのみである。
と言う意味になります。

江戸後期の肥前平戸藩主松浦静山は12歳で祖父・誠信(八代藩主)の養嗣子(ようしし:家督相続人となる養子)となり、16歳で家督を相続しました。
柳生石舟斎から新陰流兵法を伝授された徳川家康など、江戸初期以前には武芸達者な将軍や大名も少なからずいましたが、静山は江戸中期の泰平の世にあって「心形刀流(しんぎょうとうりゅう)」を究めて印可(免許)を受けた人であり、更に、弓、馬、槍術や柔術まで武芸全般の修行を積んだ経験を持ち、文武両道に長けた人だったようです。

しかし、いつまで生きられるかと危ぶまれるほどに病弱だったことから、その虚弱な体質を克服するため、教育に当たった祖母が文武両道を説いたとされています。
文武両道で、さらに吉原で通人として知られたという静山のこの言葉は、失敗には必ず原因があるから、それをつきとめて次に生かす重要さを説いており、現在のビジネスやスポーツなどの勝負にかける職業にも通じる鉄則といえるものです。
野村克也氏はこの言葉を座右の銘としていたのだそうです。