らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

松虫塚

2017-09-08 | 地元紹介

蝉はすっかり鳴き声を潜め、代わって鈴虫の美しく澄んだ鳴き声が聞こえるようになりました。
「りーん、りーん」と鳴く鈴虫の鳴き声は、秋の到来を感じさせ、いつまでもその鳴き声に浸っていたい、そんな気分にさせてくれます。
昔は鈴虫の事を松虫とも言い、秋の季語にもなっていますが、その松虫の塚、「松虫塚」が大阪阿倍野区にあります。
今日は「松虫塚」についてご紹介します。

40数年前の現役の頃、大阪の阿倍野に勤めたことがあって、松虫通りはよく歩きました。
勿論、未だアベノハルカスはなく、阿倍野地区の再開発が行われる前のことです。
梅田や難波と比べると、当時の阿倍野は大阪市内の片田舎と言った表現がぴったりするような古い街並みでした。
その阿倍野に「松虫通」という地名がありますが、これはこれからご紹介する「松虫塚」が由来でつけられた名称のようです。

「松虫塚」
松虫塚には古来数々の伝説がありますが、この地は松虫(今は鈴虫という)の名所であったところから、松虫の音にまつわる風流優雅な言い伝えが多く、七不思議の神木とともに尊崇されてきました。



「松虫塚伝説」
古書「芦分船(あしわけぶね:江戸初期の雑誌)」によると、後鳥羽上皇(1183-1198年)に仕えた松虫、鈴虫の二人の官女が法然の念仏に発心し、承元元年(1207年)法然が土佐に流されたのちに、松虫がこの地に庵を結び隠棲した所であると伝えられています。

また、「摂陽群談」と謡曲「松虫」には、「昔、ある人が親友と二人で阿倍野の松原を通ったが、その一人が節おもしろく鳴く松虫の音を慕って行ったまま帰らないので、捜しに行くと友は草むらで死んでいた」。
これを葬ったのが松虫塚であるとする説や、ほかにいくつかの伝説が残っています。

松虫塚には古来数々の伝説がありますが、この地が松虫(今日の鈴虫)の名所であったところから、松虫の音にまつわる風流優雅な詩情あふれる物語が伝承されているようです。

後鳥羽上皇の女官・松虫が庵を結んだ場所とも、リズムよく鳴く松虫がたくさんいたとも言われる「松虫塚」ですが、都市化した現在では、この地区で松虫(鈴虫)の鳴き声を聞く事はもはや不可能なのでしょうね。