昨日、関東・甲信地方が梅雨明けし、梅雨のない北海道を除いて日本列島全ての地方で梅雨明けとなりました。
梅雨明け後の全国の天気は猛暑が続いており、天気予報では熱中症の注意喚起を繰り返し呼びかけています。
まだ本格的な暑さに身体が慣れていないと思われることから、皆さま方も熱中症にはくれぐれもお気をつけ頂きたいと思います。
ところで、日本列島の地方行政区画は府県単位になっていますが、北海道だけ「道」となっています。
何故、北海道だけ「道」なのか?
今日はこの事について調べてみました。
広辞苑で「道」を調べると次のように説明しています。
⑥行政上の区画
ア.中国の地方区画。唐には10道があり、明・清では省の下位区画。朝鮮には8道(現在は17道)がある。
イ.律令制下、畿内を中心とし、京都から通ずる道路によって全国を大別した呼称。東海道、東山道の類。
ウ.普通地方公共団体の一。また、北海道の略称。
と説明しています。
広辞苑が示すように、「道」は広い範囲を表す言葉でもあるのです。
「五畿七道」
日本では奈良時代から「道」と言う言葉で地域を分けており、それが「五畿七道(ごきしちどう)」と呼ばれるものです。
ご存知だと思いますが、「五畿」とは、山城国、大和国、摂津国、河内国、和泉国で、京都を中心とする五つの国のことです。
そして「七道」とは、東海道、山陽道、山陰道、南海道、西海道、北陸道、東山道で、五畿以外の地域を七つの「道」に分けた行政区分を指し、「五畿七道」で日本全国を表しています。
「五畿七道」は古代日本の律令制における広域地方行政区画で「畿内七道(きないしちどう)」とも呼ばれました。
しかし、明治2年(1869年)北海道が新設されてからは「五畿八道」と呼ばれました。
明治4年(1871年)の廃藩置県以降も五畿八道は廃止されませんでしたが、明治18年(1885年)以降はすたれ、現在は五畿八道の地方区分は用いられていません。
しかし、東海道、山陽道、山陰道、南海道、西海道、北陸道、東山道、北海道等の名称の多くは五畿八道に由来しています。
・五畿七道です。(ネットより)
「北加伊道(ほっかいどう)」
ところが、北海道は当時は蝦夷地で日本の領地ではなく、日本から見て異民族が住む外国の地と見られていました。
即ち、江戸時代には北海道の南端にあった松前藩までが日本の領地で、そこから先はアイヌの人々が住む場所で、日本の領域とは考えていませんでした。
しかし、ロシアの進出をきっかけに北の国境を定めることにしたのです。
そこで、明治政府は日本的な地名をつけることで日本の領土と主張することにし、その地名が五畿七道に続く八番目の道として北加伊道(ほっかいどう)と名付けられました。
・北海道(蝦夷地)ネットより
ではなぜ、北海道だけが「道」で残ったのでしょうか?
実は明治政府は北海道を函館県、札幌県、根室県の3つに分けたのですが、北海道は”でっかいどう”と言われるように広大な区域でした。
その広さは、17都府県がすっぽり入る広さであるにもかかわらず人口は函館県14万人、札幌県6万人、根室県1万人と少なく、大変な行政コストがかかり、大きな無駄が発生したことから、3つの県では効率が悪いと言うことで一つにまとめられ、現在に至っているのです。
「北海道」
北海道と言う地名については、
千島道(ちしまどう)、海北道(かいほくどう)、東北道(とうほくどう)、北加伊道(ほっかいどう)、海島道(かいとうどう)、日高見道(ひたかみどう)の6つの候補名がありましたが、明治政府から新たな地名の案を考えるよう要請されていた、蝦夷地を知る第一人者の松浦武四郎は北加伊道(ほっかいどう)を提案しました。
彼が提案した「北加伊道」の「加伊(かい)」とは、「この土地に生まれた者」という意味があるということで、そこから「日本の北にあるアイヌ民族の人たちが暮らしていた大地」という思いを込め「北加伊道(ほっかいどう)」を提案したのだそうです。
最終的に「加伊(かい)」は「海」に変更されたものの「ほっかいどう」が採用されたとのことです。
結論として、北海道の「道」は「五畿八道」の「道」、そして北海道は「日本の北にあるアイヌ民族の人たちが暮らしていた大地」と言う意味が込められていると言う事でした。