10月になって漸く秋の気配が感じられるようになりました。
先日、私の畑のすぐ傍では稲刈りが行われて「実りの秋」「収穫の秋」を実感したところです。
秋は他にも、「食欲の秋」「味覚の秋」「読書の秋」「スポーツの秋」「芸術の秋」など、秋を形容する表現がたくさんあります。
夏の猛暑でバテ気味だった私の胃袋も、秋の到来で元気を取り戻しつつあるようです。
腹の虫も美味しいものが食べたいと言っています。
秋の美味しいものと言えば、秋刀魚が一番ですが、秋刀魚の漁獲量は年々減少しており、8月21日に札幌市で行われた初競りでは1キロ当たり23万円で競り落され、庶民の魚がすっかり高級魚になってしまいました。
「漁獲量減少の理由」
秋刀魚の漁獲量が減少している要因は以下のように言われています。
①温暖化の影響。
温暖化により海水温が上昇し、秋刀魚の回遊ルートが変化していること。
②海外での秋刀魚漁が盛んになったこと。
近年、台湾が秋刀魚の漁獲量が1位だった日本を抜いたことや、中国も漁獲量を伸ばしていること。
このような事から、漁獲量が減少すると共に、価格も10年で4.6倍高くなっており、一匹200円を超す時代になっていることから庶民の魚から高級魚へとなっているということです。
「秋刀魚の名前の由来」
ところで、秋刀魚の語源についてはご存じでしょうか?
調べてみると諸説ありますが、
その一つは、「体が狭い魚」を意味する「狭真魚(さまな)」が転訛したという説、
他にも、大群をなして泳ぐ習性を持つことから「大きな群れ」を意味する「サワ(沢)」と「魚」を意味する「マ」からなる「サワンマ」が語源とする説もあります。
「目黒の秋刀魚」
秋刀魚と言えば古典落語に「目黒の秋刀魚」があります。
「話の概要」
天候に恵まれた初秋の日、お殿様がご家来を連れて、目黒不動参詣をかねての遠乗りにでかけました。
その頃、江戸の郊外だった目黒に着かれたのはお昼近くのことでした。
お腹が空いてきたので何か食べ物を所望するが、お供の者は誰かが用意しているだろうと何も用意をしていませんでした。
当時の目黒は草深いところで、買い出しに行くにも店がありません。
そんな所へ、何とも言えぬいい香りがプーンと流れてきたのです。
近くの農家でお爺さんが、脂のたっぷりのった秋刀魚を焼いていたのです。
お殿様はこの秋刀魚を所望するのでが、お供の者は「あれは下々の者が食す秋刀魚という下賎な魚にございます。お上が召しあがるようなものではございません。」と断ります。
しかし、いい匂いが空きっ腹には我慢できません。
「よい、下々の食するものがわからねば、上に立つ者とは言えぬ。苦しゅうない、秋刀魚をこれへ持てー。」
そこで食べた秋刀魚の美味しいこと。
お殿様は、生まれてはじめての秋刀魚がすっかり気に入り、忘れられない味になってしまったのです。
ところが屋敷に帰っても、食卓に秋刀魚のような下魚は出てきませんでした。
ある日のこと、親戚のお呼ばれでお出掛けになりました。
「なにかお好みのお料理はございませんでしょうか。なんなりとお申し付けくださいまし」というご家老の申し出に、すかさず秋刀魚を注文したのです。
親戚は驚いて、日本橋魚河岸から最上級の秋刀魚をとり寄せました。
このように脂が多いものをさしあげて、もしもお体に触っては一大事と、十分に蒸したうえ、小骨を丁寧に抜いて、だしがらの様になった秋刀魚を出しました。
「なに、これが秋刀魚と申すか。間違いではないのか? 確か、もっと黒く焦げておったはずじゃが・・・」
脂が抜けてぱさぱさの秋刀魚がおいしいはずがありません。
「この秋刀魚、いずれよりとりよせたのじゃ?」
「日本橋魚河岸にござります」
「あっ、それはいかん。秋刀魚は目黒にかぎる」
この落語はどなたもよくご存じだろうと思います。
秋の味覚、庶民の魚の「秋刀魚」が高級魚となり、お殿様の魚になってしまいました。