地元の農協で電位治療器の体感フェアが開かれているので通っています。
この電位治療器は血流をよくして人が持つ自然治癒力を高め、疾病の根本を治癒して健康体を作ろうと云うものです。
8月19日から通い始めて1カ月になりました。
当初1ヶ月だけのフェアでしたが、利用者が増えたことからもう1ヶ月延長してくれることになりました。
引き続き通うつもりです。
さて、今日はこの治療器とは直接関係はありませんが、血液型の「O型」の由来について調べました。
人間の主な血液型にはA型、B型、AB型、O型の4種類があります。
この事はどなたもご存知の通りです。
では、A型、B型の次がなぜC型でなくてO型なのでしょうか?
血液型にはいくつかありますが、最もメジャーなのがA型、B型、AB型、O型の4種類に分けるABO式です。
ABO型の血液型は1901年にオーストリアのラントシュタイナー博士らによって発見されました。
当初、血液型はA型、B型、C型の三種類と考えられていました。
血液型は赤血球中の抗体の有無によって決定され、A抗体がある場合はA型、B抗体がある場合はB型、そして両方とも持たないものをC型としていたそうです。
ところが、その後の研究によってA抗体、B抗体の両方を持っている血液型が発見されてAB型と呼ばれるようになりました。
それと同時に両方の抗体を持たないC型を「0(ぜろ)」型と呼ぶようになり、「0(ぜろ)」の意を「O(おー)」で表して「O(おー)」型となったとされています。
一方、ドイツ語で「何も持たない」という意の「ohne(オーネ)」の頭文字を とったという説もあるようです。
なお、血液型は人種によってその比率が大きく異なることが知られています。
A型はオーストラリアの先住民アボリジニに多く、B型はアジア内陸部やモンゴルに多く、西に向かうほど減少していきます。
因みに日本人はA型:B型:AB型:O型の比率が4対2対1対3になっているそうです。
今日からシルバーウィークが始まりますが、シルバーウィークと言う言葉をご存知でしたか?
シルバーウィークとは、秋の大型連休のことで、5月の大型連休の「ゴールデンウイーク」に対してこのように呼ばれています。
毎年連休があると言う訳ではないので、その希少性から「プラチナウィーク(白金週間)」とも呼ばれることがあるようです。
「ゴールデンウィークとシルバーウィーク」
「ゴールデンウィーク」や「シルバーウィーク」の名称は古く、昭和26年に映画会社によって命名されました。
昭和26年といえば、前年から始まった「朝鮮動乱」により、日本は「朝鮮特需」景気に沸いた年です。
この年の4月29日から5月5日までの映画会社・大映の売り上げは、正月映画やお盆映画並みに興行成績が良かった期間だったそうです。
そこで、大映では1951年(昭和26年)にこの期間を「ゴールデンウィーク」と名付けました。
その後、この名称は次第に他の業界にも広まって定着していったようです。
大映は続いて11月の文化の日を中心とした期間を「シルバーウィーク」と名付けましたが、こちらは定着しなかったということです。
9月の連休が「シルバーウィーク」の由来
このように「シルバーウィーク」の名称は戦後間もない頃に既に存在していましたが、9月の連休を「シルバーウィーク」と呼ぶようになったのは平成21年(2009年)からです。
これは、一部の国民の祝日を月曜日に移動させ、3連休を増やそうとする、所謂ハッピーマンデー制度によるものです。
以前は9月15日に固定されていた「敬老の日」が9月の第3月曜日の21日に移動し、23日の秋分の日に挟まれた22日が「国民の休日」となって4連休となり、更に19日の土曜日を含めると5連休となって秋の大型連休が誕生したと言う訳です。
シルバーウィークの名称は平成20年(2008年)11月に、「9月の連休を命名すれば?」というアンケートを行ったところ、1位となったのが「シルバーウィーク」だったことの他に、5月の「ゴールデンウィーク」の「金」に対する「銀」が「シルバー」であること、この期間には「敬老の日」が含まれているため、高齢者を象徴する和製英語の「シルバー」という意味も含まれていることなどによるそうです。
この名称は、このアンケートの結果を受けて、国内外ツアーを企画する旅行代理店などが「シルバーウィーク」の言葉を使い始めて一気に定着し、使われるようになったということです。
最初のシルバーウイークは2009年でした。
今年が2回目で、今日、明日の土日に続いて21日(月)が「敬老の日」、22日(火)が「国民の休日」、23日(水)が「秋分の日」という並びの5連休となります。
なお、現行の祝日法の規定が変わらないと仮定した場合に、2099年まのシルバーウィークは下記の各年が予測されています。
・9月19日~23日のパターン・・・2026年、2037年、2043年、2054年、2071年、2099年
・9月18日~22日のパターン・・・2032年、2049年、2060年、2077年、2088年、2094年
話の触り
文化庁の国語に関する世論調査からご紹介します。
文化庁が平成19年度に行った国語に関する調査で、「さわり」と言う言葉の本来の意味を尋ねたところ次のような結果だったそうです。
例文:「話のさわりだけ聞かせる。」の本来の意味はどれか?
(ア) 話などの要点のこと 35.1%
(イ) 話などの最初の部分のこと 55.0%
(ア)と(イ)の両方 2.7%
分からない 7.0%
調査の結果、全体では本来の意味である(ア)の「話しなどの要点のこと」と答えた人の割合が3割台半ば、本来の意味ではない(イ)の「話などの最初の部分のこと」と答えた人の割合が5割台半ばだったようです。
平成15年度の調査と比べると、本来の意味である(ア)を選んだ人の割合は4ポイント増え、反対に本来の意味ではない(イ)を選んだ人の割合は4ポイント減少しています。
これを年齢別に見てみると、どの年代でも本来の意味である(ア)の「話などの要点のこと」よりも(イ)の「話などの最初の部分のこと」を選んだ人の方が多くなっています。
中でも、16~19歳、20代、30代、40代、50代では約6割から7割弱の人が (イ)を選んでいますが、60歳以上では (ア)と(イ)の割合が共に4割強とほぼ拮抗していました。
この理由は、「さわり」を漢字で書くと「触り」なので、触れるという語感から「深く突っ込むのではなく、最初の部分だけさらっと触れる」と捉えられる人が多いのではないかと考えられるということです。
「さわり(触り)」は元々浄瑠璃用語で、広辞苑には、 ② ア.義太夫節の中に他の恩曲の旋律を取り入れた個所。曲中で目立つ個所になる。
イ.転じて、方角の各曲中の最大の聞かせ所。「くどき」の部分を指すことが多い。
ウ.更に転じて、一般的に話や物語などの要点、又は最も興味を引く部分。「-だけ聞かせる」
と説明しています。
つまり、別の曲節の優れた部分を義太夫節に取り入れているもので、音楽でいえば曲のイントロではなくサビの部分が「さわり」であるというわけです。
このように「さわり」とは話の聞かせどころ、映画演劇では名場面の見どころという意味であり、要点や最も興味をひく部分を指す言葉です。
なので、「話のさわり」とは導入部分ではなく、メインとなる一番盛り上がるところを指します。
使用する時は気をつけたいですね。
和歌山県田辺市に「鬪雞(鶏)神社(とうけいじんじゃ)」があります。
この神社の由来は、壇ノ浦の合戦で源氏側と平氏側の両方から熊野水軍の援軍依頼を受けた武蔵坊弁慶の父・熊野別当湛増が、どちらに加勢するのかを決めるため、白を源氏側、紅を平家側に見立てた7羽の鶏を闘わせたことから来ています。
日本に限らず、世界にも動物や昆虫などを闘わせる競技が存在しています。
例えば犬を戦わせる「闘犬」やクマ同士或いはクマと人、クマと犬が闘う「闘熊(とうゆう)」、雌の馬を巡ってオスの馬同士が戦う「闘馬」など、色々な競技がありますが、中でも有名なのがスペインの闘牛ではないでしょうか?
スペインでは闘牛は国技とされており、特に盛んなようです。
しかし、近年、闘牛士が牛を槍や剣で刺していき、死に至らしめるのを見せるということに対して動物愛護的な観点から批判が強まっているそうです。
ところで、闘牛では、マタドールと呼ばれる闘牛士が赤い布(ムレータ)を振って牛を興奮させていますが、赤色は牛を興奮させるのでしょうか?
調べてみると答えは「NO」でした。
牛は色を判断することができないそうです。
ある動物学者が闘牛士に青色や黄色の布を持たせて牛の反応を見たことがあるそうです。
それによると、赤い布を見せた時と全く同じように牛は闘牛士に襲いかかったそうです。
この事から、牛は、赤い色に反応して怒るのではなく、自分に対して、旗や布が怪しげに振られることに強い危険を感じて暴れていることがわかったということです。
では何故、闘牛士は赤色の布を振るのでしょうか?
闘牛に限って言えば、赤い布を使う理由は闘牛士本人や観客が興奮するからと言われています。
闘牛士は興奮によって牛に対する恐怖心を消し去り、一方の観客は人間と牛の闘いにのめり込むと言う訳です。
そう言えば、赤は万国共通の危険を表す色ですよね。
闘牛士の振る布が安全や平和を表す青色では様になりませんね。
今日は大阪弁を調べました。
大阪弁に「あんじょう」と言う言葉があります。
この言葉は「うまく、具合よく、ちゃんと」といった意味の大阪の方言です。
広辞苑にも、関西地方の方言で「味よく」の音便「あじよう」の転。うまく。上手に。具合よく。と説明しています。
辞書にも示されているように、この言葉の語源は「味よく」で、ウ音便の「味よう」が転じたものです。
ある専門家は、「味」という語源だから、料理における会話がルーツにあるのかもしれないが、むしろ「味のある文章」とか「人生の味」といった、「おもむき、妙味」など、深いところに潜んでいる素晴らしさを意味する「味」と見るのが順当だろう。 と解説しています。
「あんじょう」は大阪の方言ではあるものの、若者の間では殆ど使われていないと思いますが、年輩の間では今でも割りとよく使われています。
その使用例は、「あんじょうしいや」とか「あんじょう頼んまっせ」、「あんじょうしときまっさ」など、何があんじょうなのかよくわかりませんが、その場の状況に応じてなんでも包含してしまう便利な言葉として使用されているようです。
また、大阪の人がえべっさんにお参りしたとすると、「えべっさん、今年もあんじょう頼んまっせ」と言いますが、この時の「あんじょう」は、商売繁盛から家内安全までのありとあらゆる願い事を含んでいます。
頼まれたえべっさんは大変ですが、お願いする方は、全ての頼み事ができるので、まことに都合の良い言葉と言えます。
更に、よく知っている商売人同士が商談をする時などにも、「あんじょうしたってや」、「へえ、まかしとってください。あんじょうしときますよってに」といった訳の分からない会話ですべてが成立してしまいます。
このように、「あんじょう」はコミュニケーションツールとして、商人の町大阪に根付いた老獪(ろうかい)で「味」のある方言となっています。
大阪南部の熊取地方は先日の台風18号が去った後、朝夕は勿論、日中の気温も平年を下回る涼しい日が続いており、本格的な秋の到来となったように感じられます。
今年は9月に入ってから昨年のような厳しい残暑が見られず、例年に比べて秋の訪れが早いようです。
さて秋といえば、味覚の秋、読書の秋、食欲の秋、スポーツの秋など、色々な言葉に形容されていますが、秋を象徴する言葉に「天高く馬肥ゆる秋」があります。
この意味は、秋は空が澄みきって高く感じられ、馬は食欲を増し、肥えてたくましくなる秋、と云う意で、秋の好時節を言っているものですが、実はこの故事、本来はそんな悠長なイメージを伝えるものではないそうです。
「天高く馬肥ゆる秋」という故事は、漢書が原典で、それには「秋至れば馬肥え、弓勁(つよ)く、即ち塞(さい)に入る」と書かれており、「馬が肥える頃になると争いが起こる、国民は戒めて防戦の準備をせよ」という警告を発している言葉なのだそうです。
夏の間にたくさん草を食べた北方の馬たちが要塞に攻め込んでくるぞという警告、つまり、秋は戦いの季節になるということを当時の中国人たちに示唆していると云うことです。
秋は収穫の季節、略奪を企む匈奴(きょうど:モンゴル高原を中心とした遊牧民族)たちは、夏の間に争いのためのエネルギーを蓄えていたようです。
現在では、「馬肥ゆる秋」の言葉を馬だけでなく、人間にも当てはめて実りの秋と捉え、食欲も増す季節なので食べ過ぎないように注意しようという警告の意味もあるようです。
実際、スーパーに行けばマツタケやブドウ、柿、栗、サツマイモ、サンマなどの美味しい果物や食材がいっぱい並べられています。
食欲をそそられますが、食べすぎにはくれぐれも気をつけたいものですね。
今年は昭和で言えば90年です。
今から半世紀前の昭和40年には朝永振一郎氏がノーベル物理学賞を受賞し、湯川秀樹博士に次いで日本人二人目の受賞者となりました。
またこの年の出来事としては、テレビではオバケのQ太郎やジャングル大帝、そして11PMが放送開始されており、歌謡曲では、「まつの木小唄」、「涙の連絡船」、「知りたくないの」などがヒットしました。
中でも12月に発売された加山雄三の「君といつまでも」は累計売り上げが300万枚以上と言われる大ヒット曲となりました。
この曲は、東宝が1961年から1971年まで製作した若大将シリーズ全17作の第7弾、「アルプスの若大将」の主題歌としても歌われています。
今日は若大将・加山雄三の大ヒット曲「君といつまでも」をお聴きいただきたいと思います。
君といつまでも 加山雄三
私は、故郷の岡山を離れて半世紀以上になりますが、それでも岡山の記事が新聞に載ると注意深く読んでしまいます。
先日、某紙の夕刊に岡山の方言が載っていました。
寄稿したのは東京女子大学教授の篠崎晃一先生でした。
今日はその新聞記事からご紹介します。
記事では、
岡山には俗に“三大ベリー”と呼ばれるものがある。と言ってもストロベリー、ブルーベリー、の類が特産品と言うことではない。
“very”、つまり「とても、非常に」を意味する「もんげー、ぼっけー、でーれー」の三つの方言があると云うことだ。
これらの方言には「もの凄い!」と、並みの程度を遥かに超えている状態を表す用法もある。
実は「もんげー」は少し前まで「ぼっけー」「でーれー」に押されて存在感が薄くなっていた。
ところが近年、子供たちに人気のアニメ「妖怪ウォッチ」に登場するキャラクターの口癖として認知度が急上昇し、一躍、全国区の岡山弁として息を吹き返したのである。
更には、昨年、県のPR用キャッチフレーズの座をかけてこれら3方言が直接対決。投票の結果、「もんげー岡山!」がトップに輝くなど、正に勢いが止まらない。
一方、今年2月には映画で「でーれーガールズ」が公開されるなど、他の方言も巻き返しを図っている。三つ巴の戦はまだまだ続きそうだ。
(以上、東京女子大学教授 篠崎晃一氏の方言探偵団より)
岡山生まれの私は、この記事に書かれている“三大very”の内、「ぼっけー、でーれー」は子供の頃使用していましたが、「もんげー」は初めて聞く言葉です。
勿論使用したことはありません。
昨年、子供たちの間で人気を集めた「妖怪ウォッチ」で使用されているとのことなので調べてみると、この言葉は妖怪ウォッチに登場する、狛犬の妖怪「コマさん」のセリフだそうです。
・これが妖怪「コマさん」です。
子供たちの間でこの「もんげー」の浸透率が凄いと云うことで、まさに、もんげー!な言葉なのだそうです。
この「もんげー」は、「すごい」と言う意味の岡山県の方言で、「ものすごい」が「ものすげー」となり、更に「ものげー」→「もんげー」と変化したようですが、子供たちは岡山の方言とは知らずに「もんげー」を口にしているようです。
岡山県ではこの「もんげー」の盛り上がりを知ってから、県の広聴広報課では、昨年9月16日から「もんげーおかやま」を新しいキャッチフレーズとしてPRしていると言うことです。
菜園仲間に鹿児島県出身のT氏がいます。
彼の話では、鹿児島県や沖縄県ではへちまの若い実を食べるのだそうです。
昨年、彼からへちまの種を頂きました。
その種を畑の隅に蒔いていたところ、梅雨の頃から蔓が伸びてきて、花が咲き、今、食べごろの若い実が2個ついています。
T氏の勧めにより、へちま料理がどのような味なのか、わが家でも試しに食べてみることにし、早速ネットでレシピを調べました。
沖縄ではへちまのことをナーベーラーと言うのだそうで、ネットではナーベーラーのレシピがたくさん載っていました。
その中から「豚肉とナーベ-ラーの甘酢あんかけ」を作ってみることにしました。
勿論作るのは家内です。
・これが畑の隅に蒔いていたへちまです。
ヘチマはウリ科の1年草の野菜です。食用には開花から2週間くらいの若い実を使用するようです。
ヘチマは食物繊維と美肌に効果があると云うコラーゲンが豊富に含まれており、ヘチマの茎から取れるへちま水は化粧水として利用できるそうです。
畑には直径3㎝~4㎝、長さ30㎝ほどの若い実が2個生っていましたが、その内の1個を収穫して調理することにしました。
・へちまの若い実です。これを調理することにしました。
初めてのことなので、材料と作り方はネット通りにしました。
「材料(二人分)」
・豚肉...180g
・へちま(ナーベーラー)・・・1個
・しょうゆ・・・・・・・・・・・ 大さじ1
・酢・・・・・・・・・・・・・・・・大さじ2
・砂糖・・・・・・・・・・・・・・大さじ2
・片栗粉・・・・・・・・・・・・大さじ1
・水・・・・・・・・・・・・・100ml 程度
・中華スープの素・・・・ 小さじ1
・オイスターソース・・・・小さじ1
・ゴマ油・・・・・・・・・・・・・・・・適量
「作り方」
1.へちま(ナーベーラー)は乱切り、豚肉は細切りにします。
2.フライパンにごま油を入れ、豚肉を炒め、火が通ったらナーベーラー(へちま)を加えて炒めます。
3.しょうゆ、酢、砂糖、片栗粉、水、中華スープの素を合わせ、流し入れます。
とろみがついたら出来上がりです。オイスターソースを入れると風味が増します。
この材料と作り方で作った「豚肉とへちま(ナーベーラー)の甘酢あんかけ」が下の画像です。
少し濃い味でしたが、とろみがあって豚肉とよく合っており、ビールの当てにはもってこいの一品です。
へちまを食べたのは生れて初めてですが、思いの外美味しく、新しい食材を発見した思いです。
・これが上記の材料で作った「豚肉とナーベーラーの甘酢あんかけ」です。
大阪のJR環状線に大阪城公園駅(大阪市中央区)があります。
この駅は昭和58年(1983年)にできた新しい駅で、この駅の傍には大阪ビジネスパーク(OBP)という高層ビル群が建ち並んでいます。
このOBPと大阪城公園、それに駅の東側にひろがる大阪市交通局などの施設群をあわせた広大な土地には、戦前まで大阪砲兵工廠(おおさかほうへいこうしょう)の工場群がびっしりと建ちならんでいました。
周囲の民有地も借り受け、終戦直前の最盛期には6万4000人が働いていたといわれ、東洋一の規模を誇っていたそうです。
ところが、終戦前日の昭和20年8月14日、アメリカのB29爆撃機約150機が飛来し、1トン爆弾約700トンが投下されて、砲兵工廠をは徹底的に破壊されました。
近くの京橋駅も被害を受け、多数の犠牲者が出たことから、「京橋駅空襲」とも呼ばれています。
・ピンクの区域が大阪砲兵工廠のあった場所です。(ウィキペディアより)
戦後、砲兵工廠(ほうへいこうしょう)は廃墟のまま残され、鉄や銅など大量の金属類のカタマリやクズが散乱したまま放置されました。
これを狙って泥棒を繰り返したのが在日朝鮮人グループです。
彼等は「アパッチ族」と呼ばれ、日夜犯罪を繰り返していました。
アパッチとは、アメリカのニューメキシコ州、アリゾナ州に住むアサバスカン語族に属する言語を話すアメリカインディアンの一部族のことで、人口は約1万と推定されています。東部アパッチは特に機動力と武勇とで知られていたようです。
これに対し日本のアパッチ族は終戦直後の大阪砲兵工廠跡に出没した在日朝鮮人たちによるくず鉄泥棒のことで、彼等についてはよほど作家的な興味がそそられるのか、開高健が『日本三文オペラ』、小松左京が『日本アパッチ族』、梁石日(ヤンソギル)が『夜を賭けて』という作品をそれぞれ書いています。
日本のアパッチ族にはさまざまなグループがあったようで、各グループは夜になると「ほな笑いにいこか」と言いながら出発したということです。
因みに「笑う」とはドロボウの隠語です。
彼等は当時、環状線とほぼ並行して流れていた猫間川を粗末な船で渡ったり、弁天橋にあった守衛小屋のまえを強行突破したりして跡地に入り込み、それぞれが手鉤(てかぎ:鳶口)や金ノコ、ロープ、シャベル、ハンマー、チェーンブロックなどを持ち、火事場のナントカのような力を発揮し、巨大な鉄塊などを盗んだそうです。
もちろん警察官ともたびたび衝突したということです。
警察官を見つけたら仲間に合図を送りましたが、その時の合図の声が「ヒョウヒョウ」とか「ヒャアヒャア」というふうに聞こえたといいます。
『日本三文オペラ』によると、この合図の声や警察官をまく機敏な動きなどから、取材に来た新聞記者が「アパッチ族」と命名したということです。