10月24日(土)~28日(水)まで姉妹旅行で伊豆&箱根に4人で行って来ました
毎年、姉妹旅行は陽が長い春に遠方まで行ってたのですが、今年はコロナ騒ぎで行く事が出来ずで諦めていたのですが
「ゴーツートラベル」を利用して東京と奈良の姉に私達夫婦の年1回の大きなイベントです。
24日(土)に東京の姉を我が家の最寄り駅まで迎えに行き、毎回我が家に来る時は沢山のお土産を持って来てくれますが
今回もお土産が凄かった。
それらを冷凍庫に入れ、すぐに伊東の家に向かう。
奈良の姉とは伊東駅に15時に待ち合わせをして、今日は伊東の家に泊まり旅行が始まります。
流石にゴーツートラベルが効いてるのでしょう、伊東に行く道は季節に関係なく土・日・祭日は混んではいますが
この日は真夏の渋滞と同じで殆ど車が動かず、八王子の家を10時に出てるのに4時間以上掛かってしまい
伊東の家に着いたのが14時過ぎで、途中のスーパーでお昼用に買ったお弁当を急いで食べ奈良の姉を伊東駅に迎えに行った。
ぎりぎりセーフ、奈良の姉を待たせずに済みました。
私達3人は「城ケ崎の吊り橋」には何度も行ってるのですが、奈良の姉は行った事が無いのでそのまま「城ケ崎の吊り橋」へ
今の時期は16時にもなると辺りが暗くなってくるので、急いで橋の傍にある門脇駐車場に向かった。
20分位で着いたのですが、橋は陽射しが陰ってきてました。
奈良の姉には、この吊り橋はドラマで犯人が飛び降りるのによく出る橋だよと説明する。
皆で渡って、奈良の姉に凄さを分かって貰う。
昼食が14時過ぎに食べたのでお腹が一杯で、伊東の家に帰る途中のスーパーでお寿司やミカンを買って
夜は久し振りにお寿司をつまみながら姉妹3人で夜遅くまでお喋り。
翌日(25日)出発する前に伊東の畑に2,3年前に植えた柿の木が、今年初めて実を付けたので二人の姉が柿取り。
この柿の木、八王子の庭に3年くらい植えて大きくなったのを持って来て畑に植えたのです。
面白い事に、この枝だけに実が7,8個付いてて背が低いので手で取れるのです。
この柿、私も初めて食べたがゴマが入ってるので甘くて美味しい、姉達にも味見で1個づつお土産。
いよいよ姉妹旅行開始です、伊東の家を9時半に出発で西伊豆に向かいますが、その前に以前から気になっていた「東海館」に寄ってみました。
伊東駅から徒歩10分位の所にあり、昭和初期の建築様式を残す3階建ての旅館で
当時の地元材木商により東海道線が熱海駅まで開通した昭和3年(1928)に建てられたそうです。
平成9年に温泉旅館としては廃業しましたが、伊東市に寄贈され平成13年に観光施設となり現在は自由に見学(入館料200円)出来ます!
ネットよりお借りしました。
↑の写真の松川で伊東市の町興し、「伊東の夏の風物詩!タライ乗りレース」が行われますが
今年はコロナで中止でした。
時間が早かったのですんなり入館出来ましたが人数を決めて入館させてるようで、私達が出館する頃には何人か並んで待ってました。
入館すると説明する人がいて見所を説明してくれ、其々で見学します。
当時の材木商が金に糸目を付けず建築した東海館で、館内各所に職人たちの手工を凝らした建築美が観られました。
ネットより
是非とも観て行って欲しいと言われたのが↑の網干(漁網をつって干してある状態)は、漁港の街ならでは。
相撲で河津掛けとは伊東祐親が使った技から名前が付いたようです。
4階の望楼へ上がって来ました。伊東温泉の街が一望できます。
この「東海館」は綺麗にお掃除されてて入口でスリッパに履き替えるのですが
廊下と部屋との段差があるのでスリッパは履かずにお通り下さいとも書いてあり、私は勿論スリッパは履かずにそのまま歩きました。
先に歩いてる人が「ここは段差です、気をつけて」とお互いに注意をうながしてくれます。
私も先に歩いた時に段差があるので注意してと姉達に言ってたのに、私が2,3センチの段差に躓き凄い勢いで転んでしまった
足が絡んで尻もちを着きそのまま背中に倒れたのですが、リュックを背負ってたのでリュックがクッションになってくれて頭を打たずに済んだ。
立っても何処も痛く無く、そのまま次の観光地に移動したのですが・・・
昼食も簡単に済まし「沼津御用邸記念公園」に行った。
1893年(明治26年)当時皇太子だった大正天皇の静養のために造営されたのが「沼津御用邸」で
1969年(昭和44年)に沼津御用邸が廃止されたのち沼津市に無償貸与され、昭和45年に「沼津御用邸記念公園」として開園したそうです。
以前にラッシーパパと二人で行った時は「西附属邸御殿」を内覧したのですが
皆、歳摂りました、疲れてきたのでざっと観て西伊豆のホテルに向かった。
堂ヶ島のホテルに着いたのが16時過ぎ、チェックインの手続きにロビーでかなり待たされ
待ってる間はサービスのドリンクコーナーで好きな飲み物を飲んで待ってたが、このホテルとは最初から相性が悪かったらしい・・・
ロビーには何組ものグループが待っており、手続きに時間が掛かってる。
2、30分待たされやっと部屋鍵を貰ったが、案内する人もいなければ重い荷物を自分で運ばすホテルには驚いた。
エレベーターで部屋階に行ったが部屋番号の案内も見ずらくてウロウロしてしまい
全てが万事、このホテルは案内板が見難い。
私がこのホテルの女将だったら最初の受付から指導し直すわ
この日のサンセットは17時一寸前、部屋に入りサンセットがぎりぎり間に合った。
私は宿を探す時は料理とクチコミと金額で決めますが、このホテルのクチコミは悪くなかったのです。
只クチコミを書いた人が若い子だったら、年寄とは感想がかなり違いますからね。
料理が美味しいのと素晴らしい波打ち際の露天風呂を褒めてる人が多かったので、この宿を選んだのですが・・・
大浴場と露天風呂が放れていて、更に大浴場も直接エレベーターで行けなくて階段を下りて行かなければならず
1度行ったら2度目は面倒で行きたくなくなる・・・
更に露天風呂ですがエレベーターで下りて、其処から外階段を下りて行く
途中で会ったご婦人が「このホテルは年寄りには無理」と言ってましたが、全てが不満だらけのホテルでした。
このホテル、金額が高い割には接待も設備も悪い、部屋の冷蔵庫は昔使ってたビールが横に並んでて取り出す仕組みの冷蔵庫
空きが全く無くて持って行った果物も入れられない、今時こんな冷蔵庫を使ってるホテルは初めてでした。
ただ食事は部屋で美味しかったですね。
ホテル2日目は次回にね!
毎年、姉妹旅行は陽が長い春に遠方まで行ってたのですが、今年はコロナ騒ぎで行く事が出来ずで諦めていたのですが
「ゴーツートラベル」を利用して東京と奈良の姉に私達夫婦の年1回の大きなイベントです。
24日(土)に東京の姉を我が家の最寄り駅まで迎えに行き、毎回我が家に来る時は沢山のお土産を持って来てくれますが
今回もお土産が凄かった。
それらを冷凍庫に入れ、すぐに伊東の家に向かう。
奈良の姉とは伊東駅に15時に待ち合わせをして、今日は伊東の家に泊まり旅行が始まります。
流石にゴーツートラベルが効いてるのでしょう、伊東に行く道は季節に関係なく土・日・祭日は混んではいますが
この日は真夏の渋滞と同じで殆ど車が動かず、八王子の家を10時に出てるのに4時間以上掛かってしまい
伊東の家に着いたのが14時過ぎで、途中のスーパーでお昼用に買ったお弁当を急いで食べ奈良の姉を伊東駅に迎えに行った。
ぎりぎりセーフ、奈良の姉を待たせずに済みました。
私達3人は「城ケ崎の吊り橋」には何度も行ってるのですが、奈良の姉は行った事が無いのでそのまま「城ケ崎の吊り橋」へ
今の時期は16時にもなると辺りが暗くなってくるので、急いで橋の傍にある門脇駐車場に向かった。
20分位で着いたのですが、橋は陽射しが陰ってきてました。
奈良の姉には、この吊り橋はドラマで犯人が飛び降りるのによく出る橋だよと説明する。
皆で渡って、奈良の姉に凄さを分かって貰う。
昼食が14時過ぎに食べたのでお腹が一杯で、伊東の家に帰る途中のスーパーでお寿司やミカンを買って
夜は久し振りにお寿司をつまみながら姉妹3人で夜遅くまでお喋り。
翌日(25日)出発する前に伊東の畑に2,3年前に植えた柿の木が、今年初めて実を付けたので二人の姉が柿取り。
この柿の木、八王子の庭に3年くらい植えて大きくなったのを持って来て畑に植えたのです。
面白い事に、この枝だけに実が7,8個付いてて背が低いので手で取れるのです。
この柿、私も初めて食べたがゴマが入ってるので甘くて美味しい、姉達にも味見で1個づつお土産。
いよいよ姉妹旅行開始です、伊東の家を9時半に出発で西伊豆に向かいますが、その前に以前から気になっていた「東海館」に寄ってみました。
伊東駅から徒歩10分位の所にあり、昭和初期の建築様式を残す3階建ての旅館で
当時の地元材木商により東海道線が熱海駅まで開通した昭和3年(1928)に建てられたそうです。
平成9年に温泉旅館としては廃業しましたが、伊東市に寄贈され平成13年に観光施設となり現在は自由に見学(入館料200円)出来ます!
ネットよりお借りしました。
↑の写真の松川で伊東市の町興し、「伊東の夏の風物詩!タライ乗りレース」が行われますが
今年はコロナで中止でした。
時間が早かったのですんなり入館出来ましたが人数を決めて入館させてるようで、私達が出館する頃には何人か並んで待ってました。
入館すると説明する人がいて見所を説明してくれ、其々で見学します。
当時の材木商が金に糸目を付けず建築した東海館で、館内各所に職人たちの手工を凝らした建築美が観られました。
ネットより
是非とも観て行って欲しいと言われたのが↑の網干(漁網をつって干してある状態)は、漁港の街ならでは。
相撲で河津掛けとは伊東祐親が使った技から名前が付いたようです。
4階の望楼へ上がって来ました。伊東温泉の街が一望できます。
この「東海館」は綺麗にお掃除されてて入口でスリッパに履き替えるのですが
廊下と部屋との段差があるのでスリッパは履かずにお通り下さいとも書いてあり、私は勿論スリッパは履かずにそのまま歩きました。
先に歩いてる人が「ここは段差です、気をつけて」とお互いに注意をうながしてくれます。
私も先に歩いた時に段差があるので注意してと姉達に言ってたのに、私が2,3センチの段差に躓き凄い勢いで転んでしまった
足が絡んで尻もちを着きそのまま背中に倒れたのですが、リュックを背負ってたのでリュックがクッションになってくれて頭を打たずに済んだ。
立っても何処も痛く無く、そのまま次の観光地に移動したのですが・・・
昼食も簡単に済まし「沼津御用邸記念公園」に行った。
1893年(明治26年)当時皇太子だった大正天皇の静養のために造営されたのが「沼津御用邸」で
1969年(昭和44年)に沼津御用邸が廃止されたのち沼津市に無償貸与され、昭和45年に「沼津御用邸記念公園」として開園したそうです。
以前にラッシーパパと二人で行った時は「西附属邸御殿」を内覧したのですが
皆、歳摂りました、疲れてきたのでざっと観て西伊豆のホテルに向かった。
堂ヶ島のホテルに着いたのが16時過ぎ、チェックインの手続きにロビーでかなり待たされ
待ってる間はサービスのドリンクコーナーで好きな飲み物を飲んで待ってたが、このホテルとは最初から相性が悪かったらしい・・・
ロビーには何組ものグループが待っており、手続きに時間が掛かってる。
2、30分待たされやっと部屋鍵を貰ったが、案内する人もいなければ重い荷物を自分で運ばすホテルには驚いた。
エレベーターで部屋階に行ったが部屋番号の案内も見ずらくてウロウロしてしまい
全てが万事、このホテルは案内板が見難い。
私がこのホテルの女将だったら最初の受付から指導し直すわ
この日のサンセットは17時一寸前、部屋に入りサンセットがぎりぎり間に合った。
私は宿を探す時は料理とクチコミと金額で決めますが、このホテルのクチコミは悪くなかったのです。
只クチコミを書いた人が若い子だったら、年寄とは感想がかなり違いますからね。
料理が美味しいのと素晴らしい波打ち際の露天風呂を褒めてる人が多かったので、この宿を選んだのですが・・・
大浴場と露天風呂が放れていて、更に大浴場も直接エレベーターで行けなくて階段を下りて行かなければならず
1度行ったら2度目は面倒で行きたくなくなる・・・
更に露天風呂ですがエレベーターで下りて、其処から外階段を下りて行く
途中で会ったご婦人が「このホテルは年寄りには無理」と言ってましたが、全てが不満だらけのホテルでした。
このホテル、金額が高い割には接待も設備も悪い、部屋の冷蔵庫は昔使ってたビールが横に並んでて取り出す仕組みの冷蔵庫
空きが全く無くて持って行った果物も入れられない、今時こんな冷蔵庫を使ってるホテルは初めてでした。
ただ食事は部屋で美味しかったですね。
ホテル2日目は次回にね!