今日は、半世紀近くの友人だったT氏が亡くなってから一年過ぎた。
一回忌の法要は、八月にラッシーママが代表して出席させて貰っていたので、
お墓の場所は知っている。
友人と“鶯谷”の駅で待ち合わせ、歩いて7,8分位の「寛永時」にT氏は眠っている。
「寛永時」と言えば、徳川家縁のお墓で有名だ
四代将軍、家綱公・ 五代将軍、綱吉公・ 八代将軍 吉宗公・
十代将軍、家冶公・ 十一代将軍 家斉公・ 十三代将軍、 家定公
6代徳川将軍の霊廟がある。
T氏のお墓は、奥様の実家と一緒に祭られている。
奥様が二人姉妹で、跡取りが居ない為、このような二家が一緒のお墓になったが
これからの時代は、このようなお墓が多くなるだろう
三人でタクシーで上野まで出て、上野公園の傍のホテルの喫茶室で
久し振りにお茶を飲みながら気分はすっかり高校生
ラッシーママの呼び名も学生時代の愛称“シノ”(旧姓だからいいだろう)
話の内容も20歳頃、富士山に登った
その時は男子4名、女子3名で夏、夜中に旅館を出発
おにぎりの弁当を作って貰い、K君が全員の弁当を背負い(どうしてそうなったのか?)
Oさんが全員のお金を預かり(これも?)頂上めざし登ったが、
途中でおにぎりを食べようという事になったが、何とK君が重いという事で、
おにぎりを全て捨ててしまっていたのです
頂上近く登ったのですが、お腹は空くは、寒いは、で頂上を目の前にしてダウン
ダウンしたのは、ラッシーママ、亡くなったT君、お弁当を捨てたK君・
今思えば高山病だったのです
他の四人は頂上まで辿り着き、頂上で“お汁粉”を食べ、下山した事
今言っても本当?と思われるでしょうが、ラッシーママは小学校からスポーツ万能
高校生の時は、マラソン大会1位と早かったのです。
「そのシノが富士山に登れなかった!」と大笑い
やっぱり学生時代の友達はいいですね~
再会を約束して別れた
ラッシーママはこれから「伊東の家」に行ってきます