ラッシーママのひとりごと

仕事を辞め好きな事に一日を費やしている主婦です。

明日、入院です!

2010年08月30日 | 日記

いよいよ明日、入院します


生憎、ラッシーパパは仕事が入っているので
次男が病院迄付き添ってくれます


1ヶ月間の入院生活になりますが、
皆様の励ましの言葉と応援に勇気づけられました 
ありがとうございました。
1ヵ月後には元気な姿で戻って来ます。     
    
                         此処までは無理



入院生活は携帯から送りたいと思っておりますが
携帯からのメールも苦手で、PCからメールをしてるくらいです
又、コメントを頂いても其々の方に、お返事出来ないことお許し下さい。


それでは病院に、明日の午前中に集合ですので行って来ます                                                                                     

                              


 


 

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友人!

2010年08月28日 | 日記

30年来の友達がマレーシアから帰国したので
昨日、ランチを一緒にした


この友人、実にユニークな人で、7年前に突然夫婦でマレーシアに
長期滞在してしまった。
マレーシアに長期滞在する話しも急な事で、TELが掛かってきて
「マレーシアに遊びに行って来たけれども、気に入ったので
コンドミニアムを契約してきた。
何年住むか分からないけど、飽きたら帰って来るから・・・」


そんな話しをして早期退職したご主人と、
出掛けて行ってしまった           


毎年、確定申告の時期の前後に帰ってきては、会っていたけれども
その内、帰って来た連絡はあるものの、お互いに忙しくて会わずにいたが
7月始めにTELがあり、
「マレーシアの物は全て処分して帰って来た」
「もう、マレーシアの生活は満足したの?」
「7年前は物価が安かったけれども、今は物価も高くなってきてるの」


ご夫婦も歳を取ってきて、老後の事や色々な事を考えた末に帰国したのでしょう。


彼女との話しで、マレーシアではのんびり過ごせたが
日本に帰って来るなり、色々な悩み事があるらしく
私は専ら聞き役専門


我が家にも悩みはあります。
次男のお嫁さん問題、娘は全く結婚願望ありません・・・


親としては、其々の家庭を持って欲しい

 

久し振りの友人との語らい、手術の事も忘れ楽しかった。
無事手術が終わったら、又会おうと分かれた

 


                             

 

もうじき入院する私の為に、次男が「ワンセグ」というポータブルDVDプレーヤ
を買ってくれた

 

 

 

 

 

前回の足の手術の時、大部屋で其々のベッドにTVは付いてるが
このTVを見るのに1000円でカードを買い、見るのだが
TVをつけていないようでもカードはすぐ無くなる。


そんな時、同じ病室の人達が、のようなのを持って見ていた。
私、この時迄このような物があるとは知らなかった


友達のYさんが、病院は飽きてしまうのでと本を送ってきてくれた。

 

 

 

7月、8月と仕事が入って無かったラッシーパパも
今週から仕事が始まり、私の入院日、手術日と共に仕事で来られません。
私の方は次男や娘、又姉妹が付き添ってくれますので問題ないのですが
安心して入院そして手術をお任せしようと思っています。

前回の入院で必要な物も分かり、着々と準備してます。


皆様からのご心配と励ましに感謝しております


  
   

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試しです!

2010年08月25日 | 日記
久しぶりに携帯からパソコンに投稿です。
入院したさいの練習です!
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あてのない旅行!

2010年08月23日 | 旅行

今年は残暑が無いのかと思うくらい、毎日が極暑


来週の入院迄の間、どうしても気持ちが晴れず
毎日、何をするでもなく無意味に過ごしていたが
気分転換に21日,22日とラッシーパパと一緒に
長野県の「斑尾(まだらお)高原」に行って来た


「斑尾高原」といっても聞きなれない人は
「妙高高原」や「野尻湖」の近くといえば 、お分かりでしょう。


この入院の件が無かったら、長崎県の「五島列島」に行っていた筈・・・
頚椎を調べるに従い、結果が思わしくないのでキャンセルした


私は普段、旅行といえばツアー専門なのですが
ラッシーパパが何処でも付き合ってあげると言うので
急遽、探したのが涼しいだろうと「斑尾高原」でした。
更に、土・日は例の高速代金1000円を利用したのです。


カーナビに行き先をいれると300キロ弱と出ています。
八王子インターより中央高速、長野道、上信越道と走ります


急ぐ旅行でもないので、ラッシーパパの実家があった「双葉SA]で昼食
何故かワンちゃん達の集まりがあったみたい・・・


 

 

 

私達が行った「斑尾高原」一帯はスキー宿で
昔は冬のスキー客だけで生計出来たが、今は難しいそうだ。
時間も早く着いたので、散歩がてら一周してみた


スキー場にはリフトが3基あるが、1基のみ運行中でした。



 

 

向かいの山にも3種のスキー場があったが、ガスが出ててよく見えない。
このスキー場、かなりの広さがある。

 

 

 

流石に此処まで来ると、風が爽やかで都会の暑さを忘れさせてくれる。
じっと佇んでいると、少し肌寒いくらいだ・・・

 

又、初級コースのスキー場は、夏の間だけグラススキー場に代わり
先生が付いて、教えている。

 

 



この他にも、パラグライダー場やアーチェリー場、釣り、テニスコート等
「斑尾高原スキー場」の人達が頭を捻り、
夏に客寄せする為に、考えたであろう事は一目瞭然


ここのスキー場で面白いことを発見した
スキー場のある場所が長野県と新潟県の県境になっていた

 

 

 

 

 

翌日は旅館のご主人が遊ぶ場所を幾つか教えてくれたが
“日本海の海”が見たくて新潟方面の「直江津」迄走った。

 

 

 

この暑さなので沢山の家族が海水浴に

 

 

 

私が「黒部ダム」に行った事がないと言ったら
「折角此処まで来たのだから連れて行ってあげる」という事で北陸道に乗り
雄大な日本海の海を見ながら、海沿いを走り
越中境PA迄来て、行き方が分からず聞いてみたら
車では行けないとの事

 

 

 

時間的に「黒部ダム」は無理なので、家に帰る事にしたが
素晴らしい日本海を長い時間見せて貰ったので、私の気持ちは大満足


北陸道・上信越道・長野道・中央道と凄い距離に・・・
走っては休みで日本海とお別れの名立谷浜SAでは
余りの素晴らしさに暫し呆然

 

 

 

私はこんなに満足してるのに、ラッシーパパは
「連れて行けなくてゴメンネ」


最初は順調に走っていたけれど、中央道は凄い込み具合
皆、考える事は同じで1000円効果は絶大でした。
往復の高速代、普段なら16000円近くするのが、往復2000円
これなら混もうが我慢は出来るわ。


それにしても二日間の移動距離800キロ以上
ラッシーパパ一人の運転、ご苦労様でした。
私が代わると言っても、絶対に運転させませんでしたね。

こんな旅行も楽しかった 

 

 

 

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まな板の鯉!

2010年08月18日 | 病院

先日オクラの花を載せましたが、オクラの実が大きくなりました。
こんな少しでは食べようがないのですが、初めて収穫出来ました。

 

 

 

先日、病院より入院日を連絡してきました。
31日入院して、1週間は検査入院、9月7日が手術日だそうです。


30日迄に必要な事は全部やってしまおうと
昨日、保険会社二社に“救済金請求書”を送って貰うよう手配しました。
(保険会社3社だったが、1社解約)


以前、保険の件では沢山の方が、ご主人が定年になったのを機会に
今迄の保険を解約して、その分を自分で貯金してる方や
掛け捨て保険を止めて、死亡保険金より入院保障に厚めの保険に
切り替えたとの声に、私が入っている保険は皆掛け捨ての保険で
若い時からずっと掛けていたが,年齢と共に保障を大きくする為
切り替えで毎月の掛け金の金額も大きく、
実際に保険請求など皆無に等しかった。


ところが去年の足の手術の時、初めて請求してが
三社合わせてもたいした金額では無かった。


それを思うとこれから先も、掛け捨て保険を続けていくのがよいのか
ここで保険の切り替えや、止めた方がよいのか迷い
踏ん切りがつかずにいましたが、今回のような思いも寄らない手術や病気が
歳を取るに従って出てくるようで、止めずにいた事でホットしております。
救済医療金はたいした金額では無いが
生きている間何度でも使えると思うと、安心料ですね。


高額医療費の申請も市の出張所に行き、手続きをしてきました。


これで手続きは終わりましたが、何故か気持ちが落ち着かないのです。
入院日迄は未だ10日以上もあり、PCで習った事の復習など
やることは沢山あるのに、やる気が出ないのです。


私は庭で土さへ触っていれば、嫌な事も忘れストレス解消になるのですが
今は暑くて庭に出られず、借りてきたDVDや読書等で過ごしたり
ラッシーパパが先月、今月と殆ど仕事が入って無く
完全なる夏休み状態で、普段なら私の跡ばかり追ってイライラするのですが
今回ばかりは一緒にいる事が心地良いのです。


私自身、手術をすると決心したにも関わらず不安が心をよぎります。
今は「まな板の鯉」で、先生を信じてお願いするしかありません・・・


私の髪は1ヶ月半に一度の割合で、定期的にカットとカラーを
して貰っています。
入院してる間も綺麗でいられるよう、今日は美容院に行って来ました  

 

 

 

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終戦記念日!

2010年08月15日 | 日記

nママさんのブログで、6月頃に撒いても出来る野菜がオクラと聞き
咲き終わったパンジーを抜き、早速、私も5,6個のプランターに種を撒きましたが
そのオクラが花を咲かせました。

 

 

 

オクラの花って始めて見ました。
随分可愛い花なのですね。
オクラの実も、このプランター以外にも幾つか生ってます。

 

                                                          

 

今日は65回目の終戦記念日でした。
の記事に書いたように、入院迄はゆっくり過ごそうと
DVDを借りてきた。


以前TVで紹介された時、見たいと思っていたのが借りられた。
終戦を意識してた訳ではないが、内容が戦争にまつわるものだった。

 


 

 

「縞模様のパジャマの少年」ドイツ人の少年とユダヤ人の少年の友情の物語り。

軍人の父を持つドイツ人の少年は母と姉と四人で暮らしている。
裕福な暮らしをしていたが、父が更に出世して
責任者として、新しい任地先に皆で越して来る。


新しい場所には子供もいず、寂しい日を過ごしていたが
ある日、家の窓から遠くに農場のようなものが見える。
其処がユダヤ人達の収容所とも知らず、探検のつもりで偵察に行く。


鉄条網の所で縞模様の洋服を着た、同じ歳の少年と出会う。
最初は相手にもしてくれなかったが、毎日通う内に心が通じ
ドイツ人の少年はユダヤ人の少年の為に、食べ物を調達してくる。


その収容所の一部には高い煙突がそびえたつ。
その煙突からの臭いが凄まじいので、理由を聞くがゴミを焼いていると言われ
少年は信じるが、本当の事は父親のみが知っている国からの極秘扱い。
母親も知らずにいたが、ある日母親は気づく。
母親はいくら戦争でも、それだけは絶対にいけないと夫と喧嘩する。


映画の中では、家庭教師が姉と少年に勉強を教えるが
「ドイツの歴史」を教える場面では、
ドイツを苦しめてるのはユダヤ人と、ユダヤ人全てが悪く
ユダヤ人には同情すべき点など何一つ無いのだから
ユダヤ人が苦しむのは当然と教えている。


戦争中とはいえ、何故あのようにユダヤ人を抹殺しようとしてるのか分からない。
少年はその先生の話しに疑問を感じるが、刃向かえない。


少年同士は益々仲良くなるが、母親は辛い現実にノイローゼ気味になり
母親と子供二人は別の場所に越す事になり
今回が最後と、その事を告げにユダヤ人の少年の所にドイツ人の少年が行くが
ユダヤ人の少年の父親がいなくなったので一緒に探して欲しいと頼まれる。
この時既にユダヤ人の父親はガス室に送られていたのを
二人共、全く気がついていない・・・


ユダヤ人の少年が持ってきた縞模様の洋服に着替え
鉄条網の下から潜り込み、着てきた洋服はそこにおいたまま
二人でユダヤ人の父親を探し始める。


二人が部屋を探している時、その部屋にいるユダヤ人の人達全てが
ドイツ人等によってガス室に送り込まれるが、二人の少年もその中に入っていた。
二人の少年は、其処がガス室とは知らず、雨が降ってきた道を歩かされたので
その部屋で雨宿りをさせてるものと勘違いしてる。
やがて扉は閉められ、天井の窓から毒ガスが
その時、二人の少年は互いに手を握り合い・・・・

 

 

 

ドイツ人の少年の姿が見えないので、軍人達で探すが
父親の子供を呼ぶ大きな声と、母親は少年が抜いた洋服を見つけ
全てを理解し泣き崩れている様子で映画は終わる。


見終わった後の、遣り切れなさ
先日観た「クロージング」と何処かダブっていた。


この軍人さんは、戦争によってユダヤ人抹殺のつもりが
自分の息子をガス室に送り、やがてくる終戦でドイツが敗戦し
ユダヤ人をガス室に送った罪で死刑になっただろう。


戦争とは一部の人達の考えで、戦場に赴き戦いあってる。
人間同士がいがみ合い国を争って、良い事は一つもなく
お互いの家族を失い、精神的に受ける傷の大きさ
戦争をやって得する事は絶対に無い。


私達の今の幸せがいつまでも続くよう、祈らずにはいられない。


この映画、スケールの大きい映画館で観てみたかった。

 

 

 

   

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又手術!

2010年08月12日 | 病院

      先日の夏合宿の写真集を作ってみました。

 

 

 

我が家に遊びに来ると、写真集が付きますよぉ

 

                  

  

毎月リューマチの診察に通っているクリニックに
3ヶ月程前に行った話しになりますが
4,5ヶ月くらい前から、右手の親指と人差し指が痺れているのです。


先生は必ず「変わった事はありませんか?」と聞くので
何気なく「右手の親指と人差し指が痺れているのですが・・・」
先生は細かい質問をし、
「それは頚椎に異常があるな、すぐレントゲンを撮りましょう」という事で
レントゲンを撮り、結果を聞く為に待ちました。


名前を呼ばれ、もう一度診察室へ
先生、レントゲンの写真を見ながら説明をしてくれました。
「首の第一、第二頚椎が通常より11ミリ前にずれてる。
大きな病院を紹介するので、すぐそちらで診て貰いなさい。
このままにしてたら、何かあったら死ぬこともあるんですよ」
と頚椎カーラーを買わせられ、帰りには首にはめられてしまった。

 

 


紹介状を貰い、脅かされてしまったと思いながら
数日後、紹介された病院のリューマチ科で再度、首のレントゲンを撮り
大病院の担当の先生も、レントゲンの写真を見ながら
「やはり11ミリずれてますね。もっと詳しく調べる為に、MRIを撮りましょう。
これは専門的に診て貰う必要があるので、頚椎専門の先生に廻します。」
そして、その先生の担当日を指定されました。


この時も、私の首の状態を絵に書いて説明をしてくれたのです。
「今、首に衝撃があったら、息が出来なくなって死ぬ事もありますよ。
車の運転をしてる時が一番怖い、後ろから追突されたら大変な事になります。」
この段階でも未だ自分の状況がよく判ってなかったのです。


家で心配していたラッシーパパに状況を説明し、
今度はMRIを撮らなくてはいけないが、
整形外科などに行くと、首を上から引っ張って貰っているのを見てたので
治療が長引くようなら近所の病院を紹介して貰おうと思っていたのです。


指定された日に病院に行き、今度はMRIの狭いカプセルみたいな所に入り、
耳栓みたいなイヤホンを付け15分位でしょうか?


長時間待たせれ、頚椎専門の先生に会いました。
MRIの写真を見ながら、色々と質問をしてきます。
先生は私の返事をカルテに書いています。
クリニックの先生もリューマチ科の先生も言ったのと同じ言葉
「このままにしておいたら大変な事になります。
私としては、すぐに手術を勧めます。」


私、ここに来る迄は甘く考えていたので、すぐには返事は出来ません。
「手術をしないで、このままいたらどうなりますか?」
「やがては手や足は動かなくなります・」
私、・・・・・・
「現在手の指が痺れるという兆候が出てるのですよ。
それでも貴女が手術をしたくないというなら、私は構いません。
この病院は、日本の中では頚椎の手術は多い方です。」
「年間、何例くらいやってるのですか?」
「8,9例です。」
「8,9例で多い方なのですか?」
「そうです。少ない所では2,3例ですよ。」


私が面談してる日の2,3日前に同じ手術をしたという
二人の患者のレントゲンを見せてくれました。
一人の患者の首の第一、第二頚椎にボルトが嵌めてあります。
この患者さんは未だ初期の方で
もう一人の患者さんのは凄かった・・・此処まで悪くしたくない。


次回の来院の時は家族と一緒に来るように
気持ちが決まる迄に、どのくらいの日にちが必要か聞かれ
二週間後と決めてきました。


その時、私の病名を紙に書いてくれて
「心配でしょうからPCで調べて下さい。」
関節リューマチによる「環軸椎亜脱臼」(かんじくついあだっきゅう)
と書いてありました。


私も「環軸椎亜脱臼」について調べてみましたが
症状が出てる場合は、どれも手術を勧めています。
私の場合、選択の余地も無く、手術を受けなければならないでしょう。


今日、ラッシーパパと一緒に病院に行って来ました
ラッシーパパに再度、説明しています。
「今は爆弾を抱えて歩いているのと同じです。
一日も早く手術をお勧めします。」


行く前より気持ちは決めてあったので、その場で手術をお願いしてきました。
入院するのは9月になってから、手術の為の検査をやり帰ってきました。
入院の為の手続きもしてきました。

 

 

 

私、本当は手術するの怖いのですが
このまま何も処置しない方が、ずっと怖い事が分かりました。
入院日は連絡がくるでしょう。
それ迄、心穏やかに過ごすようにします。
 



 

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夏合宿!

2010年08月08日 | 伊東の家

 

 

のゴーヤの数、正解は11本でした。

 

                             

 

今年も伊東の家での「夏合宿2回目」が6日、7日にありました


遠方からはるばる四人のブログ仲間が「伊東駅」に集まりました。
其々が東京・千葉・静岡・大阪から夏合宿参加の為、駆けつけてくれたのです
正午過ぎの集合の為、私が前々よりよくブログに載せている
伊東の家にいらした方は、必ず連れて行く「五味屋」へ。


この店、地元でも安くて美味しいと評判なので土・日・祭日は
2,3時間待ちは当たり前、平日でも30分は待ちます
この日も30分は待ち、お座敷席へ・・・


 

 

この日の注文は“さしみ定食”“さしみイカ丸焼き定食”を3つづつ
皆の舟盛りの刺身を見て、思わず顔がほころびます。
ブロガーとしては全員写真を撮り、中には写メールで即家族に


家ではこれから夜迄、延々とお喋りタイムです。
去年のメンバーのUさん・  Gさん・  Bさん・   それに大阪から初参加のLさん。


 

 

日頃よりブログを通して家庭の細部に迄、お互いに知っている仲間なので
何を話してもすぐ通じ、特別な話しはありません
にも関わらず、夜遅く迄喋りぱなし・・・


布団を敷いて寝る時も、学生時代のクラブの夏合宿そのもの
何方かが言ってました。
「学生時代を思いだす」って



 

 

朝食は、パン作りならプロ級のUさんが焼いて持って来てくれた“お惣菜パン”
皆でワイワイ言いながら美味しく戴きました


お昼過ぎまでお喋りが続き、喋るのに飽きた頃ドライブがてら
私が以前食べた“さざえ汁”の店に


行く途中の車の中での会話!
「皆ブログに出すでしょうけど、余り巧く書かないように・・・」心配いりません。
書きたくても書けないし、巧く書く人は来てないわ


川奈の「汐吹公園」で美女五人、ラッシーパパのカメラマン付き

 

 

 

 
    ラッシーパパとGさんが遊んでいます。

 

すぐ近くの海女の小屋で私とラッシーパパと一つの“サザエ丼”
全員で“さざえ汁”を頼み、何人かは“ところてん”も注文。


運ばれてきた“さざえ汁”の大きさに、思わずUさんが「ゥワァ」
皆、にこにこ顔で食べています。
ここで面白い事を発見しました。


関東の“ところてん”は酢醤油ですが関西では黒蜜をかけるそうです

 

 

 

伊豆高原「旅の駅」では無料の足湯もあり
広い土産物屋ではクーラーも効いて、涼しい中其々がお買物
干物を買って帰りたいと言うので、私が普段利用している干物屋に案内して
皆が買物をしてる間に試食用の魚を焼いておき試食会。

 

 

 

今年の夏合宿、無事終わりました。 
楽しかったわ

 

 

 

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ゴーヤ&ミョウガ!

2010年08月05日 | ガーデニング

今月に入り、朝晩は爽やかな風が吹き出し少しは楽になったが
昼間の暑さは以前と変わらず、残暑が厳しい


庭のゴーヤも沢山の実を付けている。

 

 

 

さて問題です。
今幾つ、実が付いてるでしょうか?
答えは次回にします。


スーパーでゴーヤを買ってもたいした金額ではありませんが
こんなゴーヤでも、分けてあげると喜んでくれる
そんな事が嬉しくて、誰彼構わずあげています


裏のミョウガが採り頃になってきました。

 

 

 

先月まで、あまり聞かれなかったセミの声も
やっと賑やかにあちこちから聞くようになりました。
庭にもあちらこちらに、セミが這い出したであろう穴が空き
抜け殻もかなりの数を見ました。


中には脱皮出来ずに死んでしまったのも見ましたが
脱皮後、すぐのセミは今年初めて見ました。

 

 


 

これから「伊東の家」に7日(土)まで行ってきます
コメントの返事、遅れる事お許し下さい。

 

 

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映画クロッシング!

2010年08月03日 | 日記

以前TVの番組を見ていた時、映画の紹介で気になった番組があったが
何時から公開するとは言ってなく、何時の間にか忘れていたが
ひょんな事から、その映画をPC仲間のSさんと観て来た。


その映画とは北朝鮮脱北者の一家族を描いた“クロッシング”
上映してる映画館も少なく、上映されても1週間と短い。
この機会を逃しては観る事が出来ないので、今日と予定を入れておいた。



  

 

2007年、北朝鮮の炭鉱の町に住む3人家族。
元サッカー選手の父と母と11歳の息子と貧しいながら幸せに暮らしていた。
ある日、妊娠中の妻が結核で倒れ、
北朝鮮では手に入らない薬を求めて、隣国の中国に脱北するしか無かった。


父は脱北に成功し、やっとの思いで辿り着いた中国で働くが
不法労働の現場が見つかり、公安に追われる身になってしまう。
薬を得る迄は帰れないと、身を隠していた。


そこへ北朝鮮の実情を話せばお金を得られるという話しが舞い込み
インタビューに応じることにする。
それが妻子と別れる永遠の分かれ道となる・・・


北朝鮮では、夫の帰りを待ちわびていた妻が息を引き取る。


孤児になった息子は、父を探しに国境の川を目指す。
途中、やはり家族と引き裂かれた幼馴染の少女と出会い
二人は脱北に失敗し、強制収容所に入れられてしまう。
過酷な環境の中でほのかに芽生えた恋心、しかし少女の死。


韓国に到着した父はすぐに息子探しを依頼する。
仲介者によって、息子は中国の国境を超え、モンゴルの砂漠へ
脱出したとの報がもたらせれたのだが・・・


以前、瀋陽の「日本大使館」に脱北者の家族が逃げ込もうとして
館内に入ろうとする脱北者に、それを阻止する警備員の姿が
放映され、日本大使館の接し方に問題ありと報じられたことがあったが・・・


この映画の中でも、父が集団で瀋陽の「ドイツ大使館」に逃げ込み
脱北者を手助けするNGOのお世話で、韓国で新しい生活を始めることになるが
観ててのことを思い出してしまった。


この映画は、北朝鮮の脱北者と呼ばれる人々の
一例を描いた韓国映画ですが、公開される迄に2年の月日を要したそうです。
色々な障害を乗り越えて、やっと公開に持ち込んだそうで
 す。

 

 

 

 

 

この映画を作るに辺り、3年間の取材を土台に念入りに準備し
企画・製作に4年の歳月を費やし、
メインスタッフに多数の脱北者を加えたそうで
北朝鮮からの脱北者と呼ばれる人々の一例を描いた韓国映画です。


過酷な食料危機で300万人以上の人々が餓死したとも言われ
家族の死を目の当たりにし、視線をさ迷いながら
住み慣れた故郷・国を捨てて、国境に向かわなければ生きてゆけない。


この映画を通して、今迄話しや映像で知ってはいたけれども
実際に映画を観て、余りの悲惨さに何度胸に突き上げたことか・・・


今の「日本」の現状がこのままで良いとは思わないが
このような国がすぐ隣にあることを、皆が知って
如何に「日本人」であることが幸せなのか、改めて考えて欲しい。


観終わった後に、宿題を出されたような気分です。
それだけ感動とは違う、私に衝撃をくれた映画でした。


映画の中に出てた父親役のチャ・インピョさん
高倉 健さんが昔「黄色いハンカチ」を演じてた頃に似てるのです。
チャ・インピョさん、韓国ではトップスターだそうですが
今迄知らなかったけれど、ファンになってしまった。


息子役のシン・ミョンチョル君は可愛くって、抱き締めたくなる程でした。


映画を観終わった後は、勿論ランチ
映画館が新宿・伊勢丹前だったので、当然ランチは「伊勢丹」で・・・
「伊勢丹」辺りは、独身時代に闊歩してたが何十年ぶりだろう


 

 

 



 

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