ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が公園カウンセリングやメールカウンセリングなどをやっています

司馬遼太郎『南蛮のみちⅡ-街道をゆく23』1988・朝日文芸文庫-「街道をゆく」を読む

2024年11月08日 | 随筆を読む

 2018年のブログです

     *   

 司馬遼太郎さんの『南蛮のみちⅡ-街道をゆく23』(1988・朝日文芸文庫)を再読しました。

 司馬さんの本の感想文を書くのはたぶん初めて。

 実はじーじは大の司馬さんフアンで、「街道をゆく」の北海道編などはそれこそ何回読んだかわからないくらいなのですが、なぜか今までブログは書かずにきました。

 しかし、じーじは電車に乗る時や病院の待合室などでは、必ずと言っていいほど、司馬さんの本を読んでいます。

 面白いですし、かといって、人前でプッと笑ってしまうような危険(?)もなく、安心して読めて、見た目もちょっと賢そうに見えそうな(?)、安全な本ではないかと思います(一方、じーじの経験では、川上弘美さんや椎名誠さん、村上春樹さんの一部のエッセイなどはやや危険(?)です)。

 さて、本書、1983年に『週刊朝日』に連載されたもの。

 じーじはこの文庫本を1997年に購入して読んでいるようなのですが、それにしても今読んでも全く色褪せていません。

 ちなみに、じーじは1973年に大学に入学して、新聞配達のアルバイトをしながら大学に通っていたのですが、その頃、新聞販売店に置いてあった『週刊朝日』に連載されていた司馬さんの「街道をゆく」シリーズを読むのを毎週、楽しみにしていたことを思い出します。

 本書は「街道をゆく」シリーズでも数少ない海外取材編ですが、司馬さんの豊富な知識と旺盛な好奇心と多少のユーモアから、とても質の高い旅行記兼エッセイになっています。

 スペインとポルトガル、スペインの落日を考え、ポルトガルと日本の関係などを冷静に、かつ、公平に、考察しています。

 挿し絵を描いている画家の須田剋太さんとのやり取りも絶妙で楽しめます。

 ポルトガルの描写などを読んでいると、日本との類似性も強く感じられ、親近感も湧いてきます。

 じーじのようなじいじいでも、一度くらい行ってみたいな、と思えるような感じがします。

 今後も、司馬さんの「街道をゆく」シリーズを読みながら、日本と海外の上質な旅を追体験したいな、と思いました。      (2018. 11 記)
 
 

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子どもをめぐるおとなの争いと,子どもを思いのままにしようとするおとなの問題-「おとな」の親になるために

2024年11月07日 | 「おとな」の親を考える

 たぶん2011年ころのブログです

     *   

 家庭裁判所で仕事をしていると,子どもをめぐる争いをよく目にします。

 離婚や子どもの親権をめぐって,お母さんとお父さん,さらにはおじいちゃん,おばあちゃんまでが加わって,大変な争いになってしまい,悲しい気持ちで眺めることが多いです。

 最近,子どもをめぐる争いが激化しています。少子化の影響でしょうか。

 また,子どもの虐待も増えています。

 じーじはこれらの根底に「子どもをコントロールする」というおとなのわがままな傾向があるのではないかと考えています。

 子どもの少子化についても,そこには経済状況や社会状況のせいもあるでしょうが,さらには子どもの出産や育児や教育をコントロールしたいというおとなの無意識の気持ちが影響しているのかもしれません。

 しかし,子どもを完全にコントロールするなんてとても無理なことです。

 子どもの人数や才能や容姿,学歴なども,一見,大人がコントロールできそうに見えても、実はおとなのコントロールどおりにはいきません。

 それをコントロールできると考えることから,思うようにならないと虐待や過干渉,奪い合いが生じてしまうのではないではないでしょうか。

 子どもは天からの授かりもの,この当たり前のことを忘れた時に,子どものコントロールが始るのかもしれません。

 まずは子どもを授かり,育てられることを,素直に感謝したいと思います。

 それだけで十分に幸せなことです。

 そこを再確認したいものです。

 そして,かりに,残念ながら,親同士は離婚となったとしても,子どものために面会交流などで協力をして,大切な子どもさんを温かく育てていきたいものだと思います。       (2011?記)

     *

 2018年6月の追記です

 最近、虐待死という痛ましいニュースがまたありました。

 子どもをコントロールするおとな、という点では同じ根っこなのかもしれません。

 子どもはそれだけですばらしい存在なのですが…。       (2018.6 記)

 

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あだち充さん・MIX・遊びごころ-じーじのじいじ日記・セレクト

2024年11月07日 | じいじ日記を書く

 2019年の日記です

     *

 テレビを見ていたら、突然、あだち充さんのアニメが始まった。

 MIX。

 またしても(?)、高校野球だ。

 しかし、見ていると、なかなか面白い。

 あだち充さんを面白がるじーじが幼稚なのか、じいじいのじーじにも面白いアニメを描くあだち充さんがすごいのか、どっちだろう?

 そもそも、今の子どもたちはあだち充さんを見るのだろうか?

 もっとも、あだち充ファンだからというわけではないが、あだち充さんのマンガはなかなか深いとは思う。

 人生の哀しみや喜び、驚き、などなどがよく表現されていると思う。

 そう馬鹿にしたものでもない。

 遊びごごろに心が開かれていないと、心理療法はできない。もちろん、遊戯療法も。

 いい臨床家になるために、じーじは今日もあだち充さんを見るのだ。        (2019.6 記)

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 2024年11月の追記です

 じーじの部屋の崩れた本の山を積み直していると、あだち充さんの『ラフ』を発見する。

 先日、孫娘たちにお薦めできそうなあだちさんの『スローステップ』を見つけたので、『ラフ』もお薦めできそうかどうか一所懸命に(?)読む。

 高1男女の水泳をめぐる青春物語!という感じで、当然(?)水着姿が大サービス(!)だが、大丈夫そうだ(?)。

 年末年始に孫娘たちが喜んで読んでくれるといいなあ、と願うじーじである。       (2024.11 記)

 

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あだち充『スローステップ』(全7巻)1991・小学館-青春真っただ中のお話ですよ!

2024年11月06日 | 小説を読む

 2024年11月のブログです

     * 

 今年1月の能登半島地震で崩れたじーじの部屋の本の山はまだまだ崩れたままの状態。

 少しでも整理をしようと本を積み直していると、奥のほうにコミック本を発見した。

 あだち充さんの名作『タッチ』と『いつでも美空』。

 『タッチ』はさすがに記憶があるので(少々あやしいが…)、全く記憶がないが、主人公が中学女子という『いつでも美空』をパラパラとめくる。

 上の孫娘が中学生になったので、お薦め本を、と思って一所懸命に(?)読む。

 とても面白いコミックでいいかも(!)、と思ったのだが、少しエッチな場面があったり、怖い場面があったりしたので、孫娘がもう少し大きくなってから(?)お薦めしようと判断する。

 さらに、本の山を探すと、高校女子が主人公の同じあだち充さんの『スローステップ』(1991・小学館)を発見する。

 高校女子のお話だと中学生には少し早いかな?と思いながらも、こちらも一所懸命に点検すると(?)、これが大当たり、すごく面白い。

 例によって、あらすじはあえて書かないが、青春真っただ中の物語!という言葉がぴったり。

 ユーモアが上質で、つい笑ってしまい、家族にバレないように真面目な顔をして読む(?)。

 面白くて笑ってしまうだけではなく、高校生の切なさやおとなの哀しさや、あだち充さんの世界の底流に流れている生と死のテーマも少しだけ感じられて、完璧なあだち充ワールドだ!

 もともと『ちゃお』という少女向けのマンガ雑誌に連載をされていたらしく、中学女子が読んでも安全そうで(?)、孫娘たちにお勧めするのが楽しみになってきた。

 孫娘たちに自慢ができる一冊になるといいな!とひそかに期待をしているじーじである。       (2024.11 記)

 

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子どもをめぐる争いにおいて子どもの意思を尊重することについて考えてみる-家庭裁判所での司法臨床と臨床心理士の経験から

2024年11月06日 | 「おとな」の親を考える

 2024年11月のブログです

     *

 面会交流や子どもの親権者・監護者の指定などで子どもをめぐる争いが生じた場合に、子どもの意思を尊重することが大切になると思われるが、そのことに考えてみたい。

 子どもの意思を尊重することが大切であることに異論はないと思うが、子どもの意思を尊重するということは簡単なことではなく、とても難しいことである。

 民法では、養子縁組の際に、子どもが15歳以上であれば、自分で同意の意思を示すことができると規定されており、ここから考えると、子どもが15歳以上の場合には、その意思を尊重しなければならないと考えられていると思われる。

 つまり、子どもが15歳以上の場合には、子どもは自分の意思を表明する権利と責任があると考えられる。

 一方、家庭裁判所の実務では、子どもをめぐる争いの場合に、子どもが10歳程度からその意思を参考にしているように思われる。

 もっとも、参考にするだけで、子どもをめぐる争いに結論を出す場合には、それよりも双方の親の過去の監護状況や現在の監護状況で判断されることが多いと思われる。

 参考にする場合でも、子どもの意思や気持ちや感情などは、流動的で、不確実性や複雑さなどが大きく、その把握のためには慎重な配慮と十分な対応やケアが求められる。

 例えば、じーじの経験では、子どもは現在、一緒に住んでいる親の気持ちにすごく配慮をするし、その親の態度や言葉などに影響をされることが多いと思う。

 子どもがそのような状況の中で不用意な発言をしてしまうと、あとで後悔をするような場面も想像される。

 そういう子どもに意向を表明させることには慎重でなければならないし、場合によっては意向を表明させないことが子どもを守ることになるだろうと考える。

 子どもの意思を尊重するということは、そういった子どもの立場を守って、子どもの意思の表明の是非や可否を慎重に判断することによってのみ可能になることではないかと考えられる。

 子どもの権利を守り、子どもの福祉を実現するためには、子どもの意思を尊重することが不可欠であるが、子どもの意思の確認にはおとなの上記のような配慮と冷静な対応、十分なケアが不可欠であることを忘れてはならないだろうと考える。        (2024.11 記)

 

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じーじ臨床心理士が面会交流の援助について考えてみる-家庭裁判所での司法臨床の経験と臨床心理士の経験から

2024年11月05日 | 「おとな」の親を考える

 2024年11月のブログです

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 臨床心理士として面会交流の援助について考えてみる。

 じーじは原則的には、別れた親子の面会交流の援助は、お父さんとお母さんが一緒の場か近くにいる形式で行なうことを目標としている。

 子どもを育てているお母さん(あるいはお父さん)が、別れて暮らすお父さん(あるいはお母さん)と子どもが遊ぶところを一緒に見れることは、お母さん(あるいはお父さん)の不安を減じることができて、その後の面会交流を双方だけで実施することに移行しやすいと思う。

 別れて暮らすお父さん(あるいはお母さん)は、その際、少し窮屈な思いをしたり、緊張をしたりするだろうが、それを乗り越えて子どもと交流することの意味はとても大きい。

 子どもも、別れて暮らすお父さん(あるいはお母さん)との交流をお母さん(あるいはお父さん)に見てもらったり、お母さん(あるいはお父さん)と目を合わせたりできて安心だし、時々は、お母さん(あるいはお父さん)の許に行ったりして、自由に遊ぶことができることが多くなると思われる。

 別れたお父さんとお母さんが一緒の場にいることには、双方の努力と少しの我慢が必要であろうが、子どものためである。

 親の都合で離婚をしたのに、離婚後も親の都合を優先して子どもに会いたいなどというのは言語道断、離婚後は子どもの都合を優先すべきだろう。

 なお、別れたお父さんとお母さんが一緒の場か近くにいることが難しいような場合には、子どもと別れたお父さん(あるいはお母さん)が会うためには第三者の仲介が必要になり、その際はアクシデント(トイレ、事故、病気、その他などなど)の発生に備えて仲介者は男女二人以上のチームが必要になるが、じーじの場合は一人で仕事をしているので、それは難しい。

 さらに、DVの経験や強い憎悪などのために、別れたお父さん(あるいはお母さん)と子どもが会うことができない場合があるが、そういう時には、写真や手紙、誕生日プレゼントなどでの間接的な交流の援助となる。

 また、それすら難しいような場合には、別れたお父さん(あるいはお母さん)は子どもへの養育費の送金を確実にして、子育てに参加し、その後の間接的な交流の可能性を待つことになると思われる。

 こじれた人間関係の修復はとても難しい作業で、時間もかかるが、カウンセリングなどを利用してもらうことで、修復の糸口を見つける可能性は皆無ではないと信じたいし、そういう可能性を祈りたいと思う。        (2024.11 記)

 

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加藤博二『森林官が語る山の不思議-飛騨の山小屋から』2017・河出書房新社-山の不思議な物語です

2024年11月05日 | 随筆を読む

 2017年のブログです

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 加藤博二さんの『森林官が語る山の不思議-飛騨の山小屋から』(2017・河出書房新社)を読みました。

 といっても、戦後まもなくに出された『飛騨の山小屋』(1948・真実新聞社)という本の再刊ですので、昔の雰囲気が漂います。

 加藤さんには他に、『深山の棲息者たち』(1937・日本公論社)や『密林の怪女』(1940・日本公論社)という本があるらしいですが、題名からして少し怪しげな雰囲気ですし、また、戦時中にこのような本を書くというのもすごい感じがします。

 そして、この本も不思議な本です。

 なんといえばいいのでしょうか、山に暮らす人々の素朴な生活、貧しいゆえの哀しい話、昔の差別による辛い話、そのような中での一服の清涼剤のような物語、などなど、一口では表わせない山の人々のさまざまな生活、お話が描かれます。

 けっして幸せとはいえないのですが、しかし、そこにはなぜか落ち着きがあります。

 現代は便利ですが、なにかもの足りない感じがして、人々はなんとなく不安げでいるという時代ですが、漱石さんがいうまでもなく、どこかが間違っている気もします。

 再び、戦争や支配、侵略などの大きな失敗をする前に、もっともっと、人やこころを大切にするすべを真剣に考えてもいいころなのかもしれません。

 そんなことを考えさせられる、不思議だけれども、いい本です。          (2017. 11 記)

 

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こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で,じーじ臨床心理士が公園カウンセリングや海岸カウンセリング,里山カウンセリングなどをやっています

2024年11月04日 | カウンセリングをする

 こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で,じーじ臨床心理士が公園カウンセリングや海岸カウンセリング,里山カウンセリングと訪問カウンセリングを新潟市と北海道東川町(夏期)でたまにやっています。

 また,メールカウンセリングや面会交流の相談・援助も時々やっています。

 公園カウンセリングや海岸カウンセリング,里山カウンセリングは,屋外で行なう個人カウンセリングや親子・夫婦の家族カウンセリング,子どもさんの遊戯療法などで,お近くの公園や自然の中で,ゆっくりとご自分やご家族のことなどを考えてみます。

 料金・時間は,1回,50分,3,000円で,隔週1回か月1回などの間隔で行ないます。

 訪問カウンセリングは,屋内で行なう個人カウンセリングや家族カウンセリング,子どもさんの遊戯療法などで,ご自宅やお近くの屋内施設で,じっくりとご自分やご家族のことなどを考えてみます。

 料金・時間・間隔は,公園カウンセリングなどと同じです。

 メールカウンセリングは,メールによるカウンセリングや心理相談で,2週間に1往信で行ない,1往信700円です。

 面会交流の相談・援助は,相談はご自宅などで行ない,1回,50分,3,000円,援助はお近くの公園や遊戯施設,あるいはご自宅などで行ない,1回,60分,6,000円です。

 カウンセリング,相談・援助とも土日祝日をのぞく平日の午前10時~午後3時にやっています(すみません、年寄りなもので、夕方や週末のお仕事が難しくなってきました)。

 じーじのカウンセリングは,赤ちゃんや子どもさんがご一緒でもだいじょうぶなカウンセリングですので,お気軽にご利用ください。

 そういう意味では,深くはないけれども,現実の生活を大切にしたカウンセリングになるのではないかと考えています。

 料金は,低めに設定させていただいていますが,月収15万円未満のかたや特別なご事情のあるかたは,さらに相談をさせていただきますので,ご遠慮なくお問い合せください。

 ちなみに,消費税には反対なのと,計算がややこしいので,いただきません。

 お問い合わせ,ご予約は,メール yuwa0421family@gmail.com までご連絡ください。

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 駅の近くに部屋を借りて本格的にカウンセリングルームを運営するような臨床心理士さんとは違って、じーじは近くの公園や海岸、河川敷などでカウンセリングをしています。 

 子どもさんを遊ばせながら、ちょっとだけ悩みごとを聞いてもらえればいいんですー、というお母さんや悩み多き若者(?)などがじーじのクライエントさんには多いです(じいじいやばあばあのみなさんもお断りはしませんが(?)、尊敬すべき先輩たちのみなさんですから、できるだけご自分で解決しましょうね)。

 おこづかいを貯めて(?)、お気軽に、遠慮せずに、ご利用ください。

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 ゆうわファミリーカウンセリング新潟(じーじ臨床心理士・赤坂正人・個人開業)のご紹介

 1954年、北海道生まれ  

 1977年、家庭裁判所調査官として司法臨床に従事  

 2014年、放送大学大学院(臨床心理学プログラム)修了  

 2017年、臨床心理士

 個人開業で、カウンセリング、心理療法、家族療法、遊戯療法、メールカウンセリング、面会交流の相談・援助などを研究

 精神分析学会、遊戯療法学会会員

 論文「家庭裁判所における別れた親子の試行的面会」(2006、『臨床心理学』)、「家庭裁判所での別れた親子の試行的面会」(2011、『遊戯療法学研究』)ほか 

 新潟市西区・北海道東川町(夏期)

 連絡先 メール  yuwa0421family@gmail.com    

 

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渡辺一枝『チベットを馬で行く』2003・文春文庫-シーナさんの奥さんが馬でゆっくり巡るチベット紀行です

2024年11月04日 | 随筆を読む

 2021年11月のブログです

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 渡辺一枝さんの『チベットを馬で行く』(2003・文春文庫)を久しぶりに読む。

 一枝さんは、ご存じのかたもいらっしゃるだろうが、シーナさんの奥さん。

 シーナさんが世界中をズンガズンガと歩くのと対照的に、一枝さんはチベットを集中的に旅する。

 子育てに一段落してからの一技さんの熱狂的なチベット訪問は、シーナさんのエッセイを読んでいてもよくわかる。

 そんな一技さんが半年をかけて広大なチベットをテント生活で旅した記録だ。

 荷物や食料を同行する1台のトラックにサポートしてもらうが、案内人と馬や徒歩でのキャンプ旅行である。

 すごい!の一言。

 本当に好きでないとできないことだ。

 わざわざ馬で旅行をすることについて一技さんは、車の移動では気がつかないチベットの自然や人々の生活を知りたいため、という。

 たしかにそうだな、と思う。

 速いだけだけではわからないこと、ゆっくりゆえにわかることが世の中にはたくさんある。

 そして、ゆっくりの旅の中で、人は内省的になる。

 一技さんも、娘さんや息子さん、そして、シーナさんのことを想い、さらには母親や父親のことを想う。

 忙しい現代に貴重な紀行である。       (2021. 11 記)

 

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野田知佑『北極海へ』1995・文春文庫-野田さんのカナダ・マッケンジー川のカヌー単独行です

2024年11月03日 | 随筆を読む

 2021年11月のブログです

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 野田知佑さんの『北極海へ』(1995・文春文庫)をかなり久しぶりに読む。

 野田さんはジーナさんや立松和平さんのカヌーの師匠。

 シーナさんや太田和彦さんらと一緒にあやしい探検隊の中年部である「いやはや隊」のメンバーとして、世界各地でカヌーに乗ったり、キャンプ生活を楽しむ。

 また、カヌー犬「ガク」を育ってたことでも有名。

 本書は、その野田さんが1985年夏に、カナダ北部のマッケンジー川をカヌーで単独行した71日間の記録。

 マッケンジー川はカナダ北部から北極海までを流れる全長4240キロの川で、その流域はインデアンやイヌイットがポツポツと住む地域。

 そのマッケンジー川をキャンプをしながらカヌーの単独行で下るという、旅行というよりは冒険だ。

 テントのそばにはクマをはじめとして、いろんな動物が顔を出す。

 野田さんは護身用にライフルを所持するが、不思議とクマは野田さんが怒鳴るだけで退散する。

 まるで、知床の大瀬初三郎さんみたいだ。

 そのおおらかさが本書の魅力だ。

 インデアンやイヌイットの問題も出てくるが、カナダの自然の大きさと厳しさを感じると、人間のちっぽけさも自覚させられる。

 いろいろと疲れた時に読むと、いい本だと思う。       (2021.11 記)

 

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心理療法・イメージ・山中康裕さん-じーじのカウンセリング日記

2024年11月02日 | 子どもの臨床に学ぶ

 2019年の日記です

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 BS放送大学の「心理療法とイメージ」を見る(5月にも少し見ていて、ブログがあるので、よかったら読んでみてください)。

 講師は放送大学大学院でお世話になった小野けい子先生。

 そして、先週の「箱庭療法」と今週の「MSSM法」のゲストがなんと山中康裕さん。

 このお二人による対談は、一流の学会でも実現できないような豪華で、贅沢で、アカデミックなもの。

 とても勉強になる。

 山中さんのお話には、河合隼雄さんや中井久夫さんも出てきて、とても楽しいし、参考になる。

 クライエントさんとの話し合いから臨床の方法が発展してきた、という山中さんのお話は貴重だ。

 小野先生もクライエントさんに合わせて、さらにそれに工夫を加えたりしていて、お二人とも創造的だな、と思う。

 そういうお話も聞けて、本当に豪華な番組だ。

 今後も暇を見つけて学んでいきたいと思う。      (2019.11 記)

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 2023年秋の追記です

 説明不足だったが、「MSSM法」(Mutual Scribble Story Making Method)というのは、描画療法の一つで、山中さんが心理療法家のナウンバークさんのスクリブル(なぐり描き法)や小児科医で精神分析家のウィニコットさんのスクイグル(相互なぐり描き法)を参考に考え出したもの。

 日本語では、交互ぐるぐる描き投影・物語統合法と訳され、治療者とクライエントさんが、画用紙に好きな線を描いて、そこに何が見えるか、絵を描いて、最後にクライエントさんがお話を作るという描画療法で、楽しみながらできる心理療法だと思う。      (2023.11 記)

 

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さとうち藍・文/関戸勇・写真『じいちゃんの自然教室』「月刊たくさんのふしぎ」2002年8月号・福音館書店

2024年11月02日 | 随筆を読む

 2017年のブログです

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 精神科デイケアのコラージュ用の絵本の本棚を眺めていたら、背表紙に「じいちゃん」という五文字が見えて、思わず手にしてしました(最近、じいちゃん、とか、じーじ、とかいう言葉に出合うとすぐ反応してしまいます!)。

 福音館書店の幼児用の「月刊たくさんのふしぎ」という雑誌(うちの子どもたちの時は読んでいなかったような気がします)の2002年8月号の『じいちゃんの自然教室』という本。

 高知県の農家のおじいちゃんが孫たちに川の魚や山の食べ物などの自然の恵みをいろいろと教えるという内容です。

 フムフムと読んでいるうちに気づいたのですが、著者がなんと、さとうち藍さんの文章と関戸勇さんの写真という豪華な組み合わせでした。

 このお二人の本は、今年8月のブログでご紹介させていただきましたが、『アイヌ式エコロジー生活-治造エカシに学ぶ、自然の知恵』(2008・小学館)という本と『武市の夢の庭』(2007・小学館)という本の二冊を読んだことがあります。

 どちらもいい本で、写真もすばらしく、お薦めの本です。

 そのお二人が、2002年当時、福音館の雑誌で仕事をしていたことを知り、なんだかうれしくなりました。

 当時の幼稚園児や保育園児もそろそろおとなの世代。

 自然の中で遊んだり、自然を大切にするおとなになっているか、知りたいところです。

 この間、2011年にはご存知のように福島の原発事故があり、自然は人間が守らないと未来にきちんと残せないことも再認識させられました。

 いろいろなことを考えさせられる2002年の福音館「たくさんのふしぎ」シリーズの一冊です。       (2017. 10 記)

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 2018年12月の追記です

 先日、再読をした沢木耕太郎さんの『246』に、沢木さんが「たくさんのふしぎ」1987年5月号『ハチヤさんの旅』を書いた時の取材記が載っています。

 沢木さんの娘さんの大活躍(?)も含めて、とても面白いです。

 それにしても、「たくさんのふしぎ」はすごい執筆陣ですね。        (2018. 12 記)

 

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土居健郎『精神療法と精神分析』1961・金子書房-精神療法を精神分析の立場から述べる

2024年11月01日 | 精神療法に学ぶ

 2021年11月のブログです

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 土居健郎さんの『精神療法と精神分析』(1961・金子書房)をかなり久しぶりに読む。

 なかなか難しい本なので、つい再読が遅くなった(土居さん、ごめんなさい)。

 土居さんが精神療法について精神分析の立場から述べた本で、じーじのような初学者にはなかなか理解するのに苦労するところが多い。

 しかし、詳しい症例がたくさん提示されているので、精神療法の実際を学ぶにはすごく参考になる。

 また、治療者の面接場面を執筆の時点でさらにコメントというか、スーパーヴィジョンしているところがすごいと思う。

 こんなことをするのは、他には小倉清さんくらいだ。

 その謙虚さと探求心に脱帽する。

 そのおかげで、精神療法や精神分析の概念が、身近に理解できるし、面接技法についてもていねいに学ぶことができる。

 とはいっても、じーじのような未熟者にはやはりなかなか難しい。

 理解できたのは2割(?)くらいか。

 さらに、読み込んでいこうと思う。       (2021.11 記)

 

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またまたお騒がせのJアラート-じーじのじいじ日記・セレクト

2024年11月01日 | じいじ日記を書く

 2022年11月の日記です

     *

 今朝、またまたJアラートが鳴る。

 心臓によくない音だ。

 テレビの画面を見ると、毒々しい画面に、北朝鮮のミサイル、とある。

 新潟も危険地帯のようだが、新潟は結構広いから、そう命中はしないだろうし、それにうちには地下室もないし、避難と言われても、ねぇー、と思う。

 その後も刻々とうるさいくらいに情報が流れるが、情報が不確かで、二転三転する。

 そのうちにオオカミ少年のたとえ話を思い出し、あまり騒ぐとかえって誰も信用しなくなるのに、と思う。

 政府は、ミサイルの破壊はしなかった、というが、破壊できなかった、というのが本当だろう。

 当初、太平洋に落下、という情報も、少ししてから、途中で消失、にと変更されたが、結局、ミサイルの位置をキャッチできていなかったことが露呈したわけだ。

 イージスも位置が把握できないと迎撃できないだろうし、破壊もできないだろう。

 大騒ぎのわりには、またまた情けないお話であった。

 しばらくして、政府から北朝鮮を非難する声明が出たが、これもいつものことでマンネリ。

 声高に叫べば叫ぶほど、内政のまずさをカムフラージュしているのではないかと勘繰ってしまう。

 これで政府は内政の失敗から一息つけて安心しているのかもしれない。

 しかし、政府がすることは、まずは今回も北朝鮮のミサイルの位置を把握できなかったことをきちんと認め、間違った情報で国民に不安を与えたことを謝罪することではないか。

 このままではJアラートが本当にオオカミ少年になってしまうと思う。

 うるさく警報を鳴らすことより、正確な情報ときちんとした検証が大切になると思われる。       (2022.11 記)

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 同日の追記です

 ニュースを見ていると、北朝鮮は怖い、とか、やめてくれ、とかいう国民の反応が多い。

 確かに、断りなしに他国の上空にミサイルを飛ばすのはよくない行為だが、しかし、今回のミサイルはどう考えても、米韓軍事演習を主導しているアメリカを、特にグアムを想定しているだけで、日本などは想定外であろうと思う(間違って落ちてくる可能性はありそうだが…)。

 しかし、自民党政府は、これ幸い、とばかりに、北朝鮮を非難している。

 それによって、敵基地攻撃能力を容認させようとしているのは明らかであるし、国内の失政から国民の目をそらそうとしているのも明らかであると思う。

 みなさん、本当に怖い人たちは誰なのか、悪い人たちは誰なのか、目をこらして見ていきませんか。

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 2023年11月の追記です

 ちょうど1年前の日記です。

 お粗末でしたね。途中で消失したミサイルにJアラートで大騒ぎでした。         (2023.11 記)

 

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