朝、飛行場へ向かう駐車場の出迎えバスの中でのこと。
「いやぁ、前のお客さんが車の中に財布を忘れた、って連絡がありましてね」
「え、財布を?」
「そうなんですよ、これなんですけどね」
って、見させられました。
なんか、見るのも悪いような気がしてきますね。
「しょうがない、もうすぐ飛行機飛ぶって言うので、これから届けるんですよ」
で、ふと思ったのだけれど、こんなに親切な国って
地球上でも珍しいのだろうな、と。
確かにこのバスのなかで落としたのは間違いないと確信したのでしょうが
海外で、こういうケースがあったら、
まず間違いなく出てこないか、出てきても中身はまず消えているだろうな、と。
わざわざ、そのお客さんのためにこのバスを飛ばしてまで、届けてくれるのですね。
こういう安全って、日本社会はどうして獲得できたのでしょうか?
やっぱ、歴史的なものが大きいのかなぁと、思いますね。
日本の歴史って、知れば知るほど、中国との関係を抜きにしてはありえない。
しかし、かれら儒教社会では、こういう倫理観の徹底はまず見られない。
イスラムの社会では、盗賊まがいのアリババ、じゃないシンドバットがヒーロー。
さらに、欧米の社会でもこういうことはない。
前に見た「チャーリーとチョコレート工場」っていう映画では、
人間存在の正直さや家族愛の象徴のように描かれた主人公の少年が、
大幸運をつかむきっかけが、
「落とし物」を拾って
それが、なんと世界で5枚しかない大当たりのチョコレートになった、
というストーリーが展開していました。
子どもと一緒に見ていて、「ちょっとこの展開はどうなんだろう・・・」と
思ってみていたら、特段の心理的痛痒もなく、大サクセスストーリーの
起点になっていくのです。
「落としものは、神様がくれたチャンス」なんですね。
このあたり、交番に届けるように子どもに言うか、
単純にラッキーだったね、というストーリー展開に身を任せるか、
日本人社会としては、ちょっと考えさせられる部分でした。
無事、落とし主には財布は届けられたようですが、
やっぱ、お礼はきちんとする必要があると思いますね。(笑)