以前、仙山線で山形から仙台に移動したとき、
途中駅の「山寺」で、見上げるような山の頂まで、
点々と伽藍が配置されている様を目にしたときから、
興味を持っていた、「山寺」。
すこし時間にゆとりがあったので、見て参りました。
とはいっても、いつものパターンで、まったく予備知識はなし。
ことしはまれにみる暖冬で、あんまり雪がありませんね。
それを幸い、挑戦することにしました、登山。
山寺って、ようするに山登りですね。
あたりまえか。
一段ごと、上るごとに、煩悩が消えていくというのが御利益とかで。
登り初めて、数分で、思い立ったことへの後悔の念が
強烈に襲って参りました。
冬場の運動不足の身には、とくにひざの裏側が悲鳴をあげます。
八十八カ所のように上るごとに、番号が記されていまして、
それを頼りに、励まし、励ましして登りましたです、ハイ。
八合目くらいから先は、十歩進んで一休み、みたいな情けない次第。
煩悩が消えると言うよりも、体力への自信が消えるのが先。
ほとんど最後は転げるように、「奥の院」までたどりつきました。
三月のお彼岸までは、この奥の院は閉じられている、という張り紙がありました。
まぁ、なんとか登り切った、という満足感だけは得られました。
しかし、あとで絵図面を見てみると、ほかにもお堂はたくさんあるようですね。
帰り際、八十六番目のお堂でおみくじ。
引いたら、ありがたくも大吉。
というようなことで、帰りは気分もよくなって降りて参りました。
しかし、とても観光シーズンとは言えない時期なのに、
それでもけっこうなひとたちが登山しておりました。
さすが、世に聞こえた山寺だけはありますね。
日本の仏教って、奇観景勝の原始的信仰の地に
かさねるように伽藍を配置して信仰の対象にするというパターンがあります。
この山寺、遠目に見ると、ごつごつとした岩肌なども露出して
いかにも、そのパターンそのもののようですね。
しかし、八十六番くらいのお堂近くには郵便受けがあったり
ジュースの自動販売機があったりしていましたから、
みなさん、毎日この山を登り降りされて生活しているんですね。
わたしは、1回の経験だけで十分でした(笑)。
こちらで暮らされているみなさん、すごい、敬服いたします。
にしても、ひざが笑っておりました、やれやれ。