前九年・後三年戦争の時代って、
ここのところ、いろいろな書物を見て想像力を膨らませております。
で、読めば読むほど、平将門とか、その後の頼朝を盟主に据え、
やがて鎌倉幕府にいたる、関東の独立運動と比肩されるものだった印象が深まっています。
律令の体制が基本的には崩壊していくなかで、
大寺社や藤原氏などの私権勢力が全国に私有領地を拡大し、
地方では、土地争いなど剥き出しの利権争奪が常態化していたのですね。
そういうなかで、源氏の一統は「陸奥守」の官位を利用して、
なんとか奥州に利権構造を築きたい、という魂胆丸見えの動きをする。
いやはや、すさまじいものだと感じます。
この戦争の発端となった事件は、当時の東北地方北部を清原氏と2分して
実効支配していた安倍氏に対して、
剥き出しの私利私欲の戦争を仕掛けていったものといえます。
朝廷の側ではその時々の政治情勢に即して「正史」が書かれるので、
いちおう、大義名分に沿っての歴史記述になっていますが、
実態は、源氏の一統がなんとかして奥州の利権を我がものにしたいという
すさまじい権力闘争。
しかし、源氏という武家貴族は、結局現地の勢力によって利用されただけですね。
こうした戦争の結果、白河以北に藤原氏の独立政権が成立する。
このことが、関東の武士団に与えた影響は大きかったのだと思います。
「ああやればいいのか」というわけですね。
それ以降の展開は、日本史の本格的な開始、とも言える展開になるのですが、
東北日本の実効支配を確立した藤原政権って、
その後、ふたたび関東(鎌倉幕府軍)によって滅ぼされて植民地化されるまで、
100年間くらい、日本にあって日本ではないような、
独立政権として存在したのだろうと思うのです。
やはり、金の産出というのが、キーワードだったのだろうと思います。
戦争が起こるというのは、そこに人を狂わせるような利権が存在した証拠。
この金は、どのように生産され、その分量はどれほどだったのか、
そしてそれはどのような勢力が資金を出して発掘作業を行ったのか、
さらにそれはどのように流通していったのか?
租庸調というような公権力の収奪に、この金生産は対象になっていたのかどうか?
やがて、「金売り吉次」という存在が日本史に出現するけれど、
かれは藤原政権と、どのような関係であったのか、
謎は深い。
って、素人歴史好きの想像力は、制御不能な?マークで埋め尽くされております。
日本の仏像生産において、金・金箔の重要性はいうまでもなく、
その争奪は、権力者にとっての基本関心事であることは火を見るよりも明らか。
さてさて、いったい真実はどういうようなものだったのでしょうかね?