最近、またまた歴史系の話題になっています。
どうも、年齢的に自然とそういう指向が強くなってくるものかどうか(笑)
まぁ、ここんとこ、決算の関係での仕事が多くて
住宅取材とかの機会が少ないということもあります。
と思ったら、来週はふたたび、「東北住宅大賞」の審査の仕事で
東北全域を駆け回り、その後も取材が山積み、ということ。
なので、本日も歴史ネタです。
先日、斉藤裕さんの「日本建築の美、黄金の塵」という講演を聴きまして、
たいへん面白かったのですが、どうも、
斉藤さんは茶道関係の団体などから依頼されて
調査研究活動をしたようで、その成果としての取材結果に基づいた講演だったようです。
で、そのなかで、たいへん興味深かったのが、
奈良期の巨大木造建築がなぜ、文化として続かなかったのか、
ということへの示唆として、
単純に自然状態の巨木が少なくなったという事実。
朝鮮ではこの間、南大門が焼失したニュースが流れましたが、
朝鮮さらに中国でも、奈良期の巨大建築に見られるような巨木は
遺されている建築には見られないのだそうです。
仏教に国家運営の道具としての利用価値を見いだした権力は
写真の東大寺を始め、全国に「国分寺」を造営しましたが、
それらは今日に至るまで、何回かの焼失を経ながらも存続してきています。
こういう巨木による建築は、世界的にたいへん珍しい。
世界遺産であること、むべなるかな、なのですが、
インド洋~ヒマラヤという地球規模の気候条件の結果として、
日本は湿潤で、巨木を育むのに適した自然条件を持った地域。
そういう条件で、木造の文化が栄えてきたという側面はあるのでしょう。
しかし、司馬遼太郎さんの書かれたものによると、
平安期以降しばらく、戦国期まで、
巨大木造は忘れられたようになるそうです。
巨木が盛んに伐採され、それが再利用可能なほどに復元するまで、
700~800年の時間が掛かったということなのか、
このあたり、重ね合わせて考えて、たいへん面白い指摘だなぁと思ったのでした。
こんにち、地球環境問題から木造への関心がヨーロッパで高まり、
盛んに集成材技術を使っての巨大木造へのチャレンジが行われているそうですが、
その「サスティナビリティ」の枕詞として、
奈良期日本の巨大木造建築が最先端の脚光を浴びているのですね。
写真は、昨年夏の旅行の折の写真なのですが、
たしかに欧米やアジアのみなさんの姿が多く、
そのような関心というのも頷けるものがありましたね。