三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

ものと暮らしの今昔

2012年03月04日 07時15分27秒 | Weblog





最近まったく、わたしの興味分野、
歴史や民俗的な分野での探求ができておりません。
どうも目先のことばかりが忙しくて、
ブログを書くことで、自分自身の興味分野の底辺を広げていく、
そういう大目的から、やや逸れていると反省しております。
どうも最近、自分の努力できる範囲を超えた部分での状況もあって、
やや閉塞感を感じている、ともいえます。
北国の人間って、
どうしても冬になると、視野狭窄的な気分に陥ってしまうのかも知れない、
そんなふうに自分のことを感じている昨今。

写真は、たぶんどこかのHPで見つけたもので、
中世日本の都市住民のなりわいと暮らしを透視画ふうに見せている図。
本来わたしは、こういうのを見て、
「あぁ、この時代の生きている実感って、どんなだろう」
っていうような妄想世界に浸っているのが、一番スキなのです(笑)。
もちろん、それらの時代はどれも苛烈な時代であり、
生きていくことだけに必死な営為が繰り返されてきたのは間違いない。
しかし、そういうなかの「余韻」のような部分に
時代的「空気感」が感じられてくるものがあり、
その部分を探求し続けていたい、という希みを持っているのです。
歴史が好きと言うよりも、
そこでのいろんなひとの呼吸感のようなものが好きなんでしょうね。
人は死んでしまえば、灰になって消えてしまうけれど、
ひとが使い続けたものたちは、場合によっては残り続けてくれる。
そういうなかに、痕跡として感じられてくるものが生まれる。
考えてみれば、明治以降というか、戦争以降でもいいけれど、
現代に繋がってくる時代の、ものと人との関係って
それ以前の痛切さが消失したような世界なんでしょうね。
あるいは、未来でも考古学とか、民俗学があって、
そういう見方で見て、現代生活って、
ものとの関係をどういうように認識するんだろうかと
おかしな心配をしてしまいます。
現代の家電製品って、電気というキーワードを外すと、
ものとしての存在感って言うか、動作性について
もの的な認識性として、わかりやすさはどうなんだろうか?
そんな妄想世界に駆られてしまいます(笑)。

なんとなく、休日の朝に、
そんな想念に浸って過ごしておりました。



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