きのうは会津の住宅視察。
なんですが、聞くと江戸期の宿場町として栄え、
白川郷のように古民家がそのまま残っている大内宿などでも
「福島だから」というようなことで、
観光客も激減しているのだとか。
わたしは北海道の人間ですが、
それほどナーバスになると言うことはありません。
というか、多くの福島の知人のみなさんが
復興に向けて、驚異的な熱意で取り組んでいる様子を見ていて
自分にも出来ることはなにかないのか、
というように考えるだけで、危険だとかいう考えを持ったことがありません。
そういう人間からすると、え、なぜ、
というように思えるような風潮が、残念ながら、
いろんなところで起こってしまっているようなのですね。
きのうの福島で見た新聞には、
福島県に本社のある輸送会社に対して、
福島を通らない配送ルートを要求する依頼主までいるそうで、
暗澹とした気分に落ち込んでしまいますね。
一昨日には、郡山のみなさんとたいへん楽しい夕食会を一緒させていただきましたが、
みなさん、明るくユーモアたっぷりで
こういう元気が長く継続して、力になっていくのだと実感していました。
その一方で、先に書いたようなことが起こっている。
どういうことなんでしょうね。
ひとりひとりの日本人は決してそのような人間ではないと信じていますが、
それが集団的な意志として出てくるときには
まことに理不尽で、弱いものいじめに近いようなことに結果する。
確かに原発事故は起こってはならないことが起こってしまったのではあるけれど、
しかし、その収束にしたって、この地で多くの人間が立ち向かっていくしか
方法はあり得ない。
いまの状況は、多く受益していたことにほおかむりして
その結末も現地に押しつけようとしているように感じられてならない。
多くの地域が、震災のがれきを受け入れることにすら反対し続けているという
そんなニュースを聞いていると、
自分だけは安全、という場所のなかから、遠巻きにして
ヒステリーのように、「なんとかしろよな」とでも
大声を上げているように思える。
こういった、この国の状況に対して
誰が悪い、とかいうようなレベルの論議では
もうすでに解決のしようがないのではないかと思われてならない。
<写真は、会津地方の古民家の棟飾り>