写真は、縄文期の竪穴住居内部の様子。
縄文期は、約12000年前くらいに始まって
弥生が列島西部から始まっていく2000年前くらいまで、
だいたい10000年くらいは続いたと言われている。
石器時代というのは、まだよく考えていないけれど、
住宅としては、石器時代からこういった形式が人類の普遍性のある住まいだった。
こうしたリビングルームで一定数の人間が暮らしていた。
やはり血縁関係の「家族」と想定するべきだろう。
世界で言えば、エジプト文明がいまから5000年前くらいの時期から始まり、
最初の文明と言われるメソポタミアも5500年前くらい。
やはり定説どおりとすれば、文明というのは農耕の始まりからといえるのか。
農耕社会は、自然気候条件を読み取って、
それを知識として集積することが不可欠になっていったのだろう。
だから、文字が生まれ、人類の人口爆発が可能になっていった。
で、一方、この写真のような段階は、基本的に狩猟採集による
人口の多くない暮らし。
歴史とか、時間とかの概念も存在しない暮らしだったのだろうか?
たしかにそういう概念がそうは必要とは思えない。
そうすると、わたしたちが現在持っているような概念では想定できないような
倫理観・人生観を持って暮らしていたのだろうと思われる。
そうした概念の痕跡は、先住民の暮らし方、その知恵に残されているのだろう。
以下、「地球人の歴史」からの抜粋。
狩猟採集民は、20~50人ほどの集団をつくり、年に数回移動しながら暮らす。男は動物をとらえる狩猟を、女は植物を集める採集を担当する。北極地方など特殊な環境を除き、ふつうは採集のほうに大きな比重がおかれている。
アフリカ南部に住むサン(ブッシュマン)という狩猟採集民は、栄養価のひじょうに高い(コメの5倍のカロリーの)モンゴンゴの木の実が主食であり、その他数十種の植物を食べる。食料を手に入れるための労働は短時間ですむ。女性の採集は毎日1~3時間、男性は1週間狩りをすれば2~3週間はなにもしない。集団内の4割の人は食料調達の仕事をしていないが、食料は全員に分けられる。それでも必要な栄養量はゆうに上回り、栄養不足はみられない。
働いていない時間は余暇であり、娯楽を楽しみながら暮らしている。あるサンは、「ふんだんにモンゴンゴの実があるのに、何でわざわざ作物を植えたりしなければいかんのかね」と語ったという。
これは、活動範囲を狭められ、条件の悪い土地に住まざるをえない現代の狩猟採集民の話である。数万年前の人々の生活はもっと余裕があったことだろう。
日本の縄文社会は、
たぶん、こうした現代の狩猟採集民よりも豊かなくらしだったのだろう。
縄文土器の必要性は、たぶん、木の実を食用にするために
生み出されたと言われている。
煮てアクを抜いて、食べやすい形にしていったのだと言われる。
動物性のタンパク質は、海での漁労でふんだんに得ることが出来た。
まさに「豊かなくらし」であると思われる。
「働いていない時間は余暇であり、娯楽を楽しみながら暮らして」いたことも想像できる。
そのように考えていくと、
日本の弥生以降の農耕、米作を基本とした農耕社会とは、
爆発的に人口が増え続ける「社会」維持のための運営システムだと認識できる。
そしてそれは高々、2000年か、もう少しくらいの時間なのだ。
そのために必要な「知恵」が現代の我々が持っている知恵であり、
そのひとつとしての「歴史」が存在しているのだろう。
世代ということをおおむね30年と考えて計算すると、
2000年というのは、66世代に相当する。
世代間で対話可能なのは、まぁ、3世代程度。
そういうユニットで考えたとしたら22ユニット程度の「相伝」的な
親族形体で、この歴史時間の中で日本の人間社会は営まれてきたということが出来る。
ギリギリ、「おじいさんがどうやって生きてきたか」ということは相伝可能ということ。
すごく長いとも言えるし、
しかしまだその程度しか経っていないことなのだ、とも認識できますね。
連休だと、こういう長いスパンのことが少し、
イメージできるように思いますね。
とりとめのないブログで申し訳ありません(笑)。
あぁ、「働いていない時間は余暇であり、娯楽を楽しみながら暮らして」
みたいなぁと、妄想いたします(笑)。