三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

日本の「街並み」を考える

2015年04月04日 05時36分12秒 | Weblog

先日「外構のメンテナンス」について書いたら
やはりその先に「街並み景観」の話題がたくさん寄せられました。
以下、投稿コメントやりとりの要旨抜粋です。

昔、サンフランシスコで見たビクトリアンハウス、
住民がセルフで外壁の塗装を楽しんでる。100年経っても輝いている。
われわれには、そんな余裕ないもな~!
やっぱり少しずつでも近隣のみなさんのために、
よきメンテナンスを心がけていくべきだ。
公共からの街並み論議は、上から目線で強制方法しか出てこない。
本当は、街を愛しているひとりひとりが
花でも植える、木でも植える、育てるっていうことでしか、
良くなることはあり得ない。
「街のデザインに参加している意識」は大事。かなりの人が
住みたい街や家のデザイン、間取りについては
寝る間も仕事の間も惜しんで考えるのに、家が街並みとなっている
意識はない。意識の持ち方一つで価値ある地域づくりにもなっていく。
「地域に参加する」というのは大変でもある。
でも大切な「公徳心」に繋がる。雪かきみたいな支え合いが、
きっと「街並み」意識にとって大事なのでは。そうすれば自ずと、
近隣に対して「恥ずかしい」という美意識も生まれてくる。
誰でも当たり前にやれることをやる、ということが街並みに、
いつか、凜とした背骨を通していくのではないか。
しかし、こうしたことはどのように伝承・伝達されるべきか、
現代社会では不明になっていることがらだ。
家に手をかけ続けて美しい家並み、街並みを作り上げているという
欧米の「生活文化」について、日本人はいつもそのことに
リスペクトを払ってきたけれど、欧米などの「美しい街」は、
それを創り、維持管理することで、具体的にも利益がある。
不動産価値が上がっていって、自分たち自身が利益を得る
実利がある。住宅のわらしべ長者システムができあがっている。
こうした「生活文化」が日本でも実現することは
素晴らしいかも知れないけれど、簡単でもない。
どうやって中身としての「生活文化」を作って行くのか、
「想像力」が試される。現実に古い日本の街並みを持つ住宅街では、
そのような「具体的な見返り」のないなかでも
美しい街並みは維持されているところも多い。
そういうものを欧米人が「発見」して、街並み価値が高まっている。
嘆いてばかりいても、なにも始まらないのだ・・・。<以上、抜粋終了>

「家を建てる」と言うこと自体ですでにわたしたちは
「街並み景観づくり」に参加していると思うのですが、
外構のメンテナンスを考えることは、たぶん、
この「街並み」に積極的に参加することについて考える機縁になる。
そんな思いで、書き綴った次第です。
ただ、アメリカはほとんどが「建売」を通した住宅販売が主流であり
新設住宅の内、戸建ての「注文住宅」比率はきわめて少ない。
住宅販売事業者が販売するに際して、
こういった「街並み景観」の基本をしっかり創っている。
それに対して、ほとんどが注文住宅で、各戸の建て主が
自由にデザインを選択しているのが日本の実態。
こういった実態を踏まえた上で、どうすべきかを考える必要があります。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする