三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

前川國男・世田谷区役所庁舎

2015年12月14日 05時43分09秒 | Weblog


前川國男さんと言っても、わたしにはリアリティがない。
建築をやっている人には、まるで神さまのような存在として
語られている様子を側聞します。
住宅雑誌はやっているけれど、建築を学んではいないわたしには、
ちょっと近寄りがたい存在という感じでしょうか。
今回、その前川さんの建築が「世田谷区役所庁舎」として
現在も使われ続けていることを知った次第であります。
一番上写真の折板構造の「オーディトリアム」とされる建築に
目が向かっておりました。
コンクリートの壁を、折り紙のように作ることで
構造として持たせるという手法だそうであります。
素人の考えでは、きっと音響効果のことを考えた壁面だったように
思われますが、1959年という時代に
こうした意志的なフォルムを持つ建築を作られていたのですね。
内部に赤絨毯の床面というのも公的施設として
珍しい空間装備だそう。
いまは、この手前で立ち入りが制限されていました。
きっと存続の如何が論議されているに違いありません。




ただ、前川さんの江戸東京たてもの園に保存されている自邸は
はるか以前、10年前に見学した体験があります。
すでにして「古建築」の世界にある存在のように感じられる次第。
今回その記事を再度見てみましたが、2005年12月8日に書いている。
現代的なキッチンやセントラルヒーティング暖房が導入され、
しかも南面の大開口には冷輻射防止のために
窓下に放熱器が配置されているのに驚いていました。
こういう住宅が戦時中から戦後すぐの時期に関東で建てられていた。
そういった事実に驚いた次第。
その当時はようやく北海道で、寒冷地住宅技術への挑戦が
始まったばかりで暖房装置はひたすら部屋中心の石炭ストーブ。
窓面での冷輻射対策というような考え方はなかった。
その後の関東圏以南建築家の冬対策の考え方の喪失状況と対比して
骨太な建築家という印象を持った次第です。
また、吉村順三さんの軽井沢の家には
壁の中に乾燥砂を「充填」させていると読んだ記憶もあり、
先人たちの先進性に畏敬の念も感じさせられた次第。



公共施設ながら、日本庭園風の庭も装置されていた。
緑の中に女郎蜘蛛が巣を張ってもいました。
遙かな時間を経過して、こうした心遣いのあるしつらいに
ものをつくっていく意志のようなものが伝わってくる気がしました。

コメント
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