きのうの投稿について、またいろいろな反応がありました。
建築知識ビルダーズの木藤編集長からシェアしていただいたり、
主に本州地区のみなさんから、ご意見が寄せられました。なかには、
「妹島和世さんはきのう紹介したマンションのコンペに応募し、
選定されたという経緯であり、デザイナーズマンションとして妹島和世ブランドが
当初から販売利用されたそういった側面は大きくなかった。ブログに書くのに
そうい事実を調べずにブログにするかね。不誠実なだけではないか。」
というようなご意見もありました。
しかしやや、論旨がズレているのではないかと思った次第。
わたしとしては、そこにあって目にしたマンションにミスマッチを感じ、
インターネット上で知りうる範囲の事実を調査して、
それに基づいて、このマンションビジネス事業としての側面を
取り上げて考えてみた次第です。
建築としてのこの建物の内部を見学したわけではないので、
設計趣旨だとか、そういったことではないと明記した上で書いた次第。
できればそこから、日本の住宅の資産価値について
どうしたら、日本人の住宅投資が減衰しないものになっていくのか、
そういった資産形成の発展の方向性を探っていきたいというのが本意。
2007年に1億5,600万円で売り出された総戸数14戸の物件で
売れ残った3戸が、8,880万円に価格改定されたこと。
その後も、中古市場で売りにも出されているという事実を書きました。
むしろ、こういった日本の住宅資産価値の姿について
問題を広く拡散する事例として、取り上げることの方が意味があると。
建築デザイナー・妹島和世さんという「ブランド」に寄りかかっての
「価値訴求」というのはいびつなのではと、そんな趣旨を込めたつもりです。
戸建て住宅とは違う共同住宅では、
デザインはユニバーサルこそが実践されるべきではないかと思います。
ユニバーサルであると言うことは、普遍的価値観のような部分でしょう。
そうであればこそ、はじめて資産としての価値が出てくる。
誰が使ったとしてもあるレベルの満足度が達成されているもの。
断熱であるとか、空間のいごこちのようなものは、有意な指標になり得る。
目を驚かす見た目ではなく、いわば「仕立ての良さ」こそが吟味されるべき。
間違っても、事業主や設計者の「感受性」を普遍的、また高位価値だとして、
押しつけるというようなことであってはならないと思います。
上のグラフのように日本では、住宅の資産価値が減衰する現実がある。
他の国ではこういうことは常識的ではない、ということに、
そろそろ、大きく目を開いて立ち向かって行くことが、
住まいに関わっている人間には求められるのではないか、
そういった思いが強くなってきている、ということなのであります。
<上の写真は本文とは無関係の資料画像>
建築知識ビルダーズの木藤編集長からシェアしていただいたり、
主に本州地区のみなさんから、ご意見が寄せられました。なかには、
「妹島和世さんはきのう紹介したマンションのコンペに応募し、
選定されたという経緯であり、デザイナーズマンションとして妹島和世ブランドが
当初から販売利用されたそういった側面は大きくなかった。ブログに書くのに
そうい事実を調べずにブログにするかね。不誠実なだけではないか。」
というようなご意見もありました。
しかしやや、論旨がズレているのではないかと思った次第。
わたしとしては、そこにあって目にしたマンションにミスマッチを感じ、
インターネット上で知りうる範囲の事実を調査して、
それに基づいて、このマンションビジネス事業としての側面を
取り上げて考えてみた次第です。
建築としてのこの建物の内部を見学したわけではないので、
設計趣旨だとか、そういったことではないと明記した上で書いた次第。
できればそこから、日本の住宅の資産価値について
どうしたら、日本人の住宅投資が減衰しないものになっていくのか、
そういった資産形成の発展の方向性を探っていきたいというのが本意。
2007年に1億5,600万円で売り出された総戸数14戸の物件で
売れ残った3戸が、8,880万円に価格改定されたこと。
その後も、中古市場で売りにも出されているという事実を書きました。
むしろ、こういった日本の住宅資産価値の姿について
問題を広く拡散する事例として、取り上げることの方が意味があると。
建築デザイナー・妹島和世さんという「ブランド」に寄りかかっての
「価値訴求」というのはいびつなのではと、そんな趣旨を込めたつもりです。
戸建て住宅とは違う共同住宅では、
デザインはユニバーサルこそが実践されるべきではないかと思います。
ユニバーサルであると言うことは、普遍的価値観のような部分でしょう。
そうであればこそ、はじめて資産としての価値が出てくる。
誰が使ったとしてもあるレベルの満足度が達成されているもの。
断熱であるとか、空間のいごこちのようなものは、有意な指標になり得る。
目を驚かす見た目ではなく、いわば「仕立ての良さ」こそが吟味されるべき。
間違っても、事業主や設計者の「感受性」を普遍的、また高位価値だとして、
押しつけるというようなことであってはならないと思います。
上のグラフのように日本では、住宅の資産価値が減衰する現実がある。
他の国ではこういうことは常識的ではない、ということに、
そろそろ、大きく目を開いて立ち向かって行くことが、
住まいに関わっている人間には求められるのではないか、
そういった思いが強くなってきている、ということなのであります。
<上の写真は本文とは無関係の資料画像>