年末に行った中国地方の旅、
家族にガマンしてもらって、出雲大社隣の博物館を駆け足で見学。
で、この島根県立古代出雲歴史博物館での展示からであります。
この博物館、おおむねの展示については撮影が許諾されています。
きっと、大いに拡散して欲しいと言うことを願ってのことなのでしょう。
古代の出雲大社本殿の模型など、わかりやすい展示に工夫している。
そのなかで、きょうは古代ヤマト王権から出雲の支配を授権された
首長の「威信財」の様子についてであります。
キラキラしたる装飾性について、かなりこだわっていた様子がわかる。
権力を行使する人間の「神聖性」主張がわかりやすく伝わってくる。
日本に成立した古代の「神聖王権」では、
各地域の実質的支配者、首長に対して中央王権の側から
さまざまな「威信財」授与が大きな政治的意味を持っていたとされている。
古代の「権力機構」は、その正統性について、わかりやすいかたちを
求めていたのだろうと思います。
なぜ自らがひとびとの上に立って、支配命令することが出来るのか、
その説得の意味で、キラキラしたものというのが、
この時代、もっとも「神聖性」を訴求できたのだろうと思われる。
ヤマト王権に先行した出雲の分権的な権力機構は、
銅剣や銅鐸を贈ることで、その地域での権力の装飾性を高めたのだと思う。
吉野ヶ里遺跡でも、その地域の権力者は、
金属加工の専門集団や、陶器生産の専門集団などを
自らの権力機構の主要なパートとして利用していたとされる。
弥生式農耕、コメ生産には労働集約化と金属製農具の利用が欠かせなかったことを
このことは明瞭に表していると思える。
出雲王権からヤマト王権への「国譲り」故事には、
この金属加工技術での、銅製品から鉄製品への変化の側面があると思う。
このジオラマの説明では、
「6世紀後半、太刀や馬具がもっともきらびやかだった時期の
出雲西部の大豪族の装いを、出雲市内古墳の出土品から復元しました。
身につけた冠や太刀、馬具などは、いずれもヤマト王権への奉仕に対して
与えられたもので、かれが出雲西部で最高位の豪族であることを
ヤマト王権が認めるものでした。」と、されていた。
さまざまな考証を経て、こういったジオラマ制作はなされているのでしょう。
はるかな時間を超えて、支配や権力という営為について
まざまざとなにかを伝えてくれていると思って見ていました。