きのうは夜、小樽にて頼まれた講演が無事終了。
講演で話すとアドレナリンが上昇して、そのあとお酒が美味しく感じられてしまう(笑)。
っていうことでしたが、会場は小樽市民会館でした。
で、その会場前に写真のようなすばらしいデザインの和の建築が。
こういった唐破風の瓦屋根というのは、
冬期の雪害、氷柱、雪の滑落などの条件から、北海道ではほとんど目にしない。
本能的に反応してしまって、思わずシャッターを切っていました。
そもそも北海道では「能舞台」をもった建築はほとんどない。
「the能ドットコム」というサイトを見ても、秋田以南に存在が限定され、
北海道はまったくの真空地帯になっている。
そういうなかで、さすが北海道開拓期の経済の中心地であった小樽には
その栄華を偲ぶよすがとして、「旧岡崎家能舞台」が残されているとのこと。
Wikipedeaを見ると,以下のような紹介があった。
旧岡崎家能舞台
小樽市能楽堂(旧岡崎家能舞台)は、1926年に北海道小樽市に創建された
能楽用の劇場。江戸時代に定められた能舞台の最高基準の格調を備える点では
国立能楽堂をも凌ぎ、歴史的・文化的価値の高い建造物である。
小樽の豪商・岡崎謙自邸敷地内に創建され、多くの賓客(高松宮妃、貴族院議長)や
宗家、野口兼資らを迎え催事が行われたが、氏の没後、遺志により
小樽市に寄贈され、市の歴史的建造物に指定、現在では同家現当主から
寄贈された大量の能装束等の一部とともに一般公開されている。
岡崎謙は佐渡出身の小樽の実業家で、東京英和学校(現・青山学院大学)および
東京高等商学校(現・一橋大学)に学び、宝生流の波吉門下にて能をたしなんだ。
その後、小樽市の私邸敷地内に広さ64㎡(橋掛り含む)、建設費16,873円43銭
(現在の約1億7千万円)をかけて創建したものである。
岡崎は1924年に能舞台の建設を思い立つと、
東京の現靖国神社能舞台(旧芝能楽堂)に調査に出向き、棟梁たちにも見学させた。
同年に佐渡産の直径2.4mの神代杉・九州産の檜・道産の松などの特選材を選定。
神代杉の運搬には船1隻を借り切り、木挽きも佐渡から呼び寄せた。
1925年7月には建築工事に着手、1926年1月26日に舞台開きを迎え、
1927年11月には狩野派第17代の狩野秉信(かのうもちのぶ)が
延べ2か月滞在して描いた鏡板の絵が完成した。
〜という記述です。う〜む、すごい建築的情熱の営為を感じさせてくれます。
ちょうど見掛けた時間は午後6時過ぎで、
会食も終わったのは午後10時過ぎだったので、内部見学はしておりません。
夏期には一般公開されているということなので、今度見学に行きたいと考えています。
やはり建築はパトロンの存在によってその粋が受け継がれていくもの。
お金持ちのお金の使い方は、このようであれかしと願いますね。
なお、この舞台を利用しての能や狂言などの予定はまだないようです。
建築として謹んで「取材」してきたいと思います。乞うご期待。
講演で話すとアドレナリンが上昇して、そのあとお酒が美味しく感じられてしまう(笑)。
っていうことでしたが、会場は小樽市民会館でした。
で、その会場前に写真のようなすばらしいデザインの和の建築が。
こういった唐破風の瓦屋根というのは、
冬期の雪害、氷柱、雪の滑落などの条件から、北海道ではほとんど目にしない。
本能的に反応してしまって、思わずシャッターを切っていました。
そもそも北海道では「能舞台」をもった建築はほとんどない。
「the能ドットコム」というサイトを見ても、秋田以南に存在が限定され、
北海道はまったくの真空地帯になっている。
そういうなかで、さすが北海道開拓期の経済の中心地であった小樽には
その栄華を偲ぶよすがとして、「旧岡崎家能舞台」が残されているとのこと。
Wikipedeaを見ると,以下のような紹介があった。
旧岡崎家能舞台
小樽市能楽堂(旧岡崎家能舞台)は、1926年に北海道小樽市に創建された
能楽用の劇場。江戸時代に定められた能舞台の最高基準の格調を備える点では
国立能楽堂をも凌ぎ、歴史的・文化的価値の高い建造物である。
小樽の豪商・岡崎謙自邸敷地内に創建され、多くの賓客(高松宮妃、貴族院議長)や
宗家、野口兼資らを迎え催事が行われたが、氏の没後、遺志により
小樽市に寄贈され、市の歴史的建造物に指定、現在では同家現当主から
寄贈された大量の能装束等の一部とともに一般公開されている。
岡崎謙は佐渡出身の小樽の実業家で、東京英和学校(現・青山学院大学)および
東京高等商学校(現・一橋大学)に学び、宝生流の波吉門下にて能をたしなんだ。
その後、小樽市の私邸敷地内に広さ64㎡(橋掛り含む)、建設費16,873円43銭
(現在の約1億7千万円)をかけて創建したものである。
岡崎は1924年に能舞台の建設を思い立つと、
東京の現靖国神社能舞台(旧芝能楽堂)に調査に出向き、棟梁たちにも見学させた。
同年に佐渡産の直径2.4mの神代杉・九州産の檜・道産の松などの特選材を選定。
神代杉の運搬には船1隻を借り切り、木挽きも佐渡から呼び寄せた。
1925年7月には建築工事に着手、1926年1月26日に舞台開きを迎え、
1927年11月には狩野派第17代の狩野秉信(かのうもちのぶ)が
延べ2か月滞在して描いた鏡板の絵が完成した。
〜という記述です。う〜む、すごい建築的情熱の営為を感じさせてくれます。
ちょうど見掛けた時間は午後6時過ぎで、
会食も終わったのは午後10時過ぎだったので、内部見学はしておりません。
夏期には一般公開されているということなので、今度見学に行きたいと考えています。
やはり建築はパトロンの存在によってその粋が受け継がれていくもの。
お金持ちのお金の使い方は、このようであれかしと願いますね。
なお、この舞台を利用しての能や狂言などの予定はまだないようです。
建築として謹んで「取材」してきたいと思います。乞うご期待。