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三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

【橋の下から拾われてきた子・・・】

2019年06月30日 09時16分06秒 | Weblog
写真はわが家近隣の「発寒川」にかかる旧国道5号線の「橋の下」。
小さいときに「オマエは橋の下から拾ってきた(笑)」
っていうように兄たちから言われ続けた記憶がふと、甦る。
うずくような、しかし今となっては甘くも感じられる記憶。
わたしは昭和27年生まれですが、北海道のそれも岩見沢近郊という
農村地域で生まれ3歳までそこで過ごしていた。
そういう家の5男として生まれたので、
客観的な情報も十分ではない当時の社会では、実感として
そういう言われ方に、事実かもという印象を持っていた。
ただ、この言葉の言い方にややユーモアの色が感じられたことが、
微妙ながら、コミュニケーションに救いがあったと思う。
日本の伝統・風習の世界では「三途の川」というコトバがあるくらい、
川はこの世とあの世の「結界」という潜在意識が社会に強く存在し、
実際に多くの「子捨て」が行われてもいたのだろうと思います。
貧困ゆえの社会の悲劇がそこには投影されているのでしょう。

いま考えてみれば、このような言い方は社会の基盤としての
「家」制度というものが色濃かったのだろうと思う。
長子以外の男子は嫁を持つこともできなかった社会が現実にあった。
江戸期まではそういう人間は都市の職人とかになるくらいが関の山で
いわゆる「やっかいもの」扱いが一般的だったのでしょう。
戦争が終わって以降は、こうした長子以外の男子は都市労働者になって
今日の社会の製造業大企業の基盤的人材になっていった。
現代社会は、資本主義が個人主義という考えと合体した
「契約」的関係性が基本の社会に変貌して
このコトバのような「家」制度社会的な「掟」のような言い方は
消え去ってきているのだろうと思われます。
イマドキの子どもたちでこのような言われ方をした経験を持っている人は
たぶん皆無に近いのではないかと思います。
現代でこういうコトバを投げられ続けたら、
たぶん人権的な事件性を帯びてしまうのではないか。
逆に言うと、そういう権的な言われ方に耐えた人間が多かった時代と
今の時代とはニッポン社会がまったく変わってしまっているのでしょう。
コメント
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