三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

【自然の移ろいと同期する平常心】

2020年05月08日 06時27分16秒 | Weblog
昨日から仕事再開ですが、諸案件が一気進行であります・・・。
こういった状況の中でも多くのみなさんが知恵と工夫で経済活動している。
もちろんいまは出来ないことも多いけれど、
逆に言うとこういう時間を最大限有意義に使っている事例もきわめて多い。
本当に素晴らしい活動ぶりだと深く教えられる気が致します。
自分自身でも、そうありたいと願いながら身近なことに取り組んでいます。

で、日々の情報活動も重要ですがそれらを「判断する力」というのは、
それ以上に重要だと思います。
わたしの場合、その一番確実だと思える基礎的なものって、
やはり四季のうつろいの中で訴えかけてくる自然の声だと思っています。
「とにかく家にいる」ということで遠出はしないという中で
でも健康維持増進のためには散歩などは格好の機会になった。
年も取ってきたので1日1万歩というのは「多すぎ」とも聞くのですが、
連休中は連日1万数千歩歩き続けておりました。
日々、歩き続けていると自然のすこしづつの変化が身体化する。
人間センサーというのは多種多様な情報を感知する。
いわばこの住んでいる地域の自然に同期するような印象を持ちます。
そういう感覚から「判断」の基本というのは出来上がっていると思うのです。
自然がさまざまなシグナルを人間に送ってくれることで、
それが身体の中に「常識」のベースになるものを叩き込んでくれる。
ごく当たり前のことの正しさというようなものが伝わってくる。
永続的なことというのは、奇をてらったようなことではなくて
ごく常識的な判断力から導き出されるものだということがわかりますね。

写真はわが家近くを流れている「発寒川」河畔の様子です。
この時期北海道では、冬の間の山の雪が融けてきて、
まことに爽快感そのものの水音が響き渡っている。
そういう水音にはあらゆる情報がそこに表れているのだろうと。
歩きながらその「リズム感」に自分を同期させると、
この自然の中での人間の道筋、やるべきことの根本が伝わってくるのでしょう。
年を取れば取るほど、こういう自然の声に謙虚でありたいと
自分に言い聞かせてきております。
新型コロナウィルス禍、なんとか平常心で克服したいですね。

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