三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

【新型コロナ VS 106年前の「結核予防善悪鑑」】

2020年05月15日 06時03分44秒 | Weblog
きのうご紹介した「結核予防善悪鑑」続篇であります。
106年前には結核菌が発見されて、結核が感染症であることが究明され、
それとは日常生活の「予防」的な対応で蔓延を防ぐことが呼びかけられていたのです。
この「結核予防善悪鑑」はそれを一般にわかりやすく情報伝達する手段として
相撲の番付に見立てたポスターを作成して公衆宣伝を図った。
この広報作戦は1914年のことですが、
結核のワクチンであるBCGはフランスのパスツール研究所で開発されて
1921年に初めて新生児に投与され、以後、1924年には日本にも菌がもたらされた。
逆に言うと、結核菌の発見・感染症認定から相当の期間かかっている。
それまでの間、ひたすら人々の「行動変容」で人類は戦い続けていた、といえる。
その当時から100年以上の時間が経過しているけれど、
またふたたび人類はあらたな感染症と向き合わされている。
治療薬やワクチン開発はそのスピードアップが求められるけれど、
しかし疫学的な「安定性・科学的妥当性」が担保されるまでには、
忍耐して、感染症ウィルスと共存して行く覚悟を継続していく必要がある。
アナロジーとしては、この1914年には第1次世界大戦が勃発もしている。
時間経過からは、ワクチン開発は戦争を挟んで戦争終結後に世界にもたらされた。
このような世界史の推移が再現されないように理性的な対応を期待したいけれど、
中国共産党という非理性的、不合理的な存在が強権をふるっているなかでは、
現代人類の運命はあやういというようにも思われる。・・・

で、本日はこの106年前の先人たちからの「警告」を詳報したい。
きのうは横綱大関クラスの「目玉項目」を紹介したけれど、
それから以下の項目にも、先人の大きな「知恵」と人間への愛が感じられる。
●まずは「悪しき方」のほうですが、
「蒲団(團)没頭」というのは、どうも朝寝坊の生活の自堕落さ表現のようです。
「日光の来ない家には医者が来る」というのは住環境のありようへの警告。
「肺病の痰は火照る爆裂弾」というのはまさにウィルスへの注意報。
「倹約すぎる食い物」とは栄養補給による免疫力向上。
「旧式な酒盃の交換」というのは飲酒習慣での接触感染への警告。
「虫歯持ち」は衛生観念への気付き。
「手放しに○○する野蛮人」というのは旧字で不分明もイマドキの行動変容規範から
類推すると、飛沫感染への警告とおぼしい。
で、最後の「差し向かい三尺以内の談話」は、まさにソーシャルディスタンス。

●つづいて「善き方」は以下の通り。
「深呼吸」とは肺の機能向上を促す狙いなのでしょう。まさに生活行動変容。
「風の入る家に福の神がはいる」とは、まさに「換気の重要性」。
同時に「新鮮な空気は値なき黄金」とまで讃えている。
「菜肉豊富な食膳」とは、バランスのいい免疫力向上の食事習慣。
「文明的な乾盃」とは、悪しき方の乾盃方法とは換えて
それぞれの盃で「接触感染」を避けるべきだと言うことでしょう。
「完全な咀嚼」、よく噛んで食べなさいというのはまことに慈愛そのもの。
「飲食を強いない良き妻君」とは、あまり深酒させるな、という警句か。
旧字でわかりにくいけれど「食後にはうがいを」という注意喚起。

まことに今日の「行動変容」とも似通った内容が多いことに
あらためて驚かされるとともに、このようなわかりやすい「衛生思想」教育が
大正初年にも日本では推奨されていたことに、先人のみなさんの
ありがたさがしみじみと伝わって参ります。深く、感謝の念であります。

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