三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

暮らしの旋律

2009年12月11日 06時58分19秒 | Weblog




きのうは、早朝に山形市内中心部のホテルを出発。
前日に秋田までの路を往復多数の経験者にアドバイスいただき、
もっとも直線距離の短い、新庄~湯沢経由ルート、
おもに国道13号線を北上するルートを選んでいきました。
それでも一般道経由で200km以上の道のりなので
7時前にはスタートした次第です。
初めは山形蔵王インターから、東根までの「東北中央道」を走りました。
この路は、将来的には、湯沢~横手道路とつながっていく高速ですが、
まだ途中100km区間の工事が進んでいない。
っていう認識でおりましたが、
走ってみると、断続的に試験的に供用されている。
ほぼ半分くらいは、そういう高速道を走ることができました。
そういうことなので、3時間ちょっと程度で到着できました。

写真は、到着後取材に向かった住宅。
秋田県でイチ押しのビルダー・五蔵舎さんの建てた家。
外張り断熱工法での住宅性能面もしっかりしていますが、
なんといっても、注文住宅づくりのキーポイントといえる
「家の雰囲気作り」への感性力が際だっている。
こういった雰囲気作りの点では、ちょっと他と比べようがない水準。
まぁ、角館の住宅群を持っている秋田県の家づくりの
特徴や、地域らしい雰囲気というものをもっとも良く体現している。
やはり、「秋田らしい」という言葉に一番、似合っている存在。
家づくりといっても、箱としての住宅だけではなく、
エントランスや、庭の造作まで含めて、提案力を持っています。
家のエントランス部分を撮影した写真ですが、
建物本体の下屋の長い庇が生み出す陰影感をポイントに、
そこまでの床には大谷石の敷石をしつらえています。
まだ、竣工後半年ほどですが、
すでに一部には苔もむしていて、独特の雰囲気が生まれています。
建て主さんの選んだ大きな壷が来訪者を迎えている。
質朴で、おおらかな壷の風合いが、家の雰囲気を良く表現している。
こういった雰囲気作り、言ってみれば「暮らしの旋律」って、
ただ単に生きていく、ということ以上に、
「こうして暮らしていく」という生き方の味わいの部分。
家づくりで味わえる、もっとも楽しく夢の広がる部分だと思うのです。
地域に、そういった感性力を持ったビルダーがいる地域は
すばらしいと思います。

さて本日は長い出張も終わり。
ようやく札幌に帰還できます。
ひと安心できるところですが、まだまだ、年の瀬に向かって多忙は続きそうです。





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水上の涼亭

2009年12月10日 05時21分32秒 | Weblog




きのうは山形市内で講演会をいたしました。
そのあと、2次会3次会とお酒が入りまして、
先ほどまで気絶しておりました(笑)。
で、本日は秋田に移動して、一軒取材があり、その後
ふたたび秋田市内で講演というスケジュール。
なかなかにハードスケジュールですが、
もう少しで出張日程も終わりますので、あとひとがんばりであります。

写真は、東京の清澄庭園の茶亭であります。
この庭園は、わたしの探訪テーマになって来つつある(笑)、
大名庭園のひとつであります。
まぁ、用途が用途ですから無理もないのですが、
まことに「夏を旨」とした家づくりであります。
水上にいるかのように、束基礎を水中に建て、そこに土台の横架材を張り渡し、
柱だけの華奢な建物を起ち上げています。
そういう用途なので、できるだけ壁を作らず眺望優先というか、
全面を開口部としています。
屋根だけは架けられている、まさに屋根だけの建築。

こういう考え方で基本的には「夏を旨」とした建築はできている。
蒸暑の夏が長い期間続くことに対応した建築ですね。
で、一般的な住宅でも、こういった考え方で建てているケースも多い。
眺望優先というと、とにかく大きな窓を開けることが求められている。
それは当然なのだけれど、
涼を求めると言うことでは、どうも少し違うような気もします。
一般住宅では、壁も重要な要素であり、
新鮮空気を外部から導入するには、窓の大きさは
返って小さい方がいい、という場合もある。
換気経路の明確化、というようなことなのですが、
大きすぎる開口部は、かえって不快な装置にもなりやすい。
現代ビルディングで、ガラスの開口部、というか、
ガラスの壁面で、日射取得が大きすぎて、常にカーテンなどで日射遮蔽している
というケースはたいへん多い。
開口部が大きすぎるというのは、やはり工夫が足りないのではないかと思わざるを得ない。

ガラスの建築、というのが20世紀から21世紀の建築を
代表するようなものになるのでしょうが、
もうすこし、壁の意味合いが重視されるべきなのではないかと
いつも考え込んでいる次第です。
さて、これから早朝から秋田に向けて出発です。
安全運転で頑張りたいと思います。





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東京都心の水上生活?

2009年12月09日 05時18分14秒 | Weblog




さて、あちこち出没していますが、
東京にも行っておりました。
写真は先日来、気になっていた江戸情緒を残す地域の景観のひとつ。
江戸は江東区深川付近から、永代通りを永代橋方面への道すがら、
途中に、隅田川からの運河水路があります。
名前を確認すると、「大島川西支川」というのだそうです。
隅田川から、大横川という運河が導かれており、
これは、さらにそれから枝分かれしているものだそうですが、
立地的には隅田川からもすぐ近くにあって、
利便性では相当にいい立地と見受けました。
あ、立地的な判断基準は、水運関連事業者としてという意味合いですね。
江戸という街、というか、近世までの大都会は必ず水運の便というものが
まず経済発展の第1義的なポイント。
秀吉が武蔵の国の海浜地帯であった江戸の立地に着目して
家康に対して、関東経営の中心地に推奨したのは、
まさに経済の天才、秀吉ならではの慧眼だったのでしょう。
簡単な土木工事で、縦横に運河水路を開くことが容易で
物流の基本であった水運が発展可能であると見えたのでしょう。
その基本が隅田川であり、
童謡にも謳われるような、活発な水運産業の活況を生み出した。
で、この大島川西支川では、そうした産業従事者が
ひとつの集落を形成していたようなのですね。
たぶん、戦前くらいまでは、ほとんど船の上で暮らすのが基本の
「水上生活者」だったのではないかと推測できます。
それがすこしづつ、陸の家の部分が増えていった。
でも、それは最低限の生活装置であり、
水上と陸上の両生的な生き方だったに違いないと思います。
現在残っているのは、300m弱ほどの水路左右に張り付くような住宅群。
ちょうど、トラックを駐車させるように船を係留させて
そのごく近くに住宅が密集的に配置されています。
密集ぶりはかなりで、京都の町家並みの間隔のなさであります。
きっと現在では「既存不適格建築」ばかりであり、
建て替えるに際しては、新築はできないので、
増改築に次ぐ増改築だったに違いありません。
しかし、今日になってみれば、まさにこうした暮らしと生き様が一体となった
人間痕跡とでも言えるような住居は貴重な存在だと思います。
現代の住宅は、近世までの経済と一体となった住居から、
そういう生活感痕跡を消したような、つるっとした住宅になっている。
まぁ、多くの人間が「会社人間」になって、
背広とネクタイで「出勤する」生活になってしまえば、
「どこに、どう住む」という部分は弱まってこざるを得ない。
以前は、やむにやまれず、そこに張り付いての生活だったものが、
どこに住んでも別にいい、労働の場所までの時間的距離さえ受け入れ可能ならば、
っていうように、土地と生活が切り離されてきたのが現代社会だったのですね。
逆に、この写真のような生活ぶりから、
現代住居の異常さの方に思いが至ってしまうのは、おかしいでしょうか?

ちょっと気になって、ファインダーにいろいろ、
見えやすい生活ぶりを収めてみたくなってしまった次第です。







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喜多方ラーメン・坂内食堂

2009年12月08日 05時55分55秒 | Weblog



ひさしぶりに食べ物ネタであります。
おとといは会津にいたわけで、
取材が終わるころに、設計者から昼食のお誘いがあり、
地元と言うことで、喜多方ラーメンという、
まぁ、なんといってもものは試しという食探訪であります。
全国に喜多方ラーメンを広げた「坂内食堂」の本店に行ってみた次第です。
仕事で歩く傍らなので、昼食はだいたい時間と距離優先で選択するのですが、
このようにご案内いただけると、たいへんありがたい。
やや時間は遅れた昼食時間、とはいっても日曜日の午後と言うことで、
覚悟はしていましたが、けっこうな行列ができておりました。
で、待つこと15分くらいだったでしょうか、
ようやく暖かいラーメンとご対面であります。
見た目、大変あっさり系の感じがいたします。
わたしは、さっぽろラーメンのこってり系新しバージョン、
全然受け付けなくなっているので、こういう風合いがうれしい。
味は、選択がないのですね。しょうゆとか、みそとか、ない。
あるのは麺の量と、チャーシューというか、「肉」の量。
わたし、チャーシューもそんなには、というほうなので、
これは、麺だけ大盛りにしてもらったふつうのラーメンです。
スープをすすってみると、予想通りあっさりですね、これは。
胃袋にやさしそうな、わたしのような年齢層には受け入れやすい味わい。
なんでも、早朝7時から営業しているのだそうで、
朝から食べる人もいるんだそうです。
この味なら、さもありなん、という感じがいたしました。
麺は、ご存知のように太めで平たい独特の麺。
表面のツルツル感はあるので、もさもさした舌ざわりはしませんね。
ということで、続いては「肉」、チャーシューであります。
と、これが、うまい!
スープとも、麺とも実に絶妙に似合っていて、
ラーメンのハーモニーを引き立てている。
「これは、失敗した、肉ラーメンにすれば良かった・・・」
と、即座にたった5切れの肉を恨めしく思った次第。
そうはいっても5切れは入っているのですからまぁ、
選ぶときには、いいんじゃないかと思ったのですが、
これは、絶対に肉ラーメンですね、ここでは。
肉を一切れ食べて、麺をすすり、スープをすする。
というのが、この坂内食堂さんの食べ方、王道のような気がします。
味わいが、そのような仕掛けになっていると思います。
わずか5切れの肉と、ハーモニーを惜しみつつ、
一気に食べ終わった次第であります。

この店は、全国でチェーン展開しているのだそうですが、
そういうチェーン店とは少し味が違うのだそうで、
現に全国から食べに来る人が多くて、
その違いを実感していっているのだそうです。
このあたり、地元でしか食べられない「白い恋人」商法と、
量を稼ぐチェーン店商法、どちらも成功させている慧眼作戦なのでしょうか(笑)。
たまに行くことができた有名店、
なかなかおいしいラーメン店でよかったでした。
値段は、確か・・・、大盛り800~900円くらいだったはずです。





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会津・地域共同水路

2009年12月07日 06時31分51秒 | Weblog




今回の出張もあちこちと移動いたします。
きのうは仙台を早くに出て会津へ。
天気予報では午後からは雪がぱらつくという予想。
もう12月でもあり、会津は予断を許さない地域。
ということで、クルマも冬用タイヤに履き替えているクルマを使用。
日曜日ということもあって、高速は1000円ですが、
どうも仙台の高速では路線が違うと別カウントされる地域があるのですね。
なので、仙台東から乗って会津若松で下りたら
料金は1600円という表示になっていました。
う~む、どうもわかりにくいじゃないか。

取材は古くからの農家集住地域、「集村」といわれる地域のなか。
田園風景の中に、林で囲まれた集落が展開しています。
そのなかの一軒が取材先住宅なのですが、
その道路側前面には、ごらんのような共同水路が流れています。
これは猪苗代湖から流れている水路と言うことで
農業用水として開発されたものを
このように引き込むことで生活用水としても利用してきたというものです。
見てみると、大変清冽な清水であり、
この地域の暮らしは、この水路が支えてきたであろうことは明白。
この建物に対しては北側に面しているので、
まだ竣工後1年ちょっとですが、コンクリートで固めた縁側的土面には
もうすでに苔がいい色合いを出していました。
冬期には積雪をこの水路に流して融雪もするということ。
また、建て主さんによると、この水路で野菜を洗ったりすることも多く、
そういう生活上のコミュニティの中心的な装置としても機能してきた。
この再生型の工事になった住宅では
こういう点を踏まえて、この水路に対しての仕掛けを考えていました。
これまで、建物の反対側の、南側で田畑に向かう側を入り口にしていたのですが、
今回工事では、あえて北側のこちら側に広い土間を内外に備えた
屋根付きの空間を配置しています。
いわゆる一般的な玄関ではなく、土間を境界とする空間配置を試みているのですね。
袖壁や屋根の張り出しが、あいまいな中間領域も形成しているので
この共同水路を中心とする地域への開放性と、
個的なプライバシー空間との間の距離感が建築的に仕掛けられていました。
こうなると、そこから先は住む人の、
いわば暮らしデザイン力のようなものがデフォルメされると思います。
若い設計者の意欲を感じた取材でした。







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仙台傾斜地の家

2009年12月06日 06時07分15秒 | Weblog




ことしはどちらかというと
住宅の業界構造的な仕組みについての
計画を中心に取り組んできたような気がします。
とくに「北海道R住宅」は、国の「先導的モデル事業」に採用されたことで、
一般のみなさんに知れ渡ることができ、
業界構造に一石を投じる、というような動きが現実に回り始めた年でした。
だんだん、この仕事を通して行うことの領域が変化してきた気がします。
それは、わたしのほうが歳を取ってきたと言うことでもあるでしょうし、
また、住宅業界としても革新の動きを求めてきている、
というようなことも表している気がします。

そんななかですが、
きのうから仙台に移動しまして、打合せ三昧でありました。
その間を縫って、案内をいただいていた住宅見学会の訪問。
仙台の既存住宅街というのは、どうも自由度の少ない敷地が多く、
また、自然環境との調和というような設計が難しい地域性。
そんななかで「山神の住宅」という、そそるようなタイトルの住宅であります。
で、写真がその外観なんですが、
相当古い時代からこの土地の尊崇を集めていたアカマツの御神木が
群れをなして小高い丘の上に立ち並んでいる敷地。
将来的には計画道路も予定されている土地、ということ。
こういう土地に魅力を感じるような方であれば、
設計者は、相当に力が入って計画したと思われました。
まぁ、なんといっても山の傾斜を理活用しながら、
その条件との折り合いを付けながら空間を配置していかなければならない。
施主さんから要望された用途的な条件を持たし、
その上で、ここに暮らす積極的意味を発見していかなければならない。
そのほか、都市計画上からの制約条件もあって、
計画道路がかかっている場合、構造もRCはダメで、木造が要請されるのだそうです。
たぶん、こういう条件がいろいろに厳しければ厳しいほど、
設計プランとしては、未知との遭遇が続き、
驚くほどオリジナリティのある建築空間が生まれてくるものでしょうね。
ある程度、敷地から生み出されてくる部分、というものがある。
そういう発見の過程と、それとの対話の中で独自の工夫の空間性が
現実に立ち上がっていくことが、施主さんにとっても楽しい時間だったでしょうね。

既存の歴史時間を感じさせるようなアカマツは
室内のメインステージから眺望され、
そういう土地との対話が、ここに暮らす方によって始められるのだな、
という明快なプランニングになっていました。
12月6日本日までオープンハウスをやっているそうです。
設計者は都市建築設計集団/UAPP 手島浩之さん。
http://www.uapp.jp に説明が詳しく載っています。





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厚岸国泰寺の古桜

2009年12月05日 05時45分59秒 | Weblog



ふたたびきのうの続編です。
国泰寺は桜の名所とされているそうです。
ほぼ桜前線日本最北端ということになるでしょうが、
その桜の由来が一枚の看板に書かれていました。
それによると、創建1804年から28年後、
本堂と庫裏を修復するときに、
「厚岸場所」請負人、山田分右衛門が奥州石巻から
移植したと伝えられる古木と言うこと。
桜は、移植され続けていくものなのだそうで、
当時の全国の桜の名木のなかで、北方の気候風土に似合うと想像された
奥州石巻から、持ってきたのでしょうね。
この記述から、いくつかの類推が浮かんできました。
ひとつは、創建から30年を経ずして修復が行われたと言うこと。
一般的な経年的なメンテナンスであれば、
わざわざ桜の古木の移植など、付随的に計画しないでしょうから
かなり本格的な修復をせざるを得なかったのだろうということ。
まぁ、これは本来、居住用ではない宗教的な建築なので
建築の常識的にも、通風換気を重視して
木材の耐久性を優先する工法で建てるのでしょうが、
そういうふうに考えて建てても、寒地では劣化がすさまじかったのではないかと推察します。
まぁ同じように建てられているに違いない僧侶の生活領域の
「庫裏」の建築的劣悪さはものすごかったでしょうね。
マイナス30度に平気で下がる上に、太平洋からの寒風が吹きすさぶのですから
そういう条件下で、隙間換気をむしろ重視した建築では
立ち行くワケもなかったでしょう。

次に、経済的な側面ですが、
こういう格式を誇る寺ですから、
幕府官営の寺なので、この地域の最高権力者、
このときには「場所請負人」がそれに相当したようですが、
かれからの援助があったということ。
まぁ、官営なので基本的な建築費の部分は公共事業でしょうが、
こういった桜の寄贈などは行われたでしょう。
場所請負人とは、漁業を中心的な経済基盤とした北海道での
独特な収奪方式で、漁場を経営する権利を商人に請け負わせて
幕府や松前藩はその上前をはねるという構造だったのですね。
江戸期の独特な官と、商人との関係なワケですが、
そもそもこういうシステムが発生したのは
幕府が松前藩から蝦夷地の経営権を取り上げて直轄地にしたことがきっかけ。
で、公共が直営したら散々な経営実績だったのです。
それで、その財政負担に音を上げて、商人に払い下げた、ということだそうなのです。
で、そういう経緯なので商人たちの決算報告でも
いやぁ、ことしも赤字でございまして・・・、
というようになっているのが一般的。
なぜかといえば、黒字を出せば、商人側から見て何一ついいことがないのです。
残された大福帳上ではそうなっているのですが、
どう考えても、利益にならないことはするわけがない。
それにこの請負権利の取得には相当、執着している連中が多い。
その辺はあうんの呼吸で、官と民の談合、「◎○屋、おぬしも悪よのう、むふふふ」
というような世界が赤裸々に展開したのではないかと想像されます。
そういった請負場所のことが透けて見えてきます。
また、この桜が石巻から来たと言うことは
この当時、太平洋まわりの航路も使われていたのかも知れないなぁと
想像が起こってきます。

一枚の立て札ですが、
いろいろな事情が推察されて、しばし、立ち止まってみた次第です。








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国泰寺・唐破風

2009年12月04日 06時00分45秒 | Weblog



きのうの続きであります。
国泰寺の本堂入り口と思われる様子であります。
どうも、本堂は風雪に耐えきれず、建て替えられたようでして
外壁などに新建材の類なども使用されているようです。
「史跡」の指定は受けているようですが、
この場合には十分な保護施策ができないと言うことなのでしょうか。
そもそも北海道にはこういった保護されるべき歴史的遺物が少なく、
国宝に至っては、縄文の土偶1点を除いて
なにもないのですね。
建築で今後、国宝に指定される可能性があるのは道庁赤煉瓦庁舎か
札幌時計台くらいなのでしょうね。
まぁ、それだけ新開発地であって、人間痕跡に乏しいということなのでしょう。
この国泰寺は重要ではあるけれど、
そこまで保護を加える必要までは認めていないのでしょう。
やや残念な状態なのですが、写真は唐破風正面。
唐破風というのは、その名から類推できるように
中国から伝わってきた屋根のデザイン技法でして
ごらんのような優美なカーブを見せるものです。
こういった建築は宗教的な視覚体験を建築技術に対して要求するので
宮大工はいろいろな古例格式を検討して、デザインを考えるのでしょう。
この寺の場合、禅寺と言うこともあって、こういうデザインを強調したのでしょうか。
しかし、看板的な「せり上がり」の木組み表現など、
やはり重厚感には乏しい仕上げになっています。
徳川幕府11代将軍の時期と言うことで、
幕府の国家財政も破綻している状態の中での、しかも北方での工事。
資材も北前船航路で運搬されてこの地まで運ばれてきたのでしょうから
この看板的せり上がりのように、簡易な建築手法が考えられたものと推測できます。
屋根もカラー鉄板という寂しさでして、
たぶん、創建時はどういった素材だったものか、
銅板葺きまで立派だったかどうか、不明です。
まぁ、それでも唐破風のデザインという古建築がこの地に残っているというのは
やはり当時の日本建築技術と北方圏との関わりの中で貴重。
北海道内では、現在、函館五稜郭内で「函館奉行所」復元工事が行われています。
江戸期の復元工事であり、主たる施工業者は石川県の会社が受注し、
地元北海道の会社は参加できなかったようですが、
できるだけ、北海道にもこういう古建築、残していきたいものだと思います。






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厚岸・国泰寺

2009年12月03日 08時14分22秒 | Weblog




厚岸という場所は、江戸期から釧路と並んで
東蝦夷地の中心的な港湾として重要視されてきていた。
そういうことで、官製の寺院が建立されていた。
「蝦夷三官寺」というように言われているのですが、
この厚岸の国泰寺と、様似の等樹院、伊達市有珠の善光寺です。
だいたい北海道の人口密集地、といっても
経済産業的に考えて価値は漁業資源が最も大きい地域なので
北海道の南側海岸線に沿って函館半島地域を除く3箇所に配置された。
官製の寺院というのは、日本の歴史では東大寺をはじめとして
まことに歴史発展の基本部分であると思うのですが、
北海道では、その名もほとんど知られていない。
また、明治期になると、維新政府の「廃仏毀釈」の方針から
たとえば政治的中心として開発された札幌では、
そういった存在はない。
わたしも途中一時期そうでない時期があるものの、札幌の3才からの市民ですが
札幌の「代表的なお寺」っていうような概念がないんですね。
たぶん、こういう欠落感を持っているのは、
北海道の住人には数多いのではないかと思います。
いまだに、そういう概念を持てないでいます。
日本の歴史を考えるときに、仏教が政策として果たしてきた役割を考えると
北海道という地域は、この意味で本当に稀有な地域。

まぁ、そういう思いがあるので、
かえって天然記念物でも眺めるように見たくなるのが
こういった江戸期までの寺院なんですね。
で、写真のような門構えだけが創建時の様子を伝えてくれています。
本堂の方は入り口だけが唐破風で、それらしいけれど、
現代的な外壁材が使われたりしていて、風情が感じられない。
住職さんは江戸幕府から任命されて派遣されるわけですが
日記のような日誌が残されていて、この寺だったか
ヒグマに襲撃されて困ったというような絵入りの日記を見たことがあり、
なんとも悲惨だけれど、ユーモラスな事件も記録されていました。
日本の政権の基本的な宗教政策の施設たる寺院が
ヒグマの襲撃で機能不全に陥るなど、
なんともすさまじい地の果てぶりだと感心せざるを得ない(笑)。
門なんですが、どうにも基礎工事が怪しい工事だった、というべきか、
寒冷地の地面の凍結を考慮していなかったと見えて
地面の不整合、「不同沈下」が見て取れます。
どうなんでしょうか、もともと傾斜地に沿って建てられた塀だとは思うのですが、
それにしても地面凍結・爆裂の結果での傾斜ぶりも見られる。
一応国費を使った公共事業として行われた工事だったのでしょうが、
請け負った宮大工に寒冷地建築のことを研究する知恵がなかったのでしょう。
門につながる塀の傾斜ぶりなど、
恐ろしげな印象すら与えてくれていて、
これはこれで、江戸期の日本建築技術の寒冷地非対応ぶりを証明するものとして
大いに保存していくべきものであるかも知れないなぁと(笑)。
それに対して、たいそうな墨書書きの由緒書きが
なんとも面白いコントラストを見せてくれていました。







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日はまた上る

2009年12月02日 08時08分18秒 | Weblog



どうも先日アップした坊主の美術作品が頭に残っていて
「北海道で一番きれいな日の出を見たい」
というように思いまして、厚岸のちょっと釧路側手前の駐車場になっている高台へ。
国道44号に面していて、トイレもある駐車場なので
長距離トラックの運転手さんたちもちょくちょく停車しております。
たぶん、根室・標津とかの海辺地域の魚介類を積み込んで
釧路や、さらに遠方まで運搬するみなさんですね。
うまい店情報はこういう運転手さんたちのコミュニティネットワークが
一番強力だというのは常識ですが、
絶景スポット、というのもやはり参考になるものでしょうね。
釧路の街を、ホテルの朝食を取らずに(泣)、早朝出発して
ここまで走ってきて、ふと気付いたのがそんなことでした。
で、ちょうどタイミング良く上がってきたお日さんを
カメラで狙っておりました。
コンビニで買い求めた温かいうどんをすすりながら、であります(笑)。

まぁ、景気の動向とか、
暗い話題ばかりが多い社会の状況ですが、
日本という国は、まじめな性格のA型が多い社会なので、
守りにいったん入り込むと、なかなかそこから抜け出しにくい社会なのかも知れませんね。
少子化の問題がすべての根源のような気がしますが、
一方で、考えてみれば高齢化というのは
世界で一番早くくらいに日本が加速的に経験していることなのですね。
このことをメリットに変えるっていうことは出来ないのでしょうか?
福祉という問題についても、ひたすらお金の支給額になるのですが、
医療が世界でも一番整備されていて
死ぬ直前まではかなり元気な人が多い、という点を考えれば、
何か知恵が出てくるモノなのではないでしょうか。

65才以上の高齢者が、自分たち向けの
新たな社会サービスを起業したら、
そこに知恵や資本を振り向けさせる工夫みたいな考えは持てないのでしょうか?
世界でも一番高齢化は急激に来るのが特徴なんだそうですね。
たぶん、それは急激な近代化が人口の急増をもたらしたことなのでしょうが、
考えてみれば、60才以上人口の多さというのは人類史上でも稀有なのでしょう。
そういう社会では、その蓄積された高齢者の知恵を
どのように次世代に残していくのか、
また、高齢になってから初めて知見できるようなこともきわめて多いのではないか。
凝り固まった経済構造認識だけではない、
新しいものへのチャレンジを促進するようなシステム創造を重視する社会にならなければ
こういう時代には、これまでの知見の蓄積を重視する社会では
対応していくことは難しいのではないか。
高齢化社会の中では、こういう産業に可能性があるという
そういう壮大な人類社会の中でのフロンティアに
いま、わたしたち日本の社会は立っているのだ、という視点こそ、
あらたな産業構造を見通していく重要な考え方になるのではないでしょうか?
こういうことは、「団塊の世代」という言葉を生み出した堺屋太一さんがすでに触れている。
たぶん、自ら生み出した言葉が一人歩きして
その影が見え始めてなお、影響力を持っていると認識して、
日本社会に元気を与えることを明示しなければ
そういうことへの責任があると考えた結果だったような気がします。
どうにも暗い話題が多くなってきた昨今、
こういった考え方は、なんとか盛り上がってこないものでしょうか?






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