三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

旭川往復後、伊達で講演

2011年06月10日 06時26分43秒 | Weblog



きのうは、札幌から伊達に来まして
須藤ホームさんのグループ企業さんの集まりでの講演であります。
須藤さんは、胆振地域にあって公共事業を請け負うゼネコンであり
同時に、千葉や札幌など戸建て住宅の設計施工でも頑張っている会社。
Replanでも、多くの住宅を取材させていただいています。
設計事務所にも引けを取らない提案力のある企業であり
レベルの高さは折り紙付き。
今回は、依頼を受けたのが10日前ということでしたが、
急遽、プレゼン資料を作成しての講演であります。
これからさらに住宅に力点を置いていくということで、
そういったお話しを、というリクエストで
まぁ肩の凝らないお話しを心がけた次第ですが、
さてどうだったでしょうか?

写真は伊達市内の「歴史公園」の中に展示されている古建築。
伊達は、その名の通り、宮城県からの移住者によって開拓された街。
幕末の動乱期に幕府側について、新政府からさまざまに嫌がらせを受けた
伊達藩が、その窮状の中から
北海道開拓に未来を掛けて藩としての移住を決断した街です。
北海道内では、石狩地方の当別町や、いまは札幌市に編入されている
「白石」村など、こういった経緯の開拓地域が多い。
北海道弁に、宮城県地方の言葉が多いのはこういう事情です。
そういうなかでも、この伊達は
もっとも気候的に温暖な地域であり、
比較的に恵まれた開拓経緯をたどったと言われています。

今週は火曜・水曜が旭川出張。
帰った翌日に、伊達に、ということで、
道央自動車道を、南北にあちこちクルマで移動の日々であります。
で、本日は札幌で新住協のゼミナールの開催。
週末日曜日は富良野にて、倉本聰さんの演劇観劇。
なかなか、カラダが落ち着く日がありません。
移動距離は、300km、350km、300kmということで、
今週だけで1000km突破であります。
北海道は広い(笑)。
でもなんとか、頑張るぞ、っていう次第です。ではでは。
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旭川ラーメン・ふるき

2011年06月09日 05時42分11秒 | Weblog






きのう、おとといと旭川にてアース21の例会。
「旭川って言うのは、アサヒガワって発音するんだよね」
「近郊の街の人は、ガワに行くって言うよ」
っていうような情報をいただきました。
今日まで、長く生きてきましたが(笑)
こういう情報って、はじめて聞いた次第。
考えてみると、旭川って、その独自の文化という発信に気付くことが少なかった。
で、ふと考えさせられて、いくつか、
「旭川らしい」っていうことについて、思いを巡らせてみました。
そうするとハラが空いてくる。
そういう展開で、旭川の人に「おいしいラーメンを教えて」、安易だなぁ(笑)。
で、来たのがこちら、「ふるき」さんです。

店はお昼時で、一軒家を改造した店内は満席。
例会帰りの帯広、幕別ご一行様3名と、
岩見沢・旭川・札幌のわたしたちとが結局この店で再合流。
「店のオススメの味は?」
「野菜ラーメン・みそ味」
ということで、ご覧のようなものです。
お値段はやや高めの800円なり。
誰かさんの一声。「三平さん系の味だ」、そう、そういう感じ。
でもちょっと味は濃いめですね、これは。
挽肉で野菜を炒め合わせて作ったスープに、濃いめの味噌味。
なので、野菜の量を多くしているのか。
野菜からの甘味が出ていて、濃い味噌味でも食べやすい。
でも、ちょっと濃いので、なんと、食べ合わせ感覚でライスも欲しくなる。
みごとなメタボだなぁと思いつつ、お隣さんについ付和雷同して
注文してしまった。
おかげさまで、昼食後、かなりお腹がきつくなって悶絶(笑)。
なんですが、味としてはまず、おいしかったですね。
旭川での定番コースに付け加えたいと思った次第であります。

「あれ、肉、食べないの?」
って、突っ込みを入れられておりました。
いやぁ、よく見ている人がいるなぁ(笑)。
わたし、ちゃーしゅうはイマイチ、ハラが満たされないときの最後の砦。
ここでは、ほかで満腹したので
パスしていたのですね。
まぁもったいないか、でも、ま、許してください。もう満腹。
っていうことでした、ではでは。
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平等院鳳凰堂

2011年06月08日 06時23分29秒 | Weblog





先日の京都出張の時に
クルマで移動していたので、前から一度見ておきたかった
「平等院鳳凰堂」を見てきました。
なぜか。
東北を知る度に、平泉の藤原氏というものがどういった考え方だったのか
その相方として、貴族の藤原氏との政治的関係の濃さを
感じることが大きくなってきたからなのですね。
関係の深さは、その感性の部分にまで及んでいて
勃興してきた武家の方を向いていたと言うよりも
奥州藤原氏は、貴族の側との政治的交渉に与ってきていたという思いなのです。
百年の奥州藤原氏の繁栄とは、摂関藤原氏との外交関係の成功が大きかったに違いない。
そういう考え方になってきているのです。
奥州に残されている宗教的な施設などを見ると、
その感受性は、あきらかに摂関藤原氏との連関性を強く意識したものだとわかる。
その次の時代の、鎌倉の武家政権の感受性とはまったく異質。
で、摂関藤原氏の精神世界を端的に表現しているのが
この平等院鳳凰堂なのですね。
臨池式庭園による浄土の現世的実現。
それも、自分たちだけが救済されたいという、そういう自己認識。
京都から、やや離れていると言うことがあって、
一度も見に来たことがなかったのです。
この施設は、ひたすら摂関藤原氏だけのための施設なのですね。
そうであるのに、傾けられた予算は優に国家事業並み。
天皇でもなく、その政治的権威を利用し続けただけの存在なのに、
こうまで豪華な施設を作っていた、そういうことが許されていた、
そっちのほうに、驚くような思いを持ってしまいます。
どうもあんまり好きになれない典型のようですね。
っていう気分にずっと包まれていた次第であります。
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菅直人さんの景色

2011年06月07日 05時56分24秒 | Weblog






先日の不信任案採決の日にブログを書いたけれど、
急転直下、という形で不信任案は否決された。
で、自ら辞めるという意志を示すことで合意が出来たという
そういう新聞の号外まで出たのに、
当の政治家がそれを否定して、相方の政治家がペテン師呼ばわりまでするという
ちょっと、信じがたい局面にまで立ち至ってしまった。
このやりとりの救いようのなさに、絶句せざるを得ない。
なにか、あまりにも低俗な品性を満天下にさらしているようで
語るのもはばかられる、そういう品性と同レベルとなるのはいやだ、
そんな思いがわき起こってきてしまう。
菅直人さんという人に、
その人間としてのけじめをハッキリとしてほしいと思う。

結局、人間は絶対の局面でその人間性がさらけ出されるのだろう。
しかし、こういうのはやはり、こどもたちのためにも良くない。
見せてはいけないことだと思います。
人をだますこと、ウソを言うこと、都合が悪くなったらコロコロと前言を翻して
恥を知ることがないこと。
こういう人間を、結局、現代ニッポンは生み出してしまっていたのですね。
ただただ、人気取りのパフォーマンスをのみ考えて
政治的な信条もなく、ただただ、地位にのみすがりつく。
そこまで恥ずかしいことをしながら、
じゃぁ、一体なにをしたいのか、政権を取って1年近くになるのに、
これだけ「やりたいこと」の見えない政治家というのも珍しい。
百年先のことを考えて、恥を忍んで、俺はこれをやる、
そのためならなんでもする、という気概を持っているのなら、
それは自然と伝わるのだと思います。

で、結局、この菅直人さんの巻き起こした
政治的混乱、昨年の参議院選挙での衆参ねじれの発生から、
今日に至るまでの日本の出口なし状況に対して
大連立という選択肢に向かって行く流れが強まっている。
日本に、こういう大連立という政治が本当にいいかどうか、
昔で言えば体制翼賛会のような、全体主義というか、
責任の所在のハッキリしない、無責任体制の危惧は高いと思う。
首班の個性によって、結果は大きく違いが出ると思う。
ちょっと前の、伊東正義さんのような首班候補がふさわしいとは思う。
菅直人の正反対を想起したら、この名前になった。
しかし、ああいう会津っぽ、みたいな筋の通った考えの政治家、
今の政界にいるのでしょうか?
まことに心許ない。
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札幌の手つかずの自然林

2011年06月06日 06時46分12秒 | Weblog






札幌市中央区の街の真ん中に
広大な自然林を保存しているのが「北大植物園」です。
まぁ、完全な原始のままに、というのは表現が適切ではないかも知れません。
いわゆる、日本政府の意志による「開拓」以前の自然林を
そのままで保存している一角が残されているのですね。
看板を見ていると、平成16年の風台風で多くの自然木がなぎ倒されたのも
そのままにしているということで、
その後は、ハルニレが優勢な植生から
低灌木が優勢になってきているということで、
自然の輪廻がそこで展開し続けているのだそうです。
日本政府の開拓以前は、アイヌの人たちのサケ捕獲が一部であって、
そういう土地であったのでしょうが、
アイヌ以前には、もっと活発な集住痕跡が見られると言われます。
そうした時代に、いわゆる自然林伐採行為がなかったのかどうかは、
記録がないのでわからないけれど、
まぁおおむね、原始と言ってそう大きな違いはないとは言えるでしょう。
きのう、買い物の帰りにカミさんと、
散歩してみた次第です。
わたしは3才から、カミさんは生粋の、どちらも札幌育ち。
わたしは、札幌からクルマで1時間ほどの岩見沢近郊の栗沢出身です。
こういう新緑の時期になってくると
自然の植生が渾然一体となった「匂い」がカラダを包んできます。
「あ、むかしの札幌の匂いだ」
っていうような感覚にふたりとも襲われてきます。
雑草や、木や、湿度が鼻腔にいろんな情報を伝えてくれる。
ことばでは具体的な草花の名前を覚えてはいないけれど、
カラダでは、記憶にしっかり書き込まれている。
目ではこれがふつうの自然の景色だ、と認識しているのですね。
そういった自然の中を一巡りしてくると、
何かに目覚めたようなリフレッシュ感が格別。
札幌っこ、という本能的な部分が覚醒したような気分になっている。
わたしは中学いっぱいまで、この植物園に隣接した住宅に住んでいたので、
「あ、あのへんから出入りしていたんだよな」
っていうような悪ガキの記憶が甦ってくる(笑)。
そうなんです、悪ガキどもは不届きにも、竹で編んでいた塀を
その下部から破砕させて、「秘密の抜け穴」を作って
そこを出入り口にしていたのです。時効ですが、深く反省しております。
まぁ、とんでもない行為ですが、おおらかな時代だったのですね。
きのうは、そういう悪ガキ時代の贖罪の気持ちを込めて
夫婦で800円の入園代金を支払って、謹んで入らせていただきました(笑)。

<写真は構内にあった「ハンカチの木」>
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大徳寺龍源院石庭

2011年06月05日 07時24分07秒 | Weblog





龍安寺の石庭はあまりにも有名であり、
イギリスのエリザベス女王さんが絶賛されたことで
世界中のみなさんの東洋趣味を刺激したのでしょうね。
龍安寺には5~6回くらいは行っておりますが、
いいというのはわかるのですが、
どうして心理にピッタリ来るのかは、今もってわかりません。
みんながいいというからいいと思うという、付和雷同的にいいのか、
それとも、なにやら奥深い演出を感じていいと思うのか、
もちろん、禅の修行もしたことがない、
一般的市井人でありますので、そのへんは曖昧模糊としています。
でもまぁ、虚無的で荘重感はたっぷり感じるので、
オリエンタルマジック的、アジア人としてのたしなみ的に好きなのでしょうか。

で、今回はこちらの石庭を見学です。
やはりいいですね。
で、やっぱり、なにがいいのかは不明です(笑)。
今回はおそるおそる、前から気になっていたことを京都の人に聞いてみました。
「あの、庭の石は毎日手入れするのでしょうか?」
っていう至極、不思議に思っている点。
そうしたらこんな答なのだそうです。

Q1、竜安寺といえば石庭ですが、その手入れは?
A、昔はここで修行していた修行僧が手入れしていましたが今はいないため、主に
住職が一人で手入れしています。ただ、秋など落ち葉がひどい時などは他の職員
がフォローします。紋は1週間~10日くらいの間隔で引き直しています。あの
砂は実は10㎝くらいもあり多少の雨などではびくともしません。あと夏場など
は岩のまわりの苔が乾燥しないように朝と夕方に水をかけています。

そうか、10cmの深さならめったに草も生えては来ない。
ということは、石庭って、そういうメンテナンスとデザイン的側面から
禅によって選択されたものだったのかも?

まぁ、ちょっと手に負えないですね(笑)。
この手のデザインには無抵抗でいる方がいいでしょうね(笑)。
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投手が頑張っている日ハム

2011年06月04日 08時23分21秒 | Weblog





きのうもわがチーム、5連続完封勝ちしております。
これでプロ野球タイ記録なんだそうで、投手陣、すごい頑張っている。

▽5月28日・広島戦(札幌ドーム)
広島 00000000000=0
ハム 00000000001=1
吉川-榊原-宮西-増井-○武田久
▽5月29日・広島戦(札幌ドーム)
広島 000000000=0
ハム 00001000×=1
○武田勝-増井-S武田久
▽5月31日・阪神戦(札幌ドーム)
阪神 000000000=0
ハム 00020003×=5
○ウルフ-宮西-増井-武田久
▽6月1日・阪神戦(札幌ドーム)
阪神 000000000=0
ハム 00000001×=1
○ダルビッシュ
▽6月3日・ヤクルト戦(神宮)
ハム 004000410=9
ヤク 000000000=0
○ケッペル-谷元-石井
<※投手の前の○は勝利投手、Sはセーブ>

で、きのうは余裕の勝ち試合だったので、
最終回、どうするのかなぁと思っていたら、
別に記録を意識することなく、いつものような用兵で
こういう大勝パターンでの最終回投手役として
しばらく登板機会のなかった敗戦処理的(失礼)な役割の
石井投手が出てきていましたね。
こういうごく普通のやり方、いいなぁと思いました。
野球の監督の役割って、
よく攻撃の仕方に偏って論じられたりしますが、
一番大きいのはやはり投手を故障させずに、
選手生命を長く、上手に個性を生かして使っていく采配が
一番なのではないでしょうか?
いまの北海道日本ハム、ダルビッシュという絶対的なエースの慎重な使い方、
武田勝、ケッペル、ウルフといった投手の使い方でも
それぞれを上手に使っていると感じます。
決して無理をさせずに、
いわば長期戦略的に、戦いを進めていると思います。
短期決戦的な采配の派手さは決してないけれど、
戦っている選手たちには、自分の役割が明確でプレーしやすいのだろうなと
そんな風に思えますね。
外人投手が2人、模範的な姿勢でプレーしているのは
そういった管理方針がよく理解できるからなのかも知れません。
監督の仕事って、そういうことが一番大きいのでしょう。

さて、今シーズンも
ソフトバンクの強力ぶりがすごいし、
西武も地力を発揮しだした。ちょうど去年のわがチームのようで
どうも、こういう構図が見えてきたようですね。
そしてパの優位が固定化されてきているようにも思います。
10連勝もしたのに、2位と2ゲーム差って、
ソフトバンクも、気が抜けない展開になっています。
頑張れ、北海道日本ハムファイターズ!

<写真は北海道でしか見かけない、昇り藤の花>
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東北の住まい再生・発刊

2011年06月03日 06時16分08秒 | Weblog







東北全域で出版活動を行っている住宅雑誌として
今回の東日本大震災を受けて、ボランティア活動として取り組んできた
無料配布雑誌「東北の住まい再生」が刊行されました。
この雑誌は、東北の6県県庁から公的なルートを通して
また、東北全域に支店営業所ネットワークを有する東北電力の窓口からも
住まいの被害に遭われたみなさんを対象に無料で配布されます。
各県担当窓口には、昨日までには配布が完了しました。
今後、一般に配布されます。どうぞ、ご活用いただきたいと願っております。
はじめて、一般発売ではない形式、
無料配布という形式での出版になったので、
いわゆる「発売日」という概念がありません。
もっとも大口で配布が開始された、という時点を捉えて
このように発表させていただく、ということにした次第です。

内容としては、
国土交通省の応急仮設住宅担当の、国の取り組みの報告から
国や県の、住宅再建についての支援のすべての基本になる
「り災証明」についての詳細説明、
国が進めている住宅や生活再生への支援策のまとめ、
お金に関する情報のまとめなど、まず基本になる条件のまとめ。
その上で、今後の住まい再建のために
地域の住宅への提言として、
住まいと環境東北フォーラム・吉野博理事長
(東北大学大学院工学研究科都市・建築学専攻教授)へのインタビューを行っています。
東北の気候風土、さらに被災の時期が冬期であったことを踏まえ
断熱をいかに強化すべきか、という主要テーマが語られました。
この基調テーマに沿って、
東北各地でのさまざまな震災時以降の取り組みやルポルタージュを掲載。
震災後、無暖房で過ごした住宅の温熱データの詳細や、
そこから導き出される自然エネルギー活用の実例。
また、ライフラインが絶たれる中で、
岩手県大槌町で津波被害から生き残り、さらに高断熱住宅が暮らしを守り、
残されていた自然活用装置としての地下水くみ上げポンプや
かまどなどを活用して自立的な生活を維持させた事例などを取材しています。
住宅建築に関わるネットワークの活動も紹介。
応急危険度判定から、罹災証明に必要な判定作業などに取り組んでいるなかから
どのような被害が起こっていたかの実態も紹介。
沿岸地域でRCの1階を残して居住部分の2~3階木造を流失した建築家による
自ら避難所まで沢の水を引っ張ってきた応急水道づくりなどの
地域再生への活動なども取材。
さらに今後の復興に向けて、阪神淡路大震災からの復興の経験を
その中心的活動を行った建築家から寄稿していただいています。
街をいかに再生させるか、その住民参加による再生のプロセスも。
さらに、住まいのチェックポイントとして、
各部位別に、すまいの補修や改修にあたっての注意点などを
全国の住設企業のご協力でまとめてみました。
東北各県窓口からの情報も掲載しています。

ぜひ、各県窓口から受け取っていただいてご覧ください。各県窓口は以下の通り。
岩手県県土整備部建築住宅課  
宮城県土木部住宅課  
山形県県土整備部建築住宅課  
福島県土木部建築指導課  
青森県県土整備部建築住宅課  
秋田県建設交通部建築住宅課 
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菅直人抜き大連立

2011年06月02日 06時18分21秒 | Weblog






舛添要一という、かなり賞味期限が短かった政治家が
なかなかサビの効いた意見を言っています。
発言の要旨としては、菅直人さんという政治家の本質を明確に突いているかも知れません。

 新党改革の舛添要一代表は1日昼の記者会見で、自民、公明両党が内閣不信任決議案提出の方針を固めたことについて「菅直人首相ではこの危機を乗り切るのは無理だ。もし衆院に議席を持っていれば賛成する」と賛意を示した。その上で、参院での首相問責決議案で共同提出に加わる意向を表明した。新党改革の所属議員は参院議員2人。
 舛添氏は、首相が太陽光パネル1千万戸設置を事前調整なしに表明したことについて「この人は首相どころか政治家でない。ユートピア的なことを言う評論家なら、政治家という職業を去るべきだ」と批判した。
 また、首相が同日午前の参院本会議で今国会の会期延長と追加補正予算案提出を検討する考えを表明したことにも「首尾一貫せず政局的なマヌーバー(策略)にすぎない。自分の権力を維持する視点からしか物事を考えていない」と厳しく指摘した。

今回の政治的動乱の本質は、どうもここらあたりに
問題点の所在があるのだろう。
与党・民主党の中からも、大量の不信任案賛成者が出るという
政権運営の基本的な大失敗が、露わになってきている。
こういう党内情勢を作りだした要因は政権運営側にあるのであり、
規則だから違反したら除名する、という恫喝だけでは政治にはならない。
少なくとも、与党内ですら団結を作り出せないということは
運営側の大失敗、無能を証明している。
こういう状態で、大義名分もなく、解散総選挙に突入するというのなら、
その選挙は、まさに菅直人という政治家のための選挙になる。
身内から、その政権運営を激しく批判されるような人物の
政権維持がいいのかどうか、という判断基準になるだろう。
こういった情勢の中で、
やるだろうなと、思っていたとおり、
被災地からの「政争なんていい加減にしろ」という声、という名の世論操作。
政権運営というのは、政治その他の社会現象スケジュールの管理と
可能な範囲での世論操作というのが、枢要な部分だと思うけれど、
菅直人政権というのは、かなり意図的な運営を行ってきている政権なのは間違いない。
こういった政権の本質的な姿が露わになってきていると思う。
そういったものへの反応が、生き物である政治の動きの中で
一気に流れを制するかも知れない。

考えてみれば、
菅直人さんが「大連立」と言い出したとき、
手下になれとしか、野党側としては聞こえなかったのだろうと思う。
本来、政権側がそうした申し入れをするのであれば、
総理大臣はあなたがやってください、わたしはその一兵卒で働きます、
というくらいの、身を捨てる覚悟を示さなければならないのが
人間として当たり前のことだと思う。
そして、日本民族の危機は、そういったレベルのことなのだという
誠意を表現できなかったのが、菅直人という政治家の本質ではなかったのか。
危機に当たっては、まず我欲を捨てて、
国のために、総力を結集するのだという姿勢を見せなければならない。
それなのに彼がやってきたことはどうであったのか。
団結すべき身内から大量の造反者が出る指導者に、この危機を管理できるのか。
そのことが、ハッキリとしようとしてきている。
さて、振り子はどう振れるのだろうか?

<写真は友人が感動して送ってくれた展覧会のもの>
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床の間の用途

2011年06月01日 05時50分35秒 | Weblog






日本の住宅の中に、
こういう床の間って、ある時期まで判で押したように
大量生産されたのでしょうね。
日本の木造在来工法の空間性を象徴的に表すデザインだったのでしょう。
意味がどうこうよりも、床の間がある、というのが、
日本人のどっかに刷り込まれた「豪華さ」だったのだろうと思います。
日本的な絵画美術である掛け軸が掛けられて
その家の精神的風格感を表現して
右側のスペースには、主に、これも家としての格を表現する
美術品などの展示を行っている。
どちらにせよ、抜けがたく、客に対しての配慮とか
家と他者、というような関係性を主旋律にして構成されている気がする。
もし家族だけの閉じられた住宅であれば、
こういった神聖空間は必要がないと思われる。
事実、伝統と言うよりも、生活合理性のほうが進化した
北海道の住まいからは、基本的に和室すら失われていっている趨勢。
このような方向性に対して
その文化のなさを嘆く、という考え方を持つか、
いやむしろ、そういう方が日本人的だというように見るか、
どうも、どちらもアリっていうように思われます。

この写真のような空間性が、
大量消費社会の中で、日本人の基本的なすまい感覚だ、というように
押しつけられたのは、無理もなかったかも知れないけれど、
やはり合理主義で考えれば、
他者との関係性というよりは、個人主義とか
より小さく納まっていった家族構成とかの日本人の暮らし方環境変化が
より家族生活重視の方向を目指しつつあるのは間違いがない。
今の日本人のライフスタイルとしては、
旅行に行くとしても、基本的な宿泊場所はホテルだろうし、
友人の家に泊まりがけというような、そういう濃い関係性は忌避される。
元々の生活スタイルが、個人生活やプライバシー優先になっているので
こういう変化は、そちらの方が無理がない。

でも、やっぱり、こういう空間性自体は
しっくりとくる。
わが家も、全然こういう部屋や空間はないのですが、
私自身は、もう一軒建てるとしたら、
こういった木造らしいハレの空間が欲しいとも思う。
なかなか、微妙だなぁと思いますね。
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