東京に来ると、いろいろな街を巡るようになってきました。
っていっても、ホテルを替えて、新しい街を体感する
というようなことなんですが、
年齢とともに、古い街並みのくだけた空気感が無性に欲しくなってくる。
きのうは日本橋界隈でお昼を食べたりしたのですが、
写真は宿泊した人形町の界隈。
まぁなんでもない飲食店舗が軒を接しているのですが、
なかなかにキッチュで、なに情緒なのかわからない、けれど、
なんとなく懐かしさがこみ上げてくる街並みであります。
こういう「街並み感」って、都市計画の専門家たちには絶対に見えてこない世界。
しかし人間の情感の世界ではかけがえがない、なにかを訴求してくる。
メインストリートではない、セカンドストリート的な場所では
江戸なのか、戦前までの東京なのか、
なにか、人間の暮らしか、欲求の残滓のようなものが立ち上ってくる。
いま、東北では「復興計画」が
各地域、市町村レベルでまとめあげられつつあります。
しかし、その計画の「受注」はほとんど東京のシンクタンクが
独占的に受注してしまっているようです。
全国マスメディアというのは、なぜこういう事態について
論陣を張らないのだろうか。
地方出身の小沢一郎に対しては、
またかつてでいえば、田中角栄のような存在に対しては
執拗に根拠の薄い追及を行ってくるのに、
一方で、東大教授のような存在を錦の御旗にした中央の専制支配には
絶対に問題追及をしない。
おっと、また脱線しそうであります(笑)。
言いたいのは、中央の「都市計画」って、こういう人間の生業とか
空気感のようなものには、まったく鈍感であるということ。
本当は、中央的な「都市計画」は
地方には似合わないし、そしてそのような都市計画の結果は
より中央集約的な方向にしか機能しなくて
地方の独自な文化をたぶん、相当に破壊し尽くすだろうと言うこと。
リアス式の海岸地帯では、高台移転について
国費支出による道が開かれていくようですが、
その高台には、その地域の独自文化がほんとうに造形できるのか、
息の長い、中央と地方の戦いが継続していくと思われます。
でも、こういう東京の真ん中でも、
結局は、人間生活の句読点を刺激するような
界隈性が、絶対に不可欠だと思うので、
紆余曲折はあっても、たくましく生き残っていくものがあると
信じています。